第23話 リーンの選択

 眠りから覚め、まだ重たい瞼を開けると朝日で目が眩む。

 漬物石が乗って要る様に身体が重い。

 本当に何か乗っかっているんじゃないかと思い完全に目をひらく。


「あら、起きちゃいました? おはようございます」


 リーンが俺の身体に跨り覆いかぶさっていた。


「マサキ様の寝顔、とても可愛いかったですよ?」

「なにやって……んっ!」

「ふふ、お目覚めのキスです」

「ちょ、な、え?」

「あら? 今ので大きくなっちゃいましたね」

「~~っ! 取りあえずどいてくれ」

「は~い」


 リーンは俺の上から隣に移動して寝転ぶ。

 そしてリーンが話しかけてきた。


「昨夜はありがとうございました」

「もう落ち着いたみたいだな」

「はい、マサキ様のお蔭で」

「それはよかった。これからはリーンの好きな様に生きるといい」


 昨夜、リーンのトラウマになっていた背中の火傷の痕をスキルで消したのだ。

 火傷の所為で奴隷に落とされ苦しい生活をしてきていた。

 だが、もうその火傷の痕は無い。

 トラウマに怯える事無く自由に生きていける様になった。

 と思っていると


「私はまだ自由には生きられません」

「どうして? もう傷跡もないんだから怯える事も無いだろ?」

「奴隷だった私をオーナーが買われたので私はこの宿しか居場所がないのです」


 そういえばそうだった。リーンはオーナーに買われたんだった。その時点で自由なんて無いに等しい。

 ん? 買われたって事はリーンはオーナーの奥さんなのか?


「リーンはオーナーの奥さんなの?」

「いえ、違います。買った奴隷を妻に出来るのは領主様だけです。私はただの労働力として買われました」

「という事はずっと此処で働かなくちゃいけない訳か」

「はい」


 やっと過去のトラウマから解放されて、一からやり直せると思っていたが宿の問題が残っていたか。

 オーナーは悪い人では無いが、メイドに夜の世話をさせている。

 今回もそれが目的で俺にリーンが付いた訳だが、当然オーナーはリーンに火傷の痕がある事は知っていただろう。そして、リーンが拒絶する事も分かっていたはずだ。俺ならリーンに手を出さないと思ったのか? 

 そこまで考えて昨夜の魔法石でのやり取りを思い出した。


 『やはりマサキ様なら任せられそうです』


 もしかしてオーナーはこうなる事を望んでいた?

 だとすると


「リーン、何とかなるかもしれないぞ!」

「えっ?」


 魔法石を使いフロントに連絡を取り、オーナーに部屋に来るように言った。

 しばらくしてオーナーがやって来た。

 部屋に入る様に指示し、テーブルを挟んでお互い席に着いた。

 こうなる事を予測していたのか、微塵も動揺している気配はない。


「どうして呼ばれたか分かりますか?」

「いえ、何か不手際でもありましたでしょうか?」

「リーンの事で何か思い当たる事はないですか?」

「彼女が何かしたのですか?!」


 オーナーはあくまでとぼける気らしい。


「いや、リーンは”何もしなかった”」

「何もなかったのなら何が問題なのでしょう?」

「リーンに火傷の痕があった」

「!?」


 俺の言葉にオーナーは僅かに反応し、横で聞いていたリーンは俯いてしまう。


「何故あんな傷がある女を領主の俺に就けた?」

「いえ、それは……」

「お蔭で昨夜は散々だったよ」

「も、申し訳ありません」

「これは貴方の責任問題ですよ?」

「これには訳がありまして……」

「言い訳は聞きたくありません。俺に不快な思いをさせた責任を取って貰います」

「……」

「そうですね、貴方にはリーンを手放してもらいましょう」

「……え?」

「リーンを労働力として買ったならかなりの痛手でしょうからね」

「そ、それは勿論痛手でございます!」

「俺も鬼じゃないんで、リーンを俺が買いましょう」

「ですが、リーンの所為で不快な思いをされたのでは?」

「俺が買えばリーンに何をしても問題ないだろ?」

「……」


 オーナーは瞳を閉じ、眉間に皺を寄せながら


「リーンをどうなさるおつもりですか?」


 今までの接客用の少し高い声では無い、低く響く声で聞いてきた。


「リーンを自由にしてやりたい」


 俺の言葉を聞き、オーナーの目が大きく開く。


「リーンは幼い頃から奴隷として生きてきたという。その生活の中で火事に遭い火傷を負ってしまった。その火傷の所為で巧に酷い仕打ちをされ、売りに出された後に貴方に買われた」

「……」

「実は巧とは友達なんだ。俺の友達の所為で苦しんでる女の子を助けたいというのが本音だ。だから貴方からリーンを買って自由に生きて欲しいと思ってる」


 オーナーは俺の話を真剣に聞いていた。

 しばらくの沈黙の後、口を開いた。


「これはリーンも知らない事ですが、リーンは私の姪なのです」


!?

 リーンがオーナーの姪? リーンはヴァギール出身じゃないのか?

 

「そんな……」

「今まで黙っていて悪かった」


 オーナーは頭を下げて謝罪する。

 

「ちょっと待って下さい。リーンはヴァギール出身の筈です。ソオヘに居るあなたが叔父とは思えないんですが?」


 当然の疑問をぶつける。

 すると、オーナーは昔を思い出す様に語り出した。


「私も元々はヴァギール出身なのです。妹がリーンを生んで間もなく父親が病で他界しました。それからは私が父親の代わりをしていました。リーンが六歳の時に領地同士の争いが起きました。独身だった私は徴兵で戦場にかりだされました。そんな中私は重症を負い、中立国であるソオヘに運ばれ、治療を受けましたがひと月程意識が戻りませんでした。意識が戻った頃には終戦していて、私はソオヘに亡命した事になっていました。すぐにヴァギールに戻り妹とリーンを探しましたが結局見つからず、私一人ソオヘで暮らすことになりました。そして最近ヴァギールの領主が変わり、ソオヘにも奴隷を売りに出したのです。ソオヘには奴隷制度がなかった為、興味本位で奴隷市場を見て回りました。そこで見つけたのがリーンです。離れ離れになってから十数年経ちますが直ぐにリーンだと気づきました。他の者に買われない様その日のうちにリーンを買いました。リーンは私の事を覚えていませんでしたが、それで良いと思い、今まで主人とメイドという関係でいたのです」


 幸か不幸か、巧が売りに出したお蔭で再会出来たという訳か。


「なぜ自分が叔父である事を隠したんですか?」

「妹やリーンを守れなかった私にそんな資格は無いと思いました」


 オーナーの話を聞き、リーンは複雑な表情をしていた。

 それは叔父が居た事への驚き、今まで自分を一人にした事への怒り、自分を奴隷から買って貰った事への感謝、再会出来た事への喜び。

 そんな様々な想いがリーンには駆け巡っているのだろう。

 部屋には沈黙が経ち込める。

 沈黙を破ったのは以外にもリーンだった。


「もしかして、今まで男性の世話を私にやらせなかったのは私の為なんですか?」

「ああ、リーンにはあんな事させたくなかった」


 この宿はVIP専用で、男の客には夜の世話があるというのが売りみたいだった。

 リーンを男性客に付ければ当然世話をしなければならない。

 しかし、ここで疑問が出る。

 何故俺にはリーンを付けたのか? しかも生娘という情報付きで。

 リーンも俺と同じ疑問を持ったのか、オーナーに疑問をぶつける。


「なら何故、マサキ様に私を付けたのですか?」


 リーンの質問を聞き、俺の顔を見ると


「マサキ様のアルカナでの評判は聞いていた。奴隷を妻にし、元奴隷という事で虐げる事もなく、第一婦人と変わらない扱いをしているとね。そんなマサキ様ならリーンを変えてくれるのではと思ってマサキ様のお世話を頼んだんだ」


 そんな評判されていたのか。

 俺ならリーンを変えてくれると思ったって、俺への評価高くない?

 だが今の話を聞いて、オーナーはリーンのトラウマを知っていたと確信した。

 そしてオーナーもリーンの幸せを願っている事も。


「マサキ様は評判通りの方でした。わざわざ自分が悪役を演じてまでリーンを自由にしたいとおっしゃって下さいました。ですので、リーンはマサキ様にお売りします」

「オーナー……」


 そう言ってオーナーはリーンの両肩に手を置き、言い聞かせるように優しく語り掛けた。


「これから先、幸せな時間もあれば、辛い時もある。だが、それが自由になるという事だ。火傷の事で傷つく事もあるだろう。それでも必死に生きなさい。いつか必ず理解してくれる人が現れるはずだ。こんな事言えた義理ではないが今までの分も幸せになってくれ」

「……っ」


 オーナーの言葉をリーンは涙を流しながら聞いていた。

 そしてリーンはオーナーに笑顔で


「私、幸せになります」


 そう答えた。

 俺もつられて泣きそうになるが、グッと我慢してオーナーに話しかける。


「商談成立という事でいいですね?」

「はい、リーンをよろしくお願いします」


 深々とお辞儀をするオーナーに伝えなければならない事がある


「昨夜、俺は嫌がるリーンの背中を見ました。リーンのトラウマを知っての行動です。すみませんでした」

「マサキ様、それは…」


 間に入ろうとするリーンを手で制し、続ける。


「正直に言うと驚きました。それと同時にリーンの過去を聞きました」


 オーナーは静かに俺の話を聞いている。

 リーンは何故かオロオロしている。


「ですので、リーンの火傷の痕を消しました」

「……え? 今なんと?」

「リーンにはもう火傷の痕はありません」


 オーナーは凄い勢いでリーンに振り返る。


「本当なのか?」

「ええ、マサキ様が綺麗に消してくださいました」


 証拠と言わんばかりに、リーンはオーナーに背中を見せる。

 するとまたしても凄い勢いで俺の方を向き


「一体どうやって? どんな回復魔法でも消えないと聞かされていたのですが…」

「俺は魔法の様な特殊な力が使えるんです。その力で消しました」

「おお、なんという……、なんとお礼を言えばいいのか……」

「俺が勝手にした事なんで気にしないでください。これでリーンは何の障害も無く自由に生きられるでしょう」

「ありがとう…ございます…」


 オーナーは泣きながらお礼の言葉を何度も口にした。


 それから俺とオーナーは事務室に行き、正式にリーンを買い取った。

 俺は部屋に戻り、待機していたリーンに俺が買い取った旨を伝えた。

 

「俺が買い取った訳だけど、これからはリーンの自由にしていい。俺の事も主人だなんて思わなくていいから。リーンの好きな様に生きればいいよ」

「ありがとうございます」

「一応アルカナで暮らせる様に書状を書いておいたから持っていってくれ」

「マサキ様はこれからどうなされるのですか?」

「俺達はこの後グラムスに向かう予定だ。だからここでお別れだな」

「そう…ですか…」

「もっと明るくいこう! リーンの好きな事を一杯やればいいさ」

「はい!」


 今まで見た中で一番の笑顔だった。


 それからリーンはオーナーにも挨拶していくと言い、俺達は別れた。

 リーンならきっと幸せを掴めるだろう。

 そんな事を考えているとドアがノックされた。

 ドアを開けると鞘華とサーシャがいた。


「正樹~? メイドに何もしてないでしょうね?」

「マサキ様、私よりメイドの方がいいのですか?」


 二人して俺がリーンと如何わしい事をしたんじゃないかと詰め寄って来る。


「そんな事する訳ないだろ?」

「正樹って雰囲気に流されやすいからな~。私の時もそうだったし」

「うっ!?」


 痛い所を突いてくる。確かに俺は雰囲気に流されやすい。


「本当に鞘華達が想像してるような事は無かったって!」

「スキルを使っていいかしら?」

「い、いいぞ! やましい事なんてないからな」


 俺が素直に承諾した事に驚いているが


「冗談よ。正樹の事はきちんと信用してるから。嘘は言ってないんだよね?」

「俺、嘘は嫌いなんだ」

「なら私はその言葉を信じるわ」

「私もマサキ様を信じます」


 嘘は吐いていないが、何だろうこの罪悪感。

 俺は鞘華に急かされて荷物を纏めると部屋を出た。

 部屋の外にはコルアとマリーが待機していた。

 そういえば専属のメイドが世話をしてくれるんだった。

 

 ロビーに着いた俺達はフロントで退室の手続きをした。

 鞘華達がメイドから荷物を受け取る時にメイドから

「私もいつか素敵な人を見つけます!」

「頑張って下さい! 影ながら応援しています!」

 という言葉をそれぞれ言われていた。

 そういえば昨日沢山おしゃべりしましょうと言っていたな。

 一体何を話していたのだろう。


 一通りの手続きを終えて宿から出る。

 するとそこには赤いワンピース姿のリーンがいた。

 リーンは俺に向かって


「色々ありがとうございました」


 と言い、一礼すると俺の手を掴んで笑顔で言う。


「私、マサキ様に惚れてしまいました。なので御一緒します!」

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