花咲くめおと道⑥ 秀頼の直談判

◇◇


――だから、わらわには妙心寺で湘南殿の世話になる資格などないのです。では、あざみ殿には五日後もお薬をいただけることになっておりますゆえ、それまでは高台院様のもとでお世話になります。五日後、ここに立ち寄ってから江戸へ向かおうと思っております。これにて失礼いたします。


 そう言い残した見性院は、高台院をともなって立ち去っていった。

 一方の俺、千姫、あざみの三人はあぜんとしていた。

 

 山内一豊と千代といえば、この世界でも『手本とすべき夫婦』と知られている。

 しかしこんな悲劇を秘めていたなんて……。

 きっと千姫とあざみの二人も同じように思って、言葉を失っていたのだろう。

 

 そんな中、沈黙を破ったのは千姫だった。

 

「見性院殿には幸せになって欲しいのう……」

「湘南殿と見性院様を会わせてあげられねえものか……」


 千姫の言葉を継いだあざみがそう漏らす。

 その後、二人は俺をじっと見つめてきた。

 彼女たちの視線からは強い期待をひしひしと感じる。

 だが彼女たちにそんな目を向けられなくても、俺の腹ははじめから決まっていたのだ。

 

 必ずや見性院を『笑顔』にするんだ、と――。


 

「お千、あざみ! 力を貸して欲しい!」



………

……


 五日後――。

 

 見性院が高台院とともに大坂城にやってきた。

 先日と違うのは、彼女の大きな荷物を持った侍女たちを伴っているところだ。

 つまり彼女はあざみをたずねた後、その足で江戸へ移るつもりでいるということだ。

 侍女たちは控えの間で待機し、見性院と高台院の二人だけがあざみの待つ部屋へと通される。

 

 だが、部屋の中に足を踏み入れた瞬間……。

 

「な、なんでしょう? これは……」


 見性院の目が大きく見開かれた。

 

「よ、ようこそいらっしゃいました!」


 あざみが緊張した面持ちで二人を迎い入れる。

 ……と、次の瞬間。

 高台院の大笑いが響き渡ったのだった。

 

「ははは! こいつはたまげたのう! 部屋中を『菓子』で埋め尽くすとはのう! ははは!」


 そう……。

 部屋の中はまさに足の踏み場もないほどに大量の菓子が並べられていたのである。

 

「せ、せっかく大坂城にお越しいただいたので、珍しいものでおもてなしせよと秀頼様からのお達しでございます!」


 高台院がじろりとあざみの顔を覗き込む。

 あざみは口をへの字に結んでごくりと唾を飲むと、秀頼からの指示を頭に浮かべた。

 

――われとお千が戻ってくるまで、見性院殿を引き止めるのだ!


 高台院は目を細め、小さくうなずいた。どうやらあざみの意図を正しく理解したようだ。

 見性院を座らせると、部屋の外に向かって大声で命じたのだった。

 

「茶道具を用意しておくれ! この高台院が見性院殿に茶を振る舞うでな!」

「はっ! かしこまりました!」


 快活な小姓の声が聞こえてきた後、高台院は見性院の方を向いて力強い口調で告げた。

 

「秀頼殿からのお心遣いじゃ。ここは甘えて、旨い菓子に舌づつみをうっていくがよいと思うが、いかがであろう?」


 理由は分からぬが自分を足止めしようとしていることを、見性院は知っていた。

 だが『将軍の娘婿である豊臣秀頼からの好意』をむげに断れば、山内家にどんな影響をおよぼすか知れない。

 彼女はふっと小さな笑みを漏らした。

 

「ずるいところはお父上の太閤殿下にそっくりですね……。分かりました。菓子をごちそうになりましょう。ただし、わらわの腹の中は大きくはございませぬ。すぐにいっぱいになってしまいますのよ」

「ははは! そんなことは分かっておる! のう、あざみ殿」

「え、ええ。もちろん」


 そう答えたあざみだが、胸の鼓動ははちきれんばかりに高鳴りっぱなしだった。

 そして心の中で切に願っていたのである。

 

――早く戻ってきておくれ! 秀頼様! 千姫様!


 と――。

 

 

………

……


「……秀頼様。久方ぶりに顔を出してこられたかと思えば、ずいぶんと無茶なことをおっしゃる」

 

 ここは京の二条城のすぐ北。

 京都所司代という、京の町を取り締まっている役人がつとめている場所だ。

 そしてその役職についている板倉勝重いたくらかつしげという今年で六九歳になる武士が、しわだらけの顔をさらにしわくちゃにしながら俺を見つめていた。

 

「そこを何とか頼むっ! この通りじゃ!」


 俺は彼に深々と頭を下げた。

 すると彼は慌てた様子で手を横に振った。


「ややっ! おやめくだされ!! 秀頼様に頭を下げさせたなどと江戸の上様に伝わろうものなら、わしの首がどこに飛ぶか知れたものではございませぬ! どうか頭を上げてくださいませ!」

「では、われの願いを叶えてくださるのだな!?」


 ぱっと顔をあげると同時に彼の手をがっちりと握りしめる。

 困ったように眉をひそめる彼の目をそらさず、じっと見つめた。

 そうしてしばらくたった後、彼は「はぁ……」と大きなため息をついた。

 

「……わかりもうした」


 彼はそう言うなり、俺の手をほどいて目の前に置かれた紙にさらさらと書をしたためた。

 それは俺が彼に提出した要望書で、こう書かれている。

 

――見性院の新居を妙心寺のすぐ隣に建てることをお許し願いたい。


 と。

 

 俺は昨日のうちに妙心寺に隣接した場所に空き地を見つけており、新居を建てることを企んだのである。

 そこでまずは「幕府からのお墨付き」をもらうために勝重をたずねたというわけだ。


「おお!! さすがは天下の名奉行だ!!」


 勝重の署名し終えた紙を受け取った俺が嬉々として大声を張り上げたが、彼はまだ心配そうな顔をしている。

 

「秀頼様。しかし新居を建てるとなると資材と人手が必要となりましょう。その目処はたっておられるのですかな?」

「はは! よもや勝重殿は、この秀頼が『人足』まで催促してくると心配しておったのではあるまいな!?」

「これはしたり! よくぞお分かりで。さすがは太閤殿下を継がれた御方じゃ。んで、どうなのですか?」


 勝重の口調は軽いが目は笑っていない。

 この頃の京都所司代は色々と物入りで、少しでも節約したいというのが本音なのだろう。

 

 もちろん俺だって幕府にこれ以上の負担を強いるつもりなど毛頭ない。

 

 

「ははは! 金と人のことなら心配ご無用!」



 立ちあがった俺は手をパンパンと二回叩いた。

 ……と、次の瞬間。

 

――スッ。


 静かに開けられた襖の奥から姿を表したのは、切れ長な目と薄くて小さな唇が特徴的な整った顔立ちの武士。

 

 

 石田宗應いしだそうおうであった――。

 

 

 にわかに勝重の顔に緊張が走ったのは、宗應がかつては『石田三成』という名で、徳川家康と激戦を繰り広げてきたからだろう。

 もちろん豊臣家と徳川家が和解した今は、鋭い牙と爪を深くしまいこみ、豊臣家の筆頭家老として大坂を留守にしがちな俺に代わって領内の政治を一手に担っている。

 とても五五歳には見えないほどに若々しいのは、今でも自ら政治の最前線に立って仕事に取り組んでいるからに違いない。

 そんな彼が勝重に対して、小さく頭を下げた。

 

「僭越ながら申し上げます。見性院殿のご新居建設の件。すでにいつでも取り掛かれる手はずは整っております」


 涼やかな声が部屋に清涼感をもたらす。

 ようやく安堵の表情を浮かべた勝重は宗應に問いかけた。

 

「ならば話は早い。して工事はいつから始めるおつもりか。今から人や資材をそろえるとなると早くても十日後くらいかのう」


 それを聞いた宗應はふっと口元を緩める。

 宗應の様子に勝重の眉間に再びしわが寄った。

 

「何がそんなにおかしいのかのう? わしはそんなに変なことを申しておるか?」

「いえ、失礼いたしました」


 宗應は小さく頭を下げた後、細い目をさらに細くしながら告げた。

 

「それがしも勝重殿とまったく同じことを申し上げたのですが……」


 そこで言葉を切った宗應がちらりと俺に視線をやった。

 穏やかな目だが、ちょっとだけ恨めしさを含んでいる。

 だが彼と目を合わせた俺は、ぐっと眼光を強めた。

 そして彼はどこか諦めた口調で続けたのだった。

 

「今日から工事を始めよ、とわが主君は言ってきかないのです」

「なんと……。秀頼様。それはまた無茶な……」


 勝重と宗應の二人の視線が俺に集まる。

 俺はぷいっと顔をそらしながら言った。

 

「ふん! 一日でも早く新居に移っていただいた方がよかろう! それに資材は京の学府の一部を取り壊した際に出てきたものを使えば足りるはずだ!」


 京の学府とは、俺が徳川家康に立ち向かうために建てさせた学校で、船の建造、武器の生産などを研究する施設のことだ。

 大坂の陣の後は伊達政宗との約定によって仙台に移されている。

 さすがに建物を移設するわけにはいかないので、使わなくなったものは取り壊しとなったのである。

 

「では、人の方は? 京や大坂の大工たちは安田道頓やすだどうとんの進める堀の整備などで忙しくしているはずですが……」


 安田道頓とは豊臣家に出入りしている商人の一人で、堺や大坂の町を整備する役目を担っている。

 今は後世にいう『道頓堀』を作っており、そこに多くの人手を割いているのだ。

 しかしその点についても俺には考えがあった。

 

「その道頓殿から数人の大工の棟梁を貸してもらえることになった。あとは手足を動かす者たちだが、それも手はずは整っておる」

「なんと……。しかしいったい誰が……?」

「それはのう……」


 だが勝重の問いに答えようとした瞬間だった――。

 

――ピシャン!!


 勢いよく襖が開けられたのだ。

 そこに立っていたのは、黄色の小袖を着た千姫だった。

 

「お千!? どうした?」

「秀頼さまぁぁぁ!!」


 千姫は勢いよく俺の胸に飛び込んでくる。


――ボフッ!


 潤んだ瞳で見上げる彼女に、俺は優しい口調で問いかけた。

 

「いったい何があったのだ?」


 すると彼女は今にも泣き出しそうな顔で答えたのだった。

 

「湘南殿に断られてしまったのじゃ……」


 と……。



 


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