第十話 マーキング
眼前に立つ少女は物凄く怒っていた。
何故かは分からないが、次に返答を間違えればお前を燃やす。怒りに燃える深紅の瞳はそう語っていたから。
炎、それは嫌でもあの記憶を叩き起す。少女に抱くのとはまた別の恐怖に震えながら、アイラは行動を起こした。
脅え切ったアイラは今度こそ完全に腕立て伏せを中断し、正座の姿勢を取り、少女と目を合わせた。
きっと後からペナルティーを追加されるのだろう。
だが──
(そんなの構うものか! 今は命の方が惜しい!)
「もう一度だけ問う。汝、名は何と言う」
「あ、アイラです! アイラ・テンペストです!」
「ふむ、やはり主から聞いた名で間違いないようじゃな。アイラ、貴様に一つ聞きたいことがある」
質問に答えたことで機嫌が少し直ったらしく、少女の周りに立ち昇っていた陽炎はいつの間にか消えていた。
しかし安心はできない。次の質問の答えを間違えた瞬間「はいさようなら」という事態もあり得るのだ。
慎重に、慎重に答えないといけない。返答一つ間違えるだけで、アイラの命は蝋燭の灯のように吹き消えてしまうのだから。
「これ、そんなに脅えるでない。我に失礼だとは思わぬの──いたっ!?」
突然少女の頭にげんこつが振り落とされた。
ゴツンといい音が聞こえ、何故かアイラも少女と一緒になって後頭部をさする。
「おい主よ! いきなり頭を叩くでない!」
「やりすぎだサラ。炎使って脅迫紛いなことをしておいて、脅えるなっていうほうが無理があるだろ。俺と違ってアイラはただの村娘なんだぞ?」
「じゃ、じゃがのう主よ……ひっ!」
ジークの冷え切った視線を受け、先ほどの気迫は何処へやら。少女は急にしおらしくなってしまった。
少女の容姿も相まって、見方によってはジークが少女を虐めているようにも見える絵面だ。
「全くどいつもこいつも……はぁ。アイラ、驚かせてしまってすまなかった。こいつの名前はサラ……ウルと同じ、大精霊のサラマンドラだ」
「へ、へえ……」
「サラです……歳は……えっと……五千歳くらい?」
(……今の言葉は聞かなかったことにしよう。彼女の名誉のためにも、私の精神の安定を保つためにも)
サラという名はジークとの会話の中で幾度か聞いた名だ。
とするならば、昨日の会話を聞く限り、ジークには少なくとも後一体は精霊がいることになる。
精霊を、それも大精霊クラスを何体も従えていて、彼は無事なのだろうか。
精霊を何の代償もなく従えられる筈がない。
精霊の位が上がれば上がるほど、求められる代償行為も激化していき、命まで求められることもあると聞いたことがある。
ジークはいったい何を代償として精霊を従えているのだろうか。いや、そもそも彼は何故、何を目的としてこれほどの精霊を、しかも何体も使役しているのだろうか。
膨れ上がっていく好奇心を、辛うじて理性が止める。過す時間のあまりの濃さに忘れてしまいがちだが、ジークとはまだ出会って三日と経っていないのだ。
そんな相手に明かしていい内容じゃあないだろう。
「しかし、しょうがないじゃろう主よ……これが我の性分なんじゃ。燃やされなかっただけ有り難いと思うがよ───いてっ!」
「なんでもすぐに燃やすな。それに、人間には優しくしろって契約した時に約束しただろうが。約束を破るつもりか?」
契約とは別に約束を?
そんなことが出来るとは、余程良好な関係か、逆に片方が強すぎる契約なのだろうか。
だが二人を見る限り、ジークが彼女を一方的に支配している様子も見受けられない。つまりはきっとウルと同じくサラとも仲が良いんだろうと、アイラは自分の思考に結論付けた。
「そ、そんなつもりは毛頭ない! そもそも、あの程度の魔力で脅える方がおかしいんじゃ! 我は悪くないぞ!」
「だから、無防備な人間に威嚇するなって言ってるんだ。あと、多少の魔力とは言うがお前は精霊。それも大精霊クラスだろ。そんな魔力をなんの耐性も持たない人間に向けて、脅えないわけがないだろう。魔力の質が全然違うだろうが。それに言っただろ。コイツはあの村の被害者だと」
ジークの言い分に反論できず、サラはとうとう黙ってしまった。
特に最後の一言を聞いた時、サラの小さな肩が弾かれたように跳ね上がった。尖った性格のように見えたサラだが、彼女もウルと同じく人を想う心の持ち主なのかもしれない。
喧嘩の様子をただ黙って見ていたアイラだが、流石に可哀そうに思えてきた。
精霊とは言え見た目は幼い少女だ。
ジークの気遣いはとても有難いのだが、今の光景を目の当たりにしてしまえばそうも言っていられない。
少し……いや、かなりの勇気を振り絞って、アイラは彼らの会話の間に割って入った。
「あの……流石にちょっと言いすぎじゃないかなって……ほら、私も別に気にしてないし……きゃあ!?」
そう声をかけた瞬間だった。
サラはパッと顔を輝かせたかと思うと、目に追えない程の速度でアイラの背後に回り込んだ。
「ほれみろ主よ。アイラもこう言っているではないか!」
「お前、ホントに都合がいいヤツだな……はあ。アイラが気にしてないなら俺からはもう言うことはないよ」
不承不承といった様子だが、どうやらジークはサラに根負けしたらしい。この人も気苦労が絶えないなと、アイラは他人事のように同情を寄せた。
「ふっ、流石我が主様よ。器が広い! のうアイラよ……主もそう思わぬ……む? アイラ、お主かなーり臭うぞ?」
「えぇ!? 腕立て伏せで汗搔いたからかな……」
驚きの感情をそのままに、アイラは恐る恐る自分の腕に鼻を近づける。
(くんくん。うーん、そんなに臭うかな……?)
「いや、そうではないのじゃ……。アイラ。お主、もしや精霊使いではないか?」
「わ、私? いや、私は精霊使いどころか、ジークに会って初めて精霊を見たくらいだし……どうしたの?」
私の返答にサラは更に眉を歪め、アイラの全身を舐めるように見る。
どことなく既視感を覚えるが、彼女はサラが答えるのをじっと待った。
程なくして、サラの両の瞳が確信の色を帯び、困ったように頭のてっぺんを数回掻いた。
「うむ……間違いない」
「何が間違いないんだ?」
もどかしさを隠そうともせず、ジークがサラに先を早く言うように促す。
サラもそれに従い、アイラの方へと向き直った。
「お主から精霊の臭いがする。それもそこらに漂う有象無象ではない……大精霊の類の物じゃ」
「なっ!? どういうことだサラ!」
ジークが驚きをあらわにし、声を荒げる。
しかし事の当事者であるアイラは理解が追い付かず、またも間抜け面を晒していた。
アイラから大精霊の臭いがする。そんなことがあるはずない。
何故ならば彼女はただの村娘で、本物の精霊にだってついこの間会ったばかりなのだから。
そう自己問答するアイラを他所に、サラは言葉を続けた。
「昨日主と行った廃村で、精霊の臭いがすると言ったじゃろう?」
「あ、ああ。確かに言っていたが……おい、まさか!」
廃村……というのはアイラの村のことで合っているのだろうが、精霊の臭い?
アイラの村に精霊なんて祀られていないし、そんな大層なモノが近隣に棲んでいるという話は聞いた憶えがなかった。
昨日ジークが行った村の調査に同行していれば少しは話を掴めたのだろうが、アイラは今初めて聞く話の内容にただただ困惑することしか出来ないでいた。
しかし彼女の理解が追い付く前に、彼らの話は進んでいく。
「ああ。その精霊と同じ臭いが、こやつからするのじゃ。それはもう、咽てしまいそうな程にな」
「どういうことだ……? おいウル! 出て来い!」
ジークが呼びかけると、先と同様にジークの身体が発光し、今度は青白い粒子が人間を形作った。
輝きが収まると、そこでは一昨日から何度も顔を合わせた精霊が不思議そうに首を傾げていた。
「ン、どうしたノ? あっ! アイラダ! 今日も修行頑張って……くっサ!?」
「そんなに!?」
喜色満面で近づいたかと思えば、奇声を上げて、ウルは鼻を摘まんでそっぽを向いてしまった。
体臭がキツイというわけではないにせよ、こうも臭い臭いと言われ続けると、このまま女の子として生きていく自信をなくしてしまう。
「アイラどウしたノ!? なんだかスっごい精霊臭いワ!!」
「わ、私も分かんないよ! ううぅ……」
鼻を摘まんで離さない二人の反応を見るに、決していい臭いではないことは確かだが……そうも悲鳴を上げられると、アイラの旺盛な好奇心が刺激されてしまう。
一体全体どんな悪臭なのだろうと、アイラは再び自分の二の腕に鼻頭を押し当てた。
「ううむ……馬鹿が見逃しただけだと思ったんだが……流石にそこまでの馬鹿じゃあないか……」
「呼び出しといてナニよその言い草ワ! ワタシだっテ怒る時は怒るわヨ!?」
(この二人って顔を合わせる度揉めているように感じるのだけれど、気のせいじゃあないよね。喧嘩するほど仲がいいとも言うし、放っておいて問題はないと思うけど……)
「これ主ら。客人の前じゃぞ? 仲が良いのは大変結構じゃが、体裁くらい気にしてもらえんかのう」
先ほど怒られたばかりだからか、サラは今度こそ怒りを抑えられたようだ。
足元の雑草は黒焦げになっているが、先のようにサラが炎を出すことはなかった。
えらいえらい。
「そいつは客じゃない。仲間だ。しかしどういうことだ? 確かに昨日までアイラに異常はなかったんだよな?」
「勿論ヨ。だってコンなに臭うのに気付かないワケがないじゃなイ」
「となると俺達が居ない間ってことか……。アイラ、昨日の晩なにか変わったことはなかったか?」
(昨日の晩? 昨日の晩と言われても、お風呂に入ってご飯を食べたくらいしか……あっ)
「もしかしたらなんだけど……」
「ん? なにかあるのか?」
「うん。昨日、お風呂で変な女の子と会ったんだ」
詳しくと続きを促され、アイラは昨日お風呂場であった出来事をありのままジークに話すことにした。
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