第十二話 押し寄せる疑問
「しかし、どうしたものか……」
謎の精霊との話し合いが終わってから、ジークは座り込んでなにやら考え事を始めてしまった。だが、それはアイラにとって有難いことでもあった。彼女自身、状況の整理がさっぱりついていないのだ。
なにせこの数分の間に、自分の常識を覆す発言が幾つもあったのだ。
まず、自分の村のこと。村人の顔を一人一人思い出して、奥歯を強く噛み締める。
(本当に誰だ、この辺りに神聖な場所はないと言った大嘘つきは……! 今立ってるこの村がとびきり神聖な場所だったじゃない……っ!)
大声で怒鳴り散らしたい衝動をグッと抑え、アイラは至高に没頭する。
よくよく思い出してみれば、村には小さな祠があった。
誰も拝みもしないただ形だけの祠だったため今まで気にもしなかったものだが、もしかするとそれが精霊を祀る祠だったのかもしれない。
お供え物の一つもない祠が……とは思うけれど。
次にアイラの『風の加護』だ。
ある日突然使えるようになったこの力だったが、まさか精霊に与えられた力だとは夢にも思わなかった。
しかし考えれば考える程分からない。
何故アイラにそんな大層な力が宿ったのか。
何故アイラはそれ程までに精霊に気に入られていたのか。
なにかしたかなと考えてみたが、今まで彼女が掲げた功績なんて、精々畑荒らしを追い払ったくらいだ。そんな些細な活躍が、精霊様のお眼鏡に適う理由になるはずもない。
そして最後に、アイラがそれらについて全く知らされていなかったこと。
どれだけ記憶を遡ってみても、この村に精霊が棲んていたことなんてまるで記憶にないのだ。そもそも他の村の人はこのことを知っていたのだろうか?
今はもう彼らに話を聞くことは出来ないが、何故だか彼らは知っていたような気がする。だが村の人たちには、それをアイラに隠す理由が無い。
仮にアイラの加護が原因だとするなら、その理由はなんだ? この力が危険だからだろうか?
だが先にジークから伝えられた話を聞く限り、この力は恐ろしいものではなく有難いものであることは間違いない。ではなぜ村の人たちはアイラにそれを黙っていたのだろうか。
(もっとなにかあるはず……なにかほかに理由が……)
「よし、決まった」
「ほえ? 決まったって、なにが?」
勢いよく立ち上がったジークはズボンの砂を払い、とてもいい笑顔でこう言った。
「なにって決まってるだろ。お前の訓練の新しいメニューだ」
難しい顔でなにを考えてるのかと思えば……なるほど。
ふっ、嫌な予感しかしないぜ……!
♢
「アイラ、準備はいいか?」
「うん! 準備体操もしたし、いつでも動けるよ!」
アイラが答えると、ジークはニッと笑い返した。
先ほどからジークがおかしい。さっきからずっとニヤニヤと若干下卑た笑いを浮かべている。それはもう不気味なほどに。
ちなみに、ノルマの筋トレは既に全て済ませてある。これでアイラは心置き無く、
(一体なにがそんなに楽しいのだろう……やだなぁ……)
「よし、それじゃあ始めるぞ。いいかアイラ、今までは俺は腕っぷしを鍛えて動けるようにし、怪我をしにくいよう全身に鎧を着せて、
いやいやないないと、アイラは大きく左右に被りを振った。
「そこで、今日からは基礎トレ以外に実戦形式の訓練をしていこうと思う。具体的にいえば、加護を上手く扱う練習をする。実戦形式にするのは、その方が単純にこれからの戦闘に備えてだ。アイラ、さっきの質問を覚えているか?」
「うん、覚えてるよ」
──お前は人を斬れるか。
ジークはアイラにそう問うた。
アイラの村を燃やした魔物……精霊は、人間に操られていたという。それを考えれば、人間と戦わなければならないことは必然だ。
アイラは自ら戦うことを望んだのだ。これに「はい」と答えられなければ話にならない。
だが……
「ごめん……多分、私は人を斬れない」
心では分かっていた。
だが人を斬る勇気なんて、今のアイラにはなかった。
立派な刀を持ってはいるけれど、この刀は村の中で燃え残っていたものを拾ってきただけ。今までな生き物を斬ったことなんて、ただの一度もないのだ。
いきなり人を斬れと言われても、覚悟なんて出来るはずもなかった。
「そうか。まあそれが普通だな。俺も無理にお前に人を斬れだなんて言わない。ただ確認がしたかったんだ。意地悪を言ったようで悪かったな」
「えっ……。あっ、あの……いいの?」
「ん、なんだ? 俺が無理にでも斬れって言うとでも思ったのか?」
正直に言ってしまうとその通りだ。何故なら今アイラがジークに稽古をつけてもらえているのは、彼女が彼に無理を通してでも頼み込んだからだ。
そのアイラが戦わないなんてことが許されるはずもない。
「自分から願い出ておいて……とか考えてるんだろうが、生憎俺はそこまで親切じゃあない。むしろそう言ってくれて有難いと思うくらいだ。アイラ、正直に言おう。今回の戦いで、俺はお前を直接の戦力として数える気は全くない。理由は分かるな?」
「私が……弱いから?」
恐る恐る返した答えに、ジークは溜息と一緒に首をやれやれと言う風に左右に振った。
「阿呆、それをどうにかするための訓練だろうが。そうじゃない。俺が言いたいのは、敵対する相手が強大すぎるってことだ」
「ん、んん……?」
イマイチ要領を得ない私に、再びジークが溜息をつく。
(いやあ……なんというか……。本当に、色々足りなくてごめんなさい)
「あのな? いくらお前が力を付けたって、精霊相手には到底力及ばない。あれは、そもそも人間がどうこう出来るような物じゃないんだ。それが狂化してるならなおさらだ。お前は天災に立ち向かって勝てると思うのか?」
ジークの問いかけに、アイラは首が千切れんばかりに横に振った。
それに一つ頷いて、ジークは言葉を続ける。
「そして、そんなものを使役している人間も同じだ。実力は俺と五分、もしかしたら俺よりも上かもしれない。だから、アイラには悪いが戦闘自体は俺一人に任せて欲しい。誰かを気遣いながら戦って勝てる様な相手じゃあないんだ」
「じゃ、じゃあ私はなにを……?」
ジークがどれほど強いのかは分からないが、アイラの実力が彼の足元にも及ばないのは今までの姿を見るだけでも明白だ。
「アイラには風の加護で戦いをサポートして欲しいんだ。風の加護は、まあ種類にもよるんだが……かなり万能な力の一つなんだ。使おうと思えばなんにだって使えるほどにな」
ジークがアイラの脳裏に浮かぶ疑問を、一つ一つ解消していく。なんにでも使える万能の力。
この力をそんな風に言われたのは初めてのことだった。
未だにこれが凄い力だという実感はないのだが、アイラ自身少しずつ理解が及び始めている。
例えばジャンプした相手の着地点に風を起こすだけで、相手の体勢を崩すことだって出来る。砂を巻き上げて目くらましにすることだって可能だ。
なるほど。確かに加護の力であれば、アイラでもなにか力になることが出来るかもしれない。
「そこでだ。今から加護を使う練習をする。具体的に言えば、そうだな……」
自分でも彼の力になれる。
そう分かっただけで、アイラは胸が熱くなるのを感じた。
ようやく、ようやく彼になにかを返せそうな気がしたのだ。
(絶対、加護の力を自在に操れるようになって、ジークに何か手助けをするんだ。そのためだったらどんな厳しい訓練でも──)
「追いかけっこだな」
(──どんな厳しい訓練でも受けて……え?)
「お、追いかけっこって……どういうこと?」
「期待外れか?」
「正直言うと……うん」
訓練というのだからもっと本格的な内容を期待していただけに、拍子抜けというか……期待外れと言うか……消化不良な感覚がアイラにはあった。
「やっぱり皆そうなのか……なあアイラ。戦闘において一番大切なことはなんだと思う?」
再び問いを投げたジークは、人差し指をピンと立ててこう言った。
大事なこと。その答えはすぐに出てきた。
アイラは"あの本"を何回も何回も。擦り切れるくらい読んでいたのだから。
「そんなの決まってるよ! 答えは勇気! 立ち向かう勇気を忘れなければどんな敵にだって勝てるんだ!」
この世界における原典にして至高の自伝。その中で英雄が語った勝つための絶対の条件だ。
それは誰もが知ってる常識で、数多の記録者の心の中で生続ける言葉だった。
「『デュランダル・レコード』か……」
一瞬、ジークの表情に影が差した気がした。
その影はすぐに消えたが……何故かこの時、アイラは彼を酷く傷つけてしまったように感じた。
だが、その影が見えたのもまた一瞬。
瞬きの間に、ジークはいつもの穏やかな表情に戻っていた。
「それも確かに大事だ。敵を目の前にして怖気づいていたら、ついこの前のアイラみたいになってしまうからな」
「うぐっ……」
ジークはいい人ではあるのだが、それ故にたまに吐く毒がかなり痛い。
優しさからくるものならばなおのこと心に刺さる。
「戦いにおいて大切なこと。それは生き残ることだ。例えどんな勝ち方であれ、結局最後に立っていた奴こそが勝者と呼ばれる。だから俺が人に教える時には、まず逃げる方法を教えている。何回負けたっていい。生きてさえいれば、必ず勝機はやってくる」
アイラはなるほどと一つ頷く。しかしその裏で、彼の意見に反発する自分も居た。
「英雄になろうとするな。生き汚くていい、かっこ悪くていい。まずはとにかく、生きることだけを考えるんだ」
何故なら今の言葉は、あの本の言葉の全く反対の意見だったからだ。
「まあこの意見をお前が受け入れようが受け入れまいが、今日やる訓練はもう決まっている。さあ、鬼ごっこを始めよう。加護を使って俺から全力で逃げて見せろ。正午になる前に一度でも俺を捲くことが出来たら、今日の夕飯のおかずを倍にしてやる」
「ほ、ホントに!? 嘘は無しだからね!」
大喜びではしゃぐ私に、ジークは意味ありげに微笑んだ。
恐らく食べているアイラの様子を観察して日ごとに少しずつ味付けを変えているのだろう。
彼の作る料理は日に日にアイラの好みの味になっている。きっと、ほっぺたが落ちるとはこのことを言うのだと、アイラは心の中で惜しむことなくジークの料理へと称賛を送る。
「ああ、約束だ」
ジークは真剣な顔付で短く応えた。
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