強いおなごになると決めて③ 侍女解任

◇◇


「いやじゃ! いやじゃ! 千を置いてけぼりなんて、ぜぇったいに許さないのじゃ!!」


 ついさっきまでの『大人』な千姫はどこへやら……。

 まるで幼子のように手足をばたつかせながら、彼女は駄々をこねている。

 それは俺の右腕にしがみついている麻里子……いや、伊茶のせいなのは火を見るより明らかだ。

 

――私がたっちゃんを守る! だからこれからはずーっと一緒にいるんだから!


 小さい頃から麻里子は正義感のかたまりみたいな女の子だったが、今でもそれは変わってない。

 いったい何が彼女をここまで駆り立てているのか、俺にはさっぱり見当もつかないが、彼女の燃えるような瞳を見れば冗談ではなさそうだ。

 そしてそんな伊茶の様子を見て、千姫の中で何かがぶっ壊されてしまったらしい……。

 

「千姫様。どうか落ち着いてくだされ。秀頼様はお仕事をしに江戸へ行かれるのです。決して千姫様を置いて伊茶と遊びに行くわけではありません」


 幸村が必死になだめるが、

 

「仕事だろうが、遊びだろうが関係ないのじゃ! 許さぬものは許さんのじゃ!!」


 千姫の嫉妬の炎は鎮まるどころか、ますます燃え盛っていく。

 ついに宗應やその他の家老たちまで駆けつけてくる騒ぎになったが、誰も手出しができずにただ顔を見合わせるばかりだった。

 

 そうしてついに千姫は『伝家の宝刀』を抜いてきたのだ……。

 

「千をどうしても置いていくというのなら、『おじじさま』に言いつけてやるのじゃ! 蘭、青柳! 紙と筆を持て!!」


 さっと全員の顔が青ざめる。

 それもそのはずだ。

 千姫の言う『おじじさま』とは大御所、徳川家康を意味するのだから……。

 俺は慌てて彼女へ声をかけた。

 

「ややっ! お千!! 早まるでない!!」

「止めても無駄じゃ! 秀頼さまなんて、だいっきらいじゃ!!」


 ……と、その時。

 

 

「お千!! いいかげんになさい!!」



 雷のような一喝が城内を震わせると、一斉にその声の持ち主へ視線が集まった。

 それは淀殿だった――。

 

「これ以上のわがままは母が許しませぬ」

「ははうえ……。でも、伊茶ばかりをひいきする秀頼さまが悪いのじゃ!」


 負けず嫌いの千姫は、夜叉のような形相の淀殿に対しても怯まずに立ち向かっていく。

 しかし淀殿といえば、史実では幼い秀頼を守るために徳川家康に喧嘩をふっかけたほどの苛烈な人物だ。

 お家を揺るがしかねない事態となれば、たとえ相手が息子の嫁だとしても鬼にも蛇にもなるだろう。

 

「ならば自分がひいきされるように、己を磨くことです。もしお千が伊茶よりも魅力のあるおなごであれば、秀頼ちゃんは伊茶になど目もくれないことでしょう。敵に勝つには自分が強くなればよいのです」


 いや、そういう問題ではないと思うのだが……とは言えず、俺はただ顔を引きつらせて場を見守っていた。

 ちらりと隣の幸村と宗應を見たが、俺と目を合わすなり、さっと視線をそらしてきた。彼らも「君子危うきに近寄らず」を貫いているということか。


 一方の千姫は涙を瞳いっぱいに浮かべて、唇を噛みしめている。

 淀殿には反論できぬとさとっているが、悔しくてならない様子だ。

 そんな彼女に対して、淀殿は容赦なくとどめを差した。

 

「お千! 今のあなたは負け犬の遠吠えをしているにすぎません! 悔しかったら強くなりなさい! 自分で自分の運命を切り開くのです! いいですね!」


「……はい……」


 千姫のか細い声が響くと、場は葬式のように静まり返った。

 すると柔らかな顔つきに戻した淀殿がパンと手を叩いて静寂を破った。


「では、今宵の夕げは秀頼ちゃんの送別の宴といたしましょう! 且元かつもと!」

「は、はい!」


 急に呼ばれた家老の片桐且元かたぎりかつもとが青い顔をして前に出てくる。

 そんな彼に淀殿は穏やかだが有無を言わさぬ口調で告げた。

 

「あとのことは頼みますよ」

「は、は、はい!」


 こうして場は解散となった。

 侍女の蘭に連れられてとぼとぼと歩く千姫の背中はとても寂しそうで、見るにたえなかった……。

 


◇◇


 翌朝――。

 秀頼と伊茶、それに側近の真田幸村らが江戸に向けて出立する時を迎えた。

 しかし千姫は自分の部屋にこもりっきりで、朝げにも顔を出していない。

 皆が心配する中、淀殿が千姫の部屋の前で侍女たちに命じた。

 

「お千を無理に引っ張りだす必要はありません。つまらぬ意地を張って、戦わずして負けを認めるようなおなごは、秀頼ちゃんのお見送りにはふさわしくありませぬゆえ! よいですね!」


 当然、部屋の中にいる千姫の耳にも届いているはずだ。

 しかし中からは、物音一つ聞こえてこない。

 侍女たちが千姫の胸の内を思って眉をひそめる中、ピクリと眉を動かした者がいた。

 

 侍女たちを取り仕切る大蔵卿であった。


 『鬼』と称されるほどに厳しい彼女。その『しつけ』で幾人の若い侍女たちが涙で枕を濡らしたか……。大坂城の侍女たちのあいだでは神にも等しいほどに絶対的な存在なのである。

 そんな彼女が襖の前で控えている青柳を見下ろしながら、色のない声で問いかけた。


「千姫様のご様子はいかがであったか?」


 青柳はびくんと体を震わせると、小さな声で答えた。


「た、たいへん気落ちされておりまして、寝込んでおられます」


 大蔵卿は何も言わずに、ただじっと青柳を見ている。まるで蛇に睨まれた蛙のように、青柳は白い顔で震えていた。そして大蔵卿は重い口を開いた。


「ところで蘭はどこです?」

「高台院様に呼ばれて朝早くから京へでております」

「そうですか……。ではその襖を開けなさい」

「え? いや、千姫様には誰も部屋に入れるなと固く命じられておりますゆえ……」

「開けなさい」

「……はい」


――スッ……。


 恐怖に屈した青柳が静かに襖を開く。

 部屋は暗く視界はきかない。

 それでも部屋のすみにある布団がわずかに膨らんでいるのは遠目でも確認できた。

 言うまでもなく千姫が布団にくるまっているのだろう。

 

 大蔵卿はじっとその膨らみを見つめている。

 

 凍りつきそうなほどの厳しい視線に、青柳は失神寸前なほどに震え上がった。

 その場の誰もが固唾を飲んで見守る中、大蔵卿は抑揚のない声で言った。


「今この時をもって、青柳と蘭の二人を大坂城の侍女から解任いたします。すぐに荷物をまとめて出ていきなさい」


 それだけ言い残した彼女は淀殿とともに立ち去っていったのだった。


………

……


 青柳を除いた全員が御殿からいなくなった直後……。


「ふふ、うまくいったわね」


 布団の膨らみから笑い声が響いた。

 しかし千姫ではない。

 侍女の蘭だ。

 青柳はひたいの汗をぬぐうと、ぷくっと頬をふくらませた。


「うまくいった……って、蘭! こっちの気もしらないで! あまりに怖くて肝が口から飛び出るかと思ったんだから!」

「相変わらず分かりづらい例えね。まあ、いいわ。じゃあそろそろ行きましょうか」

「そうね……。もう私たちは侍女を解任されちゃったのですから……」

「ふふ、大坂の次は江戸かぁ!」

「へっ!? 江戸? 何をしに!?」


 ポカンとする青柳に、蘭は声の調子を強めて告げたのだった。



「千姫様のお世話をするために決まってるでしょ!!」



 と――。

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