第18話 「クズの最後」
明確な敵意が乗せらせた異形の腕は、伸縮自在な動きで襲い掛かってくる。
口に生えている鋭い牙に捕まれば、簡単に肉を裂かれ骨を砕かれるはずだ。しかし、こちらの攻撃手段は刀。攻撃できる範囲が限られるだけに倒すためには近づく他にない。
だが異形の動きは宿主の意思も合わさったせいか加速している。速度的に差はほとんどないだけに重要になるのは先読み。敵の動きに慣れなければ反撃に転じるのも危険だ。
そのため、巧みに体重移動して隙を見せないようにしながら異形の腕を避け続ける。
「どうしたどうした! さっきから避けてばかりじゃないか。最初の勢いはどうしたんだい? そんなんじゃ僕には勝てないよ!」
こちらは生身の人間。それに対してあちらは多少の傷では死なない魔人。
同じ土俵で勝負していないのにさも同列で戦って自分が優位に立っているように言ってくれる。そんな安い挑発に乗るほど未熟ではないが。
これまでの動きからして、あの腕が伸びる範囲を限られている。
直線距離で測ったわけではないので正確性には欠けるが、長さは約10メートル。それくらい俺を追いかけると一端俺を襲うのをやめ、元の長さに戻っていた。
単純に体力的なインターバルなのか。それともゴムのような性質を持ち、戻ろうとする力が働くことで長さを維持するのが困難になるのか。
何にせよ反撃に転じる瞬間はそこにあるはずだ。
「あぁもう、ちょこまかちょこまか動きやがって! 男なら正々堂々戦えよ!」
正々堂々なんてよく言える。意味をちゃんと理解しているのだろうか。
ここまでの発言からして奴は自身が絶対正しい。または絶対に正しくあらねばならないといった考えがあるように思える。
故に他人のあらを探して自分より劣る部分を見つけ貶し、自分が優位なのだと、自分は間違っていないのだと口にする。
それは逆説的に自分に自信がないのではないだろうか。
自信がないから他人と比較する。他人より上と思えなければ、自分の存在意義が消えるように感じる。云わば劣等感の塊だ。
「なら……」
あまり褒められる方法でもないがやってみるか。
騎士様が居たらああだこうだと文句を言われそうだが俺は騎士ではない。それに……あちらも散々煽ってきたのだからこれから俺がすることはある意味正当な報復だろう。
異形の腕が予想外の動きをしても対処が間に合うよう一度距離を取り、構えを解いて自然体で立つ。
「おや……ついに観念したのかな?」
「まさか。お前みたいな無能に殺されたくはない」
「な……い、今何て言った? この僕に向かって無能だと?」
予想以上に苛立ちを見せるヨルクに対し、俺はわざと嘲笑をこぼす。
「どう考えても無能だろ? 無能じゃないなら同じような指摘を何度も受けるはずもない。だが……お前は何度も同じ指摘をされたんだろ?」
「それはあいつが八つ当たりでしてただけだ! 僕は悪くない!」
「本当に八つ当たりだったのか? お前には本当に非がなかったのか? この世に完璧な人間なんていない。もしも自分を完璧だと思ってる奴が居るとすれば、そういう奴ほど無能だ。自分を特別だと思わないと他人と向き合うことすらできないんだからな」
我ながらよくスラスラと言葉が出てくるものだ。
まあこれまでに何度も自分勝手で自己中心的な考えな輩は見てきた。故にそのとき口にはしていなかったかもしれないが、心の中では似たようなことを感じていたのだろう。
無論、多少盛っているとはいえ単純に本音を垂れ流しているからというのも理由だ。奴に対しては何の配慮も遠慮もする必要はないのだから。
「それに……お前はさっきその腕を自分の力だとか言っていたな?」
「こいつは僕の腕だ! 僕の力だ。それの何がおかしい!」
「別におかしくはないさ。確かにそれはお前の力さ。だが……ようはそいつがなかったら無力なんだろ? 自分が弱いと理解しながら強くなるために何かしたわけじゃない。何の努力もなく得た力……」
「力はただ力だ。なら過程なんてどうだっていいだろ!」
確かに力はただ力だ。
どんな力だろうとその根底は変わらない。だが、だからこそ使う者の心が大切になる。
「剣を振るとか魔法を覚えるとかそんなの時間の無駄なんだ。無駄なく得られる力こそが1番だって何で分からない。だからお前らみたいな馬鹿は嫌いなんだ!」
「馬鹿なのはお前だ。剣を振るからこそ剣の重みを、命を絶つことへの重みを知る。魔法を覚える過程でその魔法の利便性や危険性を知るんだ。それを無駄だと思うお前は無知以外の何者でもない」
俺の言葉にヨルクは歯を食いしばり憤慨している。
それに呼応するように左腕の異形も興奮気味だ。もう少し攻撃を誘えば反撃に転じる機会が得られる気がする。
「結局お前は他人からの批判を恐れ、かといって自身を磨く気概もない甘ちゃんってことさ。だからどこまでも真っ直ぐで努力を怠らないあいつに憧れたんだろ? まああいつはお前のことを何とも思ってないようだが」
「黙れ……黙れ黙れ黙れ! 僕は小さい頃からアシュリーのことを知ってるんだ。付き合いの短いお前にあの子のいったい何が分かる!」
「お前よりは分かってるさ。俺はあいつの心が誰にあるのか知ってるからな」
それはもちろん俺ではなくシルフィだ。が、今はあえて俺であるかのように口にした。
どう考えても奴は嫉妬深い。ならこの手の話題で突けば簡単に頭に血が上ると考えたからだ。
その結果、それは見事に的中した。
「き……貴様ぁぁぁぁぁッ!」
まるで槍のように直進してくる異形。
その速度は恐ろしいものであるが、俺は前へと踏み込む。ここが反撃に転じる機会だからだ。
異形の腕は宿主の意思なくとも行動を起こす。
だが今行われている攻撃は宿主の強い宿っている。自分勝手に動けようと多少の影響は出るはずだ。
それにいくら人間離れ動きが出来ようと、あの速さで動く身体の向きを変えることは困難だろう。こちらを追ってくる際に一瞬の隙が生じるはず。そこを突いて踏み込めば懐に入れる!
「キシャェェェエェェェェェ……ッ!」
大きく開かれる口には無数の牙。これに捕まればそこで終わり。
しかし、一際大きく口が開いた時を見計らって進む方向を斜めにずらす。
――次の瞬間。
風で靡いていたコートの裾が噛まれ、引き裂かれる。だがこちらの動きに大きな支障はない。
腰に構えていた刀を伸び切った異形の身体に突き立て、斬り裂きながら前へ進む。途中で何か硬いものに当たって砕いたような気がしたが、今は気にしてはいられない。肩口手前で一度振り切りながら引き抜く。
強烈な痛みに怯んでいる隙に手首を返しながら上段に構え直し、暴れ狂う左腕に向けて一気に振り下ろす。
「え……う……うああああああああぁぁぁアアアァァァァァァァァッ……!?」
ヨルクは獣のような悲鳴が上がながら傷口を押さえると、地面に倒れ込んでのたうち回る。
その様子を一瞥しながら斬り落とした異形に視線を送ると、激しく暴れまわっていたが次第に動かなくなった。宿主から離れても動くと踏んでいたのだが……。
「……まあいい」
心当たりがないわけではないが、動かないのならそれに越したことはない。動かなくなった理由なんて考えるのは後回しだ。
刃に付いていた血糊を振り払いながらヨルクへ近づく。異形の腕のない彼などただの人間……いや今は死を待つだけの罪人に等しい。
「や……やめて……やめてくれ」
痛みと恐怖で涙を浮かばせながら懇願してくる姿は、実に見苦しく感じた。
「ぼ、僕が……悪かった。あああ謝るから……どうか……どうか命だけは」
「お前は殺さなかったのか?」
「え……」
「お前は殺さなかったのか、と聞いているんだ。これまでにお前は何人も殺したはずだ。その中には同じように懇願する者も居ただろう。そんな人をお前はどうした?」
「そ、それは……あああ、あいつらは無能で! ぼ、僕はあいつらとは違っ……」
黙れと言わんばかりに切っ先を喉元に突きつける。
ヨルクは悲鳴を漏らしそうになったが、少しでも動けば死ぬと思ったのか必死に飲み込んだ。
冷たい目線で見下ろす俺にどう言葉を掛けようと考えているのか、目線をあちこちに泳がせながらガクガクと歯を震わせている。
そのとき。
こちらに駆けてくる足音があった。どうやらあの騎士様が戻ってきてしまったらしい。
「ルーくん、大丈……うわ、キモっ!?」
目の前に異形の死体が転がっているのだから気持ちは分からなくもない。
だがどうしてあいつは緊張した空気を破壊してしまうのだろう。そういう星の元に生まれているのだろうか。
というか、さっきまでの恐怖心はどこへ行った?
もしかして騎士として動いている今は、その覚悟によって興奮状態にあり一時的に平気になっているのだろうか。そうなら実に火事場の馬鹿力である。
「ア……アシュリー、助けに来てくれたんだね!」
……は?
こいつはいったい何を言っているのだろうか。もしかして頭がイカレてしまったのか……元々イカレていたような気がしなくもないが。
「こ、こいつをどうにかしてくれ! こいつ、僕のことを斬りやがったんだ。頼むよ、早くこの男を……!」
「黙れ」
ヨルクが死んでしまった自警団の男に行っていたように、彼の顔面を蹴り抜く。
周囲には騒がしかったり癪に障る言動をする者が居るだけに苛立ちには人よりも慣れているつもりだったが、こいつは俺がこれまで会ってきた中でも別格だ。清々しいほどのクズである。
「け……けけけけ蹴ったな! アアアシュリー、今のを見てただろ? さっさとこいつを捕まえてくれ」
「ヨルク……」
「何してるんだ! さっさと捕まえろよ。君は騎士なんだろ。だったら悪いことをした奴を捕まえるべきじゃないか!」
自身がこれまでに何人も殺してきた犯罪者ではなく、ただの被害者だという主張にアシュリーは困惑に満ちた視線を向ける。
アシュリーの中には今でも助けたいという気持ちはあるのだろう。
だがヨルクが殺人を犯したことも知っている。魔人という存在になってしまっただけにここで俺に殺されても仕方がないと理解もしているのだろう。
「ヨルク……あたしにはあなたを救えない」
「な……何でだよ! 昔は助けてくれたじゃないか。どんな奴にだって立ち向かってくれたじゃないか。なのに何で今はダメなんだよ! あれか、こいつが君の男だからか? 好きな男のためなら犯罪を黙認するのか? この……クソビッチが! 僕の気持ちを弄びやがって。僕の気持ちを……君を思ってきた時間を返せ!」
左腕が無くなっているというのに元気なものだ。
それだけ強い意思というものは、人にとって強い力になるということか。今回の場合で言えば最悪のケースに分類されるが。
アシュリーの様子を横目で窺うと、こちらから目線を逸らして腰にある剣を強く握りしめていた。思うところはあっても俺の判断に任せるということだろう。
それなら俺の好きにさせてもらうとしよう……
「や……やめろ……お、お前分かってるのか? ぼぼぼ僕を殺したら……人殺しになるんだぞ。永遠に殺した罪を背負って生きていくことになるんだぞ!」
「ふん……今更お前ひとり殺したところで何も思うか。むしろ清々する。ちゃんとお前を殺した罪は背負ってやるから安心して逝け」
「や……やめろおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
断末魔の声には一切耳を貸さず、逆手に持ち替えた刀を一気に振り下ろす。
刀身は首元目掛けて落下し……首の皮一枚のところを通過した。ほんのり血が滲んだものの即死に繋がることはない。
しかし、よほど怖かったのだろう。ヨルクは泡を吹きながら気絶している。
何もしなければ出血量的に考えて間違いなく死にそうだが、手当てをすれば魔人化していることもあって一命は取り留めるだろう。
「まったく……」
正直こんな奴を生かしておきたくはないが、こいつは新たな魔人に関する有力な情報源だ。今後のことを考えると生かしておく他にしかない。
胸の内に芽生えた荒い気を静めるように刀を大きく切り払い、ゆっくりと鞘に納める。
簡単な依頼で来たはずがとんでもないことになってしまった。報酬を上乗せを要求しても文句は言われないのではなかろうか。
ふと脳裏でそんなことを考え始めた矢先、元気な騎士様がこちらに駆けてくるが見えた。
とりあえず……この現場が片付くまで余計なことは考えないようにしよう。さすがに俺も疲れた。
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