空翔ける鷹に想いをのせて② 駿府到着

◇◇


 元和元年(一六一五年)六月二〇日 駿河国――

 

「お千! もうすぐで駿府に到着だ! そろそろ出てきておくれ」


 俺、豊臣秀頼は雄大な安倍川の手前で千姫を乗せた駕籠に声をかけた。


「はい! よいしょっ」


 ゆっくりと駕籠から姿をあらわした彼女の手をそっと取る。

 そして二人で横に並んだところで、俺は前方を指さした。

 

「見ろ! あれが駿府城だ!」

「うわぁ! おっきいのじゃ!」


 川の向こうに見えるのは美麗な天守閣だ。

 

――天下一の天守を作れ!


 徳川家康の厳命によって作られたのは、なんと七層の城だった。

 一度は火災で全焼したものの、今はすっかり元通りの美しい姿を見せている。

 

「ここからは船で渡ります。」


 俺の背後に控えていた幸村に促されて、俺たちは船に乗り込んだ。

 ゆったりと船が揺れるたびに城が大きくなってくる。

 同時に千姫の目の輝きも増してきた。

 大好きな祖父、家康に会えるのだから、彼女がワクワクするのも当たり前だと思う。


 でも、それもこれが最後なのだ……。


 なぜなら家康は来年の春にはこの世を去ってしまうからだ。

 いや、山内一豊のように寿命が知らずうちに延びているかもしれない。

 そうなってくれれば、千姫の喜ぶ姿がもう何回か見ることができる。

 そんな風に願わずにはいられなかった。

 

「ご到着です。足元に気をつけてくだされ」


 幸村の呼びかけの後、千姫の小さくて柔らかな手をとって船を降りる。

 その直後、俺たちは町民たちの喧噪に包まれた。

 夏空を震わせる彼らの活気で、ぐんと体温が上がる。

 同時に心臓の鼓動がどくどくと音を立てて加速していくのが分かった。

 ちらりと隣に目をやると、千姫の頬が淡い桃色に染まっている。

 きっと彼女も同じような興奮に包まれているのだろう。

 俺はぎゅっと彼女の手を強く掴んだ。

 そして目を丸くして俺を見た彼女に対して、白い歯を見せながら告げた。

 

「行こう!」


「うん!」


 弾けるような千姫の笑顔が真っ青な空に輝く太陽と重なる。

 ふわりと浮きあがるような高揚感そのままに、俺は駿府城に向かって真っすぐのびる道を、彼女とともに踏み出していったのだった――。

 

………

……


 かつて今川氏の本拠地として栄えていた駿府の町。

 しかし駿河へ侵攻してきた武田信玄により街は焼き払われてしまった。

 荒廃した町を再建したのは、幼少期をここで過ごした徳川家康だ。

 家康は駿府を武田家から奪還した後、徳川家の本拠地と定めて町の復興に力を注いだ。

 

――駿府を天下一の街へ。


 彼の並々ならぬ情熱によって街は活気を取り戻していった。

 しかし天下人となった豊臣秀吉によって家康は駿府から引き離されてしまう。

 それでも彼の駿府に対する愛情は消えなかった。

 天下を手中に収めた彼は将軍を秀忠に譲った後、みたび駿府に帰ってきたのだ。

 

――どこにも負けぬ街を作るのだ!


 強い覚悟のもと、家康は新たな街づくりに着手した。

 具体的には町を九十六の区画に分けて、商人や職人を職業ごとに住まわせた。

 金貨をつくる「金座」、染物の職人が住む「紺屋町」、呉服を売る「呉服町」……。

 そうして家康の目指した暮らしやすい街づくりは功を奏し、今や駿府は人口十二万を誇り、江戸、大坂に負けぬくらいの大都市に発展をとげたのであった。

 

――天守がもっとも美しく見える場所に道を作ってくれ。

 

 家康の願いともとれる命令によって作られた『新通り』。目立たぬように旅人を装ってゆっくりと歩いていく。

 笑顔であふれる町並みに、家康の熱い想いを感じながら感慨に浸っていると、耳元で千姫の無邪気な声が響いてきた。

 

「ねえねえ、秀頼さまぁ! 千はお餅が食べたいのじゃ!」


 目をキラキラさせながら茶屋に俺を引っ張っていこうとする千姫に対して、俺は首を横に振った。

 

「今宵の宴にお腹をふくらせていくわけにはいかないだろ」

「むむぅ。秀頼さまのいじわるぅ」


 恨めしそうな目を向けてくる彼女を引っ張っりながら前に進んでいく。

 そしてちょうどお堀が見えてきた場所までやってくると、千姫が驚きの声をあげた。

 

「すごい人の数じゃ!」

「お千。手を離すんじゃないぞ」

「はい!」


 千姫の返事がかき消されてしまうほどに人々の声が飛び交っている。

 

――おう、お富さん! 今日はいい鯛が手に入ったんだ。どうだい?

――鯛みたいな上魚なんて縁起のいい時しか買えないよぉ。

――はは! お富さんのめでたい縁談の前祝いってことでどうかね?

――ならば鯛よりもいい男を先にくださいな。


――へい! 旦那! あれ? 国に帰ったんじゃなかったのかい?

――近々江戸で大きな評定があるらしくてな。江戸にとんぼ帰りというわけだ。

――そうかい、そうかい。へへ。こいつは嬉しいや。じゃあ、今宵も馳走を用意するからうちに泊まっていきな!


 まるで祭りのように賑やかなこの場所は『伝馬町てんまちょう』といって、幕府によって東海道に設けられた中継点だ。

 常に三十六頭の馬を置くように命じられており、大名たちの通信や輸送に提供されている。

 当然多くの武士や旅人たちが宿を求めて集まり、彼らを目当てに大勢の商人たちが店をかまえた。

 豪華な宿がいくつも並び、大名が過ごす本陣を設置するための広い庭も広がっている。

 まさに『街の花形』だ。

 だがあまり外へ出ることのない千姫にとっては、少し人が多すぎるようだ。

 

「秀頼さまぁ……。千は気分が悪いのじゃ」


 できる限り目立たずに城に入りたかったのだが、千姫の青い顔と道に溢れ返る人を目にすればそういう訳にもいかなそうだ。

 そこで俺は右隣にいる幸村に耳打ちした。

 

「馬をここへ」

「はっ」


 連れてこられた栗毛にひらりとまたがり、千姫を後ろにのせる。

 人々が俺たちへ目を向けたところで、俺は左にいる重成に命じた。


「では、重成。頼む」

「御意!」


 重成は大きく息を吸い込んだ後、かっと目を見開いた。

 

「豊臣右府様(秀頼のこと)の御成りである!! 皆の者!! 道をあけぇぇい!!」


 重成の声が夏空に轟いたとたんに、それまでの喧噪が静寂に変わった。

 人々は目を丸くして、穴が空くほど俺を見つめている。

 そんな彼らに向けて今度は俺が声を張り上げたのだった。

 

「ははは!! われこそが豊臣秀頼である!! わが祖父、大御所殿のもとへ参るため、ここを通らせていただきたい!」


 そして俺の言葉が真実であることを示すように背後の小姓たちから「桐紋きりもん」の旗が一斉に上がる。

 それを見た人々から驚嘆の声があがった。


「た、太閤桐たいこうきりじゃ!!」

「ほ、本物の太閤桐のお出ましじゃあああ!!」


 『太閤桐』とはかつて豊臣秀吉が自分だけしか使うことを許さなかった独自の桐紋のことだ。

 つまりこの紋所の旗を上げれば、その一行がまがいもなく豊臣家であることの証明なのである。


「早く道をあけろ! 無礼じゃぞ」

「ささ! 脇でお殿様を拝見いたしましょう!」


 人々が弾かれるように道の脇にそれる。

 すっかり人がはけた道の中央にゆっくりと馬を進め始めた

 

――パカ、パカ……。


 次の瞬間だった――。

 

 

――わああああああっ!!


 

 一斉に人々がわきたったのだ。

 割れんばかりの歓声に街全体が揺れていく。

 

「秀頼さまぁぁぁ!!」

「あれは千姫様じゃないか!!」

「千姫様だ!! おお! ありがたや、ありがたや!」

「きゃあああ!! 秀頼さまぁぁ! こっち向いてぇぇぇ!!」

「わたしに手を振ってくれたわ!!」

「いえ、今のはわたしよ!!」


 天下を徳川が治めるようになってからだいぶ時間がたっているが、『豊臣』の名声は相変わらず高い。

 いやむしろ鎌倉時代から根づいた判官贔屓ほうがんびいきのおかげか、時が進むにつれて豊臣家の人気は高まる一方なのだ。

 それは大御所のおひざ元である駿府でも変わらない。

 

 人々の黄色い声と羨望のまなざしに包まれる俺と千姫。

 まるで歌舞伎の看板役者のようだが、俺の胸の内は冴えなかった。

 

――この場面を徳川家の人が見たら、なんと思うだろう……。

 

 俺の複雑な心持ちが背中から伝わったのか、千姫の俺を掴む手の力が強くなる。

 

――もう二度と千姫や大坂城の皆を苦しませたくないんだ。


 それでも人々の熱狂を目にすれば、再び忍びよる時代の濁流を感じてしまうのは否めない。

 俺はあらためて、


――絶対に戦だけは起こさぬ


 と決意を固くしたのだった――。

 

 

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