花咲くめおと道【終幕】 おわらぬ道 

………

……


 京までの道のり。

 腹がふくれていたせいもあるのだろうか。

 駕籠の中で揺られながら、見性院はうとうとしていた。

 そして彼女は夫、山内一豊と手をつなぎながら道を歩んでいく夢を見ていた。


 最初は草一本生えぬ不毛の大地だ。

 吹きすさぶ逆風の中を、肩を寄せ合いながら進んでいった。

 そのうちに『辻』とよばれる分かれ道があらわれる。


――こっちへいこう。

――こちらの道がよいわ。


 夫婦は時に相談しながら、時にどちらかに導かれながら、次から次へと辻を越えていった。

 いつの間にか路傍には石が表れ、草が生え、人も増えて賑やかになってきた。

 それでも先の見えぬ道に、彼女の不安が次第に大きくなるのは否めない。

 そんな時は、いつも夫が穏やかな声をかけてくれるのだ。


――信じよ。われらの『めおと道』を。


 と。

 彼女はその声に励まされながら、足を一歩また一歩と踏み出していた。

 いつしか空いた手が柔らかな感触に包まれた。

 

――ははうえ!


 無垢な少女の笑顔が目に映る。

 可愛い一人娘、与祢だ。

 今度は三人で並んで歩いていった。


 とても幸せな気分だ。

 だがそれも長続きはせず、無情にも与祢の手は静かに離れていった。

 

 彼女はなにか口にしようとしたが、声がでない。

 与祢はぶんぶんと手を振りながら、光の中へ消えていった。


――ありがとうございました! ははうえ!


 娘の声がこだました後、代わるように彼女の手を取ったのは優しい顔つきの少年、拾だった。

 

――行きましょう!


 快活な声が彼女にかけられる。

 しかし、そこで彼女は戸惑った。

 この先は踏み出してはならぬ道だからだ。

 ところが一豊と拾の二人は止まらない。

 彼らは一歩だけ彼女の先を進んだ。

 彼女は抑えきれぬ焦燥感に、置いていかないで、と心で叫びながら懸命に手を伸ばす。

 

 一豊が振り返る。

 弾けんばかりの笑顔だ。

 そして一豊はその手をしっかりと掴んだ――。

 

 

 

――どんな道であろうとも二人で歩めば花が咲くのだ。だから迷うな。信じよ。この道を!



 

 次の瞬間。

 

 目の前が白い光に包まれていった。

 景色が流星のごとく過ぎ去っていく。

 

 いつの間にか、拾の姿が消えた。

 そして夫の姿も消えた。

 

 そうして彼女はたった一人となった。

 しかし不思議と孤独を感じない。

 夫の優しい声が彼女を救っていたのだ。

 

 

――信じよ。この『めおと道』を。



 そしてついに見えてきたのは、一人の影……。

 その影に向かって彼女は思いっきり右手を伸ばした。

 

 届け。わが手よ。わが心よ。

 愛する者に届け。

 

 そう願いながら――。


 そして……。



――ガシッ!



 右手を強く握りしめる感触に彼女の意識は現実に引き戻された。



 ゆっくりと目を開ける。



 すると視界に飛び込んできたのは……。

 


「見性院殿。秀頼でございます」



 豊臣秀頼の明るい笑顔だった……。


 見性院の口元に笑みが漏れる。

 期待した人と違ったことへの苦笑いか。それとも期待した自分へ呆れた笑みか。

 彼女自身どちらともつかなかった。

 

「立てますか?」


「ええ」


「では、ゆっくり」


 秀頼に手を引かれながら、駕籠の外へ出た。

 初夏の陽射しがまぶしくて、思わず目を閉じる。

 しかし、次の瞬間にその目が大きく見開かれたのだった――。

 

「見性院殿に一礼せよ!!」


――おおっ!!


 秀頼の一喝の後、広い空き地に大勢の男たちが整列して、彼女に向かって頭を下げたのだ。

 その顔ひとつひとつに見覚えがある。

 なぜなら彼らはみな『土佐』の人だったからだ。

 もっと言えば、長年山内家に抵抗してきた一領具足の面々だったのである。


「この者たちがなぜここにおるのですか……?」

「ははは! われが長宗我部盛親殿に頼んで呼び寄せたのです!」

「秀頼様が?」


 目を丸くする見性院に対して、秀頼ははっきりとした口調で答えた。


「彼らとて、もはや武器を捨てて農民として生きねばならぬことは分かっているはずです。しかしどうしても自分たちの『武士の一分』を捨てきれないでいるのは、武士としての『けじめ』をつけられなかったからであろう。そこでわれは彼らに『けじめ』をつけさせてあげることにしたのです」


「まあ……なんと……」


「もちろん工事の給金は豊臣家から捻出いたしました。それは彼らの『未来』を作る金でございます!」


「なにからなにまで、なんとお礼を申し上げたらよいのやら……」


「ははは! 細かいことは気になさらないでくだされ! われの願いは天下万民を『笑顔』にすること。そのためなら身を粉にして働くのをいとわないのです! さあ、彼らの武士としての最後の輝きを見届けてあげようではありませんか!」


 そこまでで話を切った秀頼は、右手を高々と掲げて、声を天までとどろかせた。

 

「見性院殿こそ『土佐の母』である!! ついては日頃の感謝を込めて、必ずや立派な屋敷を建てると、ここに誓うのだ!! 土佐の魂を見せるのだ!! お主たちが奉公に生きた証をここに残すのだ!! それこそがお主たちが武士であったと刻む一分である! 武士としての最後の奉公である!! 必ずや、やり遂げるのだ!!」


――おおおおっ!!


 一領具足たちが燃え上がる。

 秀頼は右手を振りおろしながら雷鳴のごとき大号令をかけた。


「皆のもの!! 仕事にかかれえぇぇぇ!!」


――おおおおっ!!


 一斉に木材や石材に向かって駆け出す一領具足たち。

 彼らは喜び勇んで『最後の奉公』に取り組み始めた。

 その光景をただ呆然と眺めている見性院に対して、秀頼は一冊の書を彼女に差し出したのだった。

 

「これは……」

「湘南殿よりお預かりしたものです。見性院殿へお渡しするようにと」

「わらわに……」


 見性院は震える手でそれを受け取った後、すぐに自分が宗化に贈った『古今和歌集』であるとさとった。そしてそこに挟まれた竹細工に目がとまった。


「あなたさま……」


 それはかつて一豊が宗化に贈った夾算だ。

 夫を間近に感じたとたんに、大粒の涙が止まらなくなる。

 それでも宗化が託した思いを見届けねばという一心で、彼女は書を開いた。

 そして目に飛び込んできたのは一遍の歌だった。



――初瀬川 ふる川の辺に ふたもとある杉 年をへて またもあひ見む ふたもとある杉



『初瀬川と布留川が合わさる場所に立つ二本の杉の木。

年を経て、再びこの二本の杉の木の下でお会いする日を夢みております』



 それは再会を切望した歌――。



「ああ……」



 滂沱のごとく流れる涙に視界はかすんだ。

 しかし心の中では、鮮明に映っていたのだ。




 『めおと道』に舞う花吹雪が――。




――千代! さあ、行くんだ! まだ終わりではないのだから!




 その声に弾かれるように彼女は叫んだ。 


「拾!!」


 夢の続きに向かって駆け出す。

 まだ終わりじゃない。

 この道の先に待つ幸せに向かって。



 進め。進め。進め――。


 

 そして夢で見た『影』が、『人』となって彼女の目の前に現れた時――。

 

 

「ははうえぇぇぇぇ!!」



 空気を震わせる声。

 彼女を強く抱きしめる腕。


 彼女はようやくさとった。

 


 

「この道は何も間違ってなどいなかったのだ」




 と――。

 


 見性院の様子を離れたところで見つめていた秀頼と千姫の横に、高台院が並んできた。

 そして彼女は噛んで含ませるようにゆっくりとした口調で言ったのだった。

 

「夫婦の道はみんな違うもんさ。どれが正しいというのはない。だから迷う必要も、怖がる必要もねえ。正々堂々と二人の道を歩んでいけばいい。そうすればたとえ離れ離れになったとしても、いつでもそばに相手を感じられるようになるものさ」


 秀頼と千姫の二人は顔を見合わせると、互いにニコリと微笑みあった。

 そしてつないだ手をぎゅっと強く握りしめたのだった――。


 



………

……


 これより二年後。

 一豊と違って千代の寿命は延びることはなく、彼女は息を引き取ることになる。

 そして彼女と夫の山内一豊の墓が妙心寺の大通院に建てられたのも史実と同じだ。

 その墓は『比翼塚ひよくづか』という。

 愛し合った男女があの世でも幸せに過ごせるようにと、寄り添うように建てられた墓のことだ。

 

 別名は『めおと墓』。

 

 そう……。

 

 千代と一豊の『道』はまだ終わってなどいない。

 きっと今でも二人は、愛する家族とともに手を取り合って歩んでいることだろう。

 

 

 『花咲くめおと道』を――。




 花咲くめおと道 (了)

 

 

 

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