プロローグ

プロローグ 反乱の主役


 元和げんわ五年(一六二〇年)冬 甲府城――。

 

 幕府と豊臣家の世紀の一戦『大坂の陣』から早七年がたち、戦のない世の中となった。

 江戸や大坂の町民たちが平和を謳歌して賑わいを見せる中、大手門前の楽屋曲輪がくやくるわという広場は甲冑をまとった武士たちで物々しい雰囲気に包まれていた。

 その様子はまるで時間が巻き戻って戦国期の真っ只中にあるようだ。

 

 だが、彼らの表情は暗かった。


「静かだのう……」

「まるで葬式みてえだ」


 小雪がちらつく灰色の空の下、兵たちのひそひそとした声が聞こえてくる。


「それもそうだろうよ。『攻める』はずで集められたのに、このざまなんだから」


「ああ、まさか城から一歩外へ出れば、見渡す限り『敵』の軍勢に囲まれてるなんてよぉ」


「いったいどうなってるんだよ」


「俺に聞かれたって知らねえよ」


「敵はいったい誰なんだ?」


あおいの旗を掲げてやがる」


「なんと! 味方も同じ葵ではないのか!?」


 なお『葵』は言うまでもなく『徳川』の印だ。

 つまり甲府城を舞台に対峙しているのは『徳川』と『徳川』ということなのだ。


………

……


 甲府城の本丸の中に目を移す。

 その一室に、城の重臣たちが集まっていた。

 みな渋い顔をしているのは、外で待機する兵たちと同じように状況が思わしくないのを不安に思っているからだ。

 そんな中、立派な白い眉を持つ初老の男が声をあげた。


「……まだか?」


 きれいに剃られた頭からしても僧侶であることは間違いない。

 しかし鋭く光る眼光からは、とても修行に精を出す一般的なそれとは大きく異なっている。

 たとえるなら老獪な政治家を彷彿とさせよう。

 

 彼の名は以心崇伝いしんすうでん

 徳川家康が江戸に幕府をひらいた頃からの側近で、『黒衣こくい宰相さいしょう』とおそれられた幕府の重鎮中の重鎮である。

 

 一方の問われた青年は松平忠輝まつだいらただてるという。徳川家康の実子だ。

 だが徳川を名乗ることが許されておらず、今は信濃国の一大名に収まっている。

 真っ直ぐな気性の持ち主である彼は澄んだ口調で答えた。

 

「はい、松本に伏せておいたしのびからは何の報せもなく。いまだに中山道には入られていないかと」


「遅い……。遅すぎる! 大坂を発ったと報せがあってからすでに十日もたっているではないか!」


――バンッ!!


 崇伝が手にしていた扇子を床にたたきつけると、上座に座っていた少年が涼やかな声をあげた。

 

「崇伝殿。そうかっかされるな」


「はっ……。これは拙僧としたことが、『上様うえさま』の御前ごぜんで失礼いたしました」


 崇伝が頭を下げる中、部屋にいる者たちは目を丸くして互いの顔を見合わせていた。

 それも無理はない。

 彼の言った『上様』とは『将軍』に向けられた呼称であり、この時の将軍は目の前の端正な顔立ちをした少年ではなく、江戸にいる『徳川秀忠とくがわひでただ』なのだから。

 見た目からして賢そうなその少年は、ニコリと微笑みながら返した。

 

「はは。崇伝殿は気が早いな。われは『まだ』将軍を継いでおらぬ。ゆえに上様と呼ばれるのは気が引けるぞ」


 崇伝は顔を上げると、一瞬だけぎろっと眼光を光らせた。

 しかしそれも束の間、元の穏やかな瞳に戻した。

 

「これはしたり。老い先短いこの歳になると、気がはやってしまいましてのう。そうでした。忠長ただなが様は『まだ』将軍を継がれておりませんでした」


「ははは! まだまだ呆けてもらっては困るぞ!」


 大きな口を開けて笑い飛ばした少年の名は『徳川忠長とくがわただなが』。

 その父は『徳川秀忠』で、兄は『次代将軍』を指名されている『徳川家光とくがわいえみつ』である。

 

「いえ、忠長様。崇伝殿が『上様』と呼んだのも一理あります。なぜなら忠長様こそ次の将軍に相応しい御方なのですから! そしてこの一戦に勝利すれば、晴れてそれが現実のものとなりましょう!」


 松平忠輝が興奮気味に告げると、部屋の中は一斉にわいた。

 自分の発言で場が高揚したのに気を良くした忠輝は、さらに声を張り上げた。

 

「家光など恐れるに足らぬ! 今こそ誰が次の将軍にふさわしいか、世に示す時ぞ!!」


「おおおおっ!!」

 

 部屋の中が興奮にわく中、

 

「皆の衆。気が早すぎるわ!」


 崇伝様がばしゃりと冷水を浴びせた。

 彼の一喝に再びしんと静まり返る中、忠輝が頬を赤く染めながら口を尖らせた。

 

「どういう意味であろうか? まさか戦う前から弱気になっているのではあるまいな?」


「いえ、そうではございませぬ」


「ではどうして気が早いと申されるか。答えてくれ、崇伝殿」


「この場に『主役』を迎えずして、われらに勝利はございませぬ」


「主役……」


 ぼそりとつぶやいた忠輝であったが、すぐにはっとした顔になる。

 部屋の中の人々も彼と同じ顔つきになったところで、崇伝は忠長にちらりと視線を送った。

 その視線を受け取った忠長は、小さくうなずき声をとどろかせた。

 

「皆の者!! 今は守りを固めて耐えるのだ!! 必ずやこの窮地を救う無双の軍団がやってくるだろう! その時こそ反攻の時である!」


「その通りでございます! そして、その軍団を率いる者は……」


 忠輝が相槌を打っておぜん立てをしたところで、忠長は立ちあがった。

 そして、ありったけの声で部屋を震わせたのだった。


 

豊臣秀頼とよとみひでより殿である!! かの者が必ずやわれらを救い、勝利へ導いてくれるであろう!!」



「うおおおおお!!」



 こうして豊臣家が残ったこの世界において、史実にない一戦が勃発しようとしていた。


 それは『徳川家光』と『徳川忠長』の兄弟による『将軍を継ぐ者』の争い……。


 後世に『元和の乱』と呼ばれるその一戦に、「主役」と指名されたのが豊臣秀頼だったのだ。


………

……


 そしてついにその時はやってきた。

 それはちょうど太陽が沈んだ直後のこと。

 

「申し上げます!! 大坂を発った豊臣秀頼様率いる軍勢が東海道から甲府に向けて進軍中!! 間もなく駿府に到着!! その数……三万!!」


「三万だと!? 一万と聞いていたのだが……!?」


「はっ! 途中、彦根、美濃、尾張の軍勢を加えたのことでございます!!」


 伝令の言葉に室内の喜びが爆発する。

 そんな中、崇伝だけはあぜんとしてその場に座り込んでいた。

 

「三万……。なんということだ……」


 忠長は彼の肩をポンと叩くと、白い歯を見せた。

 

「さあ、もたもたしてられんぞ! 出陣の支度をいたせ!! これより反撃に出る!!」


「おおおっ!!」


 われさきにと部屋を飛び出していく面々。

 一人残された崇伝はしばらく動けないでいたが、兵たちの大歓声が聞こえたところで、ゆっくりと立ちあがった。

 

「さてさて……。ここが勝負どころか」


 そうつぶやいた彼の顔は凍りつくほど冷たい色が浮かんでいたのだった――。

 

………

……


 ちょうど同じ頃。

 駿府城からほど近い場所で二つの大軍が対峙していた。

 

 一方は豊臣秀頼率いる三万。

 もう一方は立花宗茂たちばなむねしげ率いる五千だ。

 

 当代一の無双と知られた宗茂は、雲霞の如き大軍を目の前にしてもまったくひるむことなく、白い馬に乗って陣頭までひらりと躍り出てきた。


 そこに遅れて栗毛にまたがった大将がゆっくりと馬を進めてくる。


 白い肌の端正な顔立ち。

 すらりと伸びた背。

 白い糸で編み込まれた美しい甲冑。

 馬藺ばらんの葉を模した薄板を挿した派手な兜。

 まるでこの世に降り立った日輪のような圧倒的な存在感。


 見る者をはっとさせるこの美丈夫の名こそ……。


 豊臣秀頼――。


 天下人、豊臣秀吉の子にして、何度も逆境を乗り越えてきた彼は『太閤を継ぐ者』とあだ名されている人物だ。

 二十七の秀頼は青年らしい透き通った声で言い放った。

 

「ここを通していただこうか。宗茂殿」


 一方の宗茂は五十三。美麗とたたえられた顔に深いしわがいくつか刻まれてはいるものの、瞳に映る光は若葉のようにみずみずしい。

 彼は年そうおうの、ゆったりとした口調で返した。

 

「拒めばいかがするおつもりか?」

「無論、押して通るまでよ」


 即答した秀頼に、宗茂は一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに目を細めた。

 

「それは困りますな」

「ではお通しいただこうか」


 秀頼は背後に控えていた将をちらりと見た。

 大きな鹿の角を前立てとした兜に真紅の甲冑を身にまとったその将の名は、真田幸村さなだゆきむら

 秀頼の側近であり、戦においては軍師の役割を担っている。

 彼は一通の書状を手にしながら馬を進めると、同じく宗茂の脇に控えていた彼の側近にその書状を手渡した。


「こちらでございます」

「うむ」


 側近から書状を受け取った宗茂は、隣に明かりを持たせてそれを開く。

 そして一通り目を通した後に、小さなため息をついた。

 白い息が夜空に消えて行く中、宗茂の低い声がこだました。

 

「……本気でやるおつもりか?」


 秀頼は再び即答した。

 

「本気でなければ書状など書かぬ」


 宗茂はふっと口元を緩めた。

 

「なるほど……。では仕方ありませぬ」


 それだけ告げて彼は軍勢の中へと消えていった。

 その背中を見届けた秀頼は、くるりと馬を返した。

 目の前には月明かりに照らされて青白く光る無双の豊臣軍の兵たちが並んでいる。

 彼ら全員が秀頼の言葉を固唾を飲んで見守っていた。

 そこで秀頼は彼らの期待に応えるべく、大号令を夜空にとどろかせた。

 

「全軍!! すすめぇぇぇぇ!!」

「うおおおおおっ!!」


 喊声が空を震わせ、前進が大地を揺らす。

 彗星のごとき豊臣軍は立花軍の方へ目がけて突き進んでいったのだった――。

 

 

◇◇


 これは現代の高校生が転生した豊臣秀頼の物語。

 大坂の陣を勝利で終え、大坂城と家族を守った彼であったが、時代の荒波は安寧を許さなかった。

 果たして彼はこの荒波を乗り越えることができるのか。

 

 物語は『元和の乱』から少しさかのぼったところから始まる――。

 

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