守り神たちの祈り
………
……
秀頼ら一行が大坂城を出ていった後――。
大手門に姿を現したのは蘭と青柳の二人だった。
周囲を注意深く見回している彼女たちだったが、決して自分たちがとがめられるのが怖くてそうしている訳ではない。
城を抜けだすのに失敗した千姫が背中を丸めながら泣いていないか、探していたのである。
そしてどこにも千姫の姿が見当たらないのを確認した二人は、ほっと胸をなでおろした。
「はは! どうやら千姫様はうまいこと城を抜け出せたようね!」
「しっ! 蘭! 声が大きいって!」
「なんでよ? もう城にはいないんだからいいでしょ?」
「そういうことじゃなくて……。そんな話をしていたら、『私たちは事前に知ってました』と宣言しているようなものではありませんか!」
「ははは! 相変わらず青柳って心配性よねぇ。誰も私たちの話なんて聞いてないって。もしそんな物好きがいようものなら、『くだらない話にそば耳たててる暇あるなら落ち葉の一枚でも拾いなさい』って大蔵卿が雷を落とすに決まってるわ! ははは!」
あっけらかんと話す蘭の姿に青柳は気が楽になり、口調も軽くなった。
「そうよね。誰も私たちのおしゃべりなんか聞いてないわよね」
しかし……。
「ええ。おまえたちはいつも無駄口ばかり叩いておりますからね」
一段と低い声が聞こえてきた瞬間に、蘭と青柳の足はぴたっと止まってしまったのだ。
おそるおそる振り返る……。
そして目に飛び込んできた人物に度肝を抜かしたのだった。
「ええええええ!! 大蔵卿様!! いつのまに!?」
顔を真っ青にして震えている彼女たちをよそに、大蔵卿は仁王のようなたたずまいで冷たい視線を浴びせている。
「いつからでもおまえたちには関係ないでしょう。それよりも今からどこへ向かうのですか?」
大蔵卿の問いかけに蘭が一歩だけ前に出て答えた。
「え、江戸でございます。もう大坂城では『用済み』とうかがっておりますので!」
「ちょっと、蘭! とげがありあすぎるわよ!」
「なによ! 本当のことを言ったらいけないのかしら?」
蘭の挑発的な口調にも大蔵卿は表情一つ変えずに言葉を返した。
「ええ。おまえたちの大坂城での役目は終わりました」
「で、でしたら私たちがどこへ行ってもよいではありませんか!」
「ええ、そうですね」
「では私たちはこれで失礼いたします! いこっ! 青柳!」
「え、あ、うん。大蔵卿様。こちらで失礼いたします」
蘭に引っ張られながら門の方へ進んだ青柳は、大蔵卿の方をちらりと見た。
相変わらずの無表情だが引きとめようとはしてこない。
何かおとがめがあるのではないかと不安にかられていた彼女は、すっと肩の力が抜けていくのを感じていた。
しかし直後に響き渡った大蔵卿の声は、再び二人の足を止めたのだった。
「くそったれ!」
彼女たちは唖然として大蔵卿を見つめる。
だが大蔵卿はなんでもなかったかのように続けた。
「江戸でかような言葉を使ってはなりません。いいですね?」
蘭と青柳は顔を見合わせると、無言で大蔵卿に向かってうなずいた。
そして次の瞬間……。
目にした光景に彼女たちは大きく目を見開いてしまったのだった――。
「よろしい。ではくれぐれもよろしくお願いしますよ」
なんと大蔵卿が二人に対して深々と頭を下げたのだ。
侍女たちの間で『鬼』とあだ名され、どんな時も威厳に満ち溢れていた彼女が城を追われた侍女に頭を下げるなんて誰が想像できようか……。
驚きのあまりに言葉を失っている二人をよそに、大蔵卿は静かにその場を後にしたのだった。
大蔵卿の姿が見えなくなった後、蘭が口を尖らせた。
「なによ! 大蔵卿様は私たちと千姫様との会話を聞いてたってことじゃない! 私たちのくだらない会話を聞く暇があるんだったら、落ち葉の一つでもお拾いになればいいのにぃ!」
そう文句を垂らす蘭の表情は明るい。
それはきっと大蔵卿に背中を押されたからだと青柳は分かっていた。
「さあ、行きましょう! 千姫様に追いつくのです!」
今度は青柳が蘭の手を引っ張りながら大手門をくぐったのだった――。
………
……
その日の夜――。
大坂城のとある部屋では『評定』が開かれていた。
上座に座る淀殿が涼やかな声をあげた。
「ふふ。ひとまずは成功ですね」
「……しかし淀様。本当に蘭と青柳の二人に千姫様のことを任せてしまってよろしいのでしょうか?」
そう言いながら顔をしかめたのは石田宗應だ。
即座に反応したのは大蔵卿だった。
「大丈夫です」
宗應はぴくりと眉を動かした。
「ほう……。なぜそう言い切れるのでしょう?」
「理由を問われても、大丈夫としか答えようがございませぬ」
「ふふ。大蔵卿にしてみればあの二人は可愛い娘のようなものですからね」
「淀様。『可愛い』は余計でございます」
「あら? なら『娘のよう』という部分は認めた、ということですね」
「ふぅ……。幼い頃の淀様はもっとかわいげのある御方だったのですけど……」
大蔵卿がため息をついたところで、明石レジーナのか細い声が響いた。
「……私は秀頼様の方が心配」
「へん! 秀頼様には重成がついているから大丈夫だって!」
大野治徳がさも自分のことのように胸を張ると、その横から堀内氏久が口を挟んだ。
「秀頼様のお荷物に江城の縄張り(江戸城の設計図のこと)をしのばせておきました。もし何かあればそれを使って脱出できるでしょう」
「まあ、氏久。いつの間に江城のことも詳しくなったのですか?」
「へへ。何度か秀頼様のお供として城に入れさせてもらったことがございましたので」
「ふふ。ずいぶんと手際がよいこと。わらわは感心いたしました」
淀殿に褒められた氏久は嬉しそうに照れ笑いしている。
それを見た治徳はむっとした顔で声を張り上げた。
「俺だって秀頼様をお守りする覚悟だけなら誰にも負けねえつもりです!」
「ふふ。治徳。その意気だけで、わらわは嬉しゅうございます」
「へへん」
「……いつまでたっても子ども……」
「ああっ? なんだとぉ!? やい、レジーナ! 言いたいことがあるならはっきり申せ!」
「おやめなさい! この場をなんと心得る」
大蔵卿の一喝で治徳は首をすくめて口をつぐんだ。
そうして場が落ち着いたところで、宗應が口を開いた。
「お申しつけの通り、既に江戸の上様と駿府の大御所殿には千姫様が同行されることについて許しを得ております。また才蔵と佐助を通じて源二郎……幸村の耳にも淀様と上様のお許しが届いているでしょう」
「さすがは宗應殿ね。ありがとう」
「いえ……。しかしならば初めから千姫様の同行をお許しになられればよかったのでは……?」
宗應の問いかけに淀殿は目を細めた。
そしてゆっくりと言い聞かせるように答えた。
「お千はいつも与えられてばかりでした。いえ、彼女だけではありませぬ。わらわたちおなごたちは男たちから与えられるのを待つばかりです。しかしそんな世の中ではつまらぬでしょう?」
「つまらない……ですと?」
「ええ。まったく面白くありません。太閤殿下の目指した天下泰平の世は老若男女が笑って過ごせる世です。待ってばかり、与えられてばかりのおなごが心から笑うことができましょうか。お千には自分から掴みとる人になって欲しいのです。そのための強さを身につけて欲しい。それが強いては豊臣を強くするきっかけとなりましょう」
そこまで話した淀殿は、みながうなずいたのを確かめてから、声を大きくして締めくくったのだった――。
「皆の者。秀頼ちゃんとお千のあいだに『お世継ぎ』が生まれるまでは気を抜いてはなりませんよ」
「はい!」
こうして秘密裏に行われた評定は解散となった。
――秀頼と千姫の二人が『めおとの道』を手をつないで進めますように……。
彼らはそんな願いを込めながら、各々の部屋へと帰っていったのだった――。
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