第十一話 テンペストの精霊

「突然風呂場に現れた少女か……。ウル、結界に解れはないか?」

「そんなモノあるわけナいじゃなイ。張ッてからこの結界には傷一つ付いてないンだかラ」


 得意げに語るウルの顔に嘘は見受けられない。

 つまりアイラの見た少女はウルの……ウンディーネの張った結界を、しかも張った本人に気付かれることなく容易く潜り抜けられる程の実力の持ち主だということになる。

 ウルの張った結界は、守るというより隠れることに適している。水の性質を利用して辺りの風景を取り込み、外界からの知覚を鈍らせる。それは、視覚でものを判別するを全ての生物に適応される能力だ。


 この辺り一帯に嗅覚や聴覚に秀でた魔物は居ない。だから外界からはまず見つかることはない筈だ。

この場所が見つかるとすれば、迷い込んだ人間を除いて、この結界を探す者に限定される。


 結界の中に入るには『入ろうとする意志』を持つことが必要となってくるのだ。


「結界についてはまたにするとして……さて、話しを戻そう。アイラはその少女の攻撃を受けて風呂場で気絶した。間違いないか?」

「い、いや……あれは攻撃というより力加減を間違えたって感じだったような……」

「加減を間違えた?」


 アイラは少し考える様に俯き、言葉を続けた。


「あの時あの子からはその……敵意みたいなものを一切感じなかったの。なんというか……ただ私にじゃれつこうとしていたというか……」


 敵意はない……か。

 本人が言うのなら間違いないのだろうが、しかしアイラは単なる村娘だ。申し訳ないが、その言を鵜呑みにするわけにはいかない。

 あちらに敵意があろうが無かろうが、現時点では情報が余りに少な過ぎる。


 判断材料が足りない以上難しいことだが、今のうちに敵なのか、味方なのかを検討付けていないとおかねばならない。

 このままでは迂闊に次の行動に移ることも出来ない。


「アイラ、その少女とどんな会話をしたんだ?」

「うーん……話って言われても……あっ、そういえば。なんかその子、私のこと知ってる様なことを言ってた。私は全く覚えてないんだけど……それと、もう一個気になることを言ってたかも」


 アイラは俯いていた顔を上げ、深緑の瞳と目が合う。

 どうやら彼女の中で考えが纏まったようだ。


「気になること?」

「うん。私があの子にいつ会ったかを聞いた時、その子は八年くらい前って言ったの。そうしたらその後平手を打って、アイラは人間だからみたいなことを言ってたと思う。だからもしかすると……」

「精霊、もしくは人のなりをした別の何かかもしれない……ってことか」


 あまり考えられることではないが、仮にその少女が精霊ならば、結界を破られたこと、アイラから強い精霊の臭いがすること、それが一夜にして突然発生したこと。その全てに説明がつく。


「しかし何故アイラが……特別と言える特徴って言ったって、足が凄く速いことくらいしか……」


 精霊が特別視するのは、それ相応の理由があってこそだ。

 しかしまだ数日の付き合いだが、俺にはアイラにこれと言って特別な物があるとは思えなかった。

 もし相手が男だったら容姿に惹かれたという可能性もあるが、同性であればその線は考えても仕方がない。


「へ? 足が速い? 私ってそんなに足速くないよ?」

「そんなはずないだろ。現に恐剣狼テラーウルフから走って逃げていたじゃないか」

「あ、ああそういうこと。それは多分──」


 するとアイラは突然立ち上がり、その場で軽く跳躍した……かの様に見えた。


「なっ──!?」


 確かにアイラは軽く跳んだだけだった。しかし目の前の少女は己の身長の三倍もの高さまで飛び上がっていた。

 この一連の動作の中に、魔法が使われた気配も仕草も全くなかった。

 自分の予想を覆す光景に思わず言葉が喉に詰まった。


 俺が呆けている間にアイラの落下が始まる。

 そして着地の瞬間、俺はアイラの驚異的な跳躍力と、件の走力の全てに合点がいった。


「そうか、『風の加護』か」


 着地の瞬間で落下の速度が急激に落ち、ゆっくりと着地したことから何らかの力を使ったことは明らかだ。

 魔法の気配がない、しかし人ならざる者の力が働いているのは確か。ならば残るのは『精霊の加護フェアリーズ・ギフト』以外有り得ない。

 『精霊の加護』とは、人間に極稀に表れる特殊な力のことだ。超能力と言われる場合もある。

 だが力の発生条件は世間では不明とされていた。何故ならば時期年齢が全く関係がなく、ある日突然現れるためだ。


 だが俺は従える精霊たちからその条件を聞いていた。


 彼女たち曰く、人間が『加護』を得るということは、その人間が『精霊に好かれている』という事らしい。

 気に入った人間に、精霊が己の力を分け与えたもの。それが『加護』の正体だ。

 アイラの力は恐らく風属性の加護だろう。

 一瞬闇属性の魔法である『重力操作グラビティ・オペレイト』とも考えたが、アイラの周囲の雑草は落下に合わせて揺れていた。

 走力強化に使っていたことも考えると、やはり風属性が妥当だろう。


「そう! あのオオカミから逃げる時もこの力を使って逃げてたんだよ!」


 アイラが初めて見せる誇らしい表情に少し頬が緩む。


 この力は本当に誇っていい力だ。なにせ行使する時に一切の魔力を消費しないのだ。俺には加護がないから分からないが、『加護』は魔力ではなく精神力を消費するらしい。

 極論、気合いさえあれば生涯発動しっぱなし、ということも可能なのだ。


「それジャあアイラのとこに現れたソの少女は、もしかシたらその加護をクレた精霊かもしれないってことネ!」

「なるほどのう。それならばこの臭いのキツさも頷ける。よほど我らの存在が気に入らなかったのじゃろうな」


 つまるところ、動物でいうマーキングのよのなものということか。

 精霊が自ら加護を与える程アイラのことを気に入っているのだ。ウルやサラに『これは自分の所有物だ』というのをアピールしたかったのだろう。


 であれば、解決方法も自ずと見出せる。


「聞いているか精霊! この二体……いや、三体の精霊は俺と契約を結んだ精霊だ。アイラに危害を加えたり、たぶらかすような真似は決してさせないと約束しよう!」


 マーキングをした本人が、その場所を離れるとは考えにくい。

 俺は一か八か、大声を張り上げて呼びかけてみた。


「だからどうかこの印を消してほしい。このままだと俺の精霊たちの活動にも支障が出る。それになにより、アイラのためにならない。今のアイラの願いを叶えるには、俺の精霊たちの協力が必要なんだ」

『……。貴様の事情なんぞ知らぬ。だが、アイラのためと言うのなら……。アイラ、この者たちと共に行動することが、貴方の望みなのか?』


 霊体化したままではあるが、精霊にはこちらと会話をする意志があるようだ。

 アイラの名前を出せばもしやとは思っていたが……どうやら上手くいったようだ。


「えっ、ええっと。うん! 私はこの人たちと一緒に居る約束をしてるの。だから、ウルたちに助けてもらえないとちょっと困るというか……ケガしちゃうかもというか……」


 おい、なぜ俺の方を見ながら言うんだ。まるで俺がお前を虐めているみたいじゃないか。


『そうか。アイラがいいと言うのなら、この印は消してやろう。だが……吾輩は貴様のことは欠片も信用が出来ぬ』


 突然精霊の雰囲気が変わった。

 森中の木々がざわつき、放たれた凄まじい殺気で一瞬全身が竦む。

 気配を急変させた精霊はアイラに対する友好的な態度が一変し、殺意を剝き出しにして言葉を紡ぐ。


『貴様からは危険な臭いがする。精霊を従えているというだけで危険だというのに、吾輩は精霊より貴様に身の危険を感じているのだ。気配は人間だが臭いは全くの別物……吾輩と同質、あるいはそれ以上のなにかを感じる。そんなものが、ただの人間である筈がない』


「もうなっちまったものをどうこう言われても、俺にはどうすることも出来ない。今でさえ便利に使ってはいるが、昔は──」

『知らぬ。貴様の都合などに興味はない。吾輩の興味は、貴様が有害か無害かのみにある』

「まあ、そりゃそうだ。じゃあ、どうすれば俺はお前に無害かを証明出来る? 今後のためにも、俺はお前と友好的でありたい」


 精霊から少し戸惑うような気配を感じる。

 状況だけ見れば、突き離そうとしている相手に仲良くしようと言われたのだ。精霊にしては些か人間味を感じるが、彼女の混乱も当然と言えば当然の反応なのろう。


『……。貴様は阿呆なのか?』

「高位の精霊をこれだけ従えてるんだ。それくらい察してくれ」


 俺の返答に精霊がクツクツと笑うのが分かった。愚痴の様なものだったのだが、彼女の好みの返答だった様だ。


『ははっ! 確かに貴様ほどの阿呆は、この世界には存在しないだろう。すまなかったな。貴様がアイラの窮地を救ってくれたことも知っている。アイラの申し出を受けて、手解きをしているのも知っている。だが貴様が余りにも面妖な気を放っている故、つい身構えてしまった』


 殺気か消え、元の穏やかな森に戻る。

 俺は薄っすらと額に浮かぶ汗を拭い、ようやくほうと一つ溜息をつく。


「本当にアイラを大事に思っているんだな」


 人間とは別種である精霊が下手な芝居を打ってまでアイラを擁護したのだ。それだけで、アイラが彼女からどれほど目を賭けられているかが伺える。


『無論だ。アイラは吾輩の宝だからな』

「た、宝!? 私なんかが!?」

『当然だ! 可能ならば今すぐにでも実体化して抱き締めたいくらいなのだが……今の吾輩にそれは不可能だ。なんと歯がゆい……』


 霊体でも分かるほどに、彼女は酷く落ち込んでいる様子だ。


 しかし、実体化が出来ないとは一体どういうことだ? それではアイラの話では昨日は確かに少女と会い、その少女のじゃれつき……のような攻撃によってアイラが気絶した話と辻褄が合わないではないか。

 その思考を途中で放棄する。頭の中で仮設ばかり立てていても埒が明かない。目の前に答えを持つ者がいるのだから、聞いた方が手っ取り早いだろう。


「実体化が出来ないって、一体どういうことだ? まさかと思うが……お前、力が弱っているのか?」

『吾輩が眠っている間に何者かが神聖な土地、吾輩の村を穢していったようでな……眠りから覚めてみれば、吾輩の霊力は極めて脆弱なものになっていたのだ。そして昨晩、アイラに会うため残る霊力を振り絞って実体化したはいいものの、吾輩が喜びの余りアイラを傷つけてしまってな……その治療や眠ったアイラの運搬とで、とうとう実体化すらままならなくなってしまった訳だ』


 ええっと……うん。情報を整理しよう。


 まずはこの精霊だが、今の発言からコイツは昨日サラが言っていた、村に居たという精霊で間違いないのだろう。

 次にコイツの元々の棲み処だが、どうやらアイラの村を縄張りとしていたらしい。これではアイラに聞いた情報や、俺の調査内容と齟齬が出るが、実物を見てしまえば何も言えない。


 居るのだから、居たのだろう。


 最後に昨日。

 アイラの身に起きた事件だが、これは今精霊が話した内容通りだろう。

 推測だが、気絶したアイラに治癒魔法をかけ、キャンプ地に運んだところで力尽きた……といったところか。

 アイラの衣服が風呂場に置きっぱなしだったこともこれで説明がつく。


 なんだ? 精霊はどこか残念なところを一つ設けるみたいな決まり事でもあるのか?

 ウルやサラ、更にノーグと、そこに微力ながらアイラも加わって、正直問題児はもう飽和気味なのだが……


「ん、待てよ? それじゃあ結界はどうしたんだ? ウルの結界はどうやって破って中に入ったんだ?」


 そうだ。今の話しが本当ならば、この精霊がウルの結界を敗れる筈がないのだ。

 危うく一番肝心な所を見落とすところだった。

 これは今後の行動にも影響を与えるため、極めて重要な問題だ。必要であれば、ウルともう一度結界の見直しをしなくてはならないだろう。


『なんだそんなことか。そんなもの決まっておろう。この森は吾輩の領域だ。であれば、森の中に張った結界の中に入ることくらい極めて容易だ。人間で例えるならば、塀を跨いだといったところか?』

「あ、ああ。そういうことだったのか。それなら結界内に侵入するのは簡単だな。場所も違和感を辿ればすぐに見つかるだろうし」


 これは自分の庭に虫が巣を作ったのと同じ理屈だ。

 蜘蛛が見つかりにくい様に巣を張っても、その家を熟知した家主にはいずれ見つかってしまう。

 その巣を破り捨てるのも、指を這わせて遊ぶのも、それは家主の自由だ。


 今回の場合その家主が家と交信が出来るのだ。見つからない方がおかしい。


『そこのウンディーネが張ったのだろう? 若いのに良い結界を張るものだ』

「わ、ワタシ? もしかシて褒められてるノ?」


 この質問は聞かなかったことにしよう。肯定したら調子づくのは目に見えて明らかだ。

 ウルの機嫌を取ったところでこちらが疲れるだけなのは、もう何年も経験済みなのだから。


「それで? 一体お前はどんな精霊なんだ? 今後お前の力に頼る時が来るかもしれない。必要であれば俺の魔力を好きなだけ食わせてやる。アイラを守るためにも、必要なことなんだ」


 テンペスト村という名前や、アイラに与えられた加護から察すると、風系統の精霊であることは間違いないのだろうが、その中でも区分は多様だ。

 例えば風を操ることが出来るのか、生成することが出来るのか。これだけでも働く力は全く別のものだ。

 そのため出来るだけこいつの能力を正確に把握しておきたい。


『ふむ、一理ある。魔力の供給という話も実に魅力的だ。だが、すまない。吾輩はその質問に対して明確な答えを持っていないのだ』

「ん、どういうことだ……? まさかとは思うがお前……」


 この流れは知っている。過去に幾度か経験した。身に覚えがありすぎて恐ろしい程だ。

 そして、何故か自信満々で返ってきた返答は、俺の予想と一部も違わない物だった。


『そう。そのまさかだ。吾輩は……己がなにを司る精霊なのか、さっぱり分からんのだ』


 そうあっけらかんとして笑う精霊を見て、俺は悟った。

 ああ、どうやらコイツは本当に……本当にどうしようもない程にポンコツなのだと。



 ♢



 全く次から次へと、ここに来てから面倒ごとは増えるばかりだ。

 魔人の目撃情報、村を滅ぼした魔物ときたら、今度は記憶喪失の大精霊ときた。

 恐らく精霊は嘘を吐いている。

 概念の思念体である精霊が、自らの存在理由を忘れて実体を維持できるわけがない。


 だがそんなことは、心の底からどうでもよかった。

 俺に茶番に付き合う余裕はない。

 彼女の存在でようやく、停滞していた思考に兆しが表れたのだ。

 これを利用しない手はない。


 見極め、そして鍛えるんだ。

 少女が持ち得る『力』を磨き、その使い道を定めるために。

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