第5話 「少女の名は」

 数日後。

 獣人の少女は、今も俺の家で寝泊まりしている。

 少女の怪我の具合は日に日に良くなっているようだが、俺と彼女の間に会話はほとんどない。

 俺との一定の距離を保つようにしており、食事の際も流し込むように食べて部屋の隅や物陰に隠れてばかりだ。警戒心が解けてないのもあるだろうが、俺の腕を嚙んだことも理由のひとつになっているかもしれない。

 まあ会話がないからといって特に気にしてはいないのだが。

 俺としては元気になってくれればそれでいい。別に親しくなりたいから助けたわけでもないし、一人暮らしが寂しいからここに置いているわけでもない。

 怪我をしていたから助けた。ただそれだけだ。

 そもそも、袋叩きのような目に合わされたばかりの子供にすぐ懐いてもらえるわけもない。

 同じ人間同士でも厳しいのだから、種族が違えばその難易度も跳ね上がる。むしろ今の関係でも十分と言えるくらいだ。


「ただ……」


 俺のあとをずっと付いて回るのはやめてもらいたい。

 一定の距離は保っているにしても視線は感じる。こっちが振り向けば隠れてしまうし、いったい何がしたいのか分からない。

 子供故に好奇心に駆られているのか、俺が本当に安全な人間なのか常に観察しているのか。何にせよあまり良い気分ではない。

 家の中でくつろいでいたり、家事をしている時ならまだ良いんだが……鍛冶を行っている時は大人しくしておいて欲しいものだ。


 鍛冶場は女人禁制。


 俺はそんなことを言うタイプではない。

 だが作業場には高熱を放つ炉が存在し、加工に合わせて使う重量の違う槌などが置いてある。

 大人しく黙って見れる人物なら居ても構わないが、素人どころか動き回りそうな奴を入れたいとは思わない。怪我でもされたら面倒だ。下手をすれば命に関わる場合もあるのだから。

 無論、集中力がない状態での作業は俺自身が負傷する可能性も高くなる。

 また何かを作る以上は最高の出来を目指すのが職人というものだ。それに金をもらっている案件もあるのだから、その分の仕事はしなければならない。

 とまあ色々と言ったが、何が言いたいかというと獣人の少女を工房には入れたくないということだ。

 今の入っては来ていない……実際には扉に鍵を掛けて入れないようにしているわけだが。何度も扉を開けようとしたり、窓から顔を覗かせている。

 見慣れないことに興味があるのかもしれないし、もしかすると怪我をした俺がちゃんと鍛冶ができるのか気にしているのかもしれない。

 しかし、どんな理由にしてもこっちの集中を削ぐような行為はやめて欲しい。


「さて……」


 昼食を作り終えた俺は居間の方へ運ぶ。

 どうせ作るならひとりやふたりも変わらない。そう言われたりもするが、それは食べる量がそれぞれ1人前ならの話だ。

 正直日に日にあいつの食べる量増えてるんだよな。それだけ回復してるってことだろうし、成長期なのもあるんだろうが……

 あいつはいつになったら出ていくのだろう。

 元気になってはいるが完全に回復したわけではないし、拾ったのは俺の意思なのだから叩き出すような真似もしない。

 だが当分居座るつもりなら働かざるもの食うべからず……と言う日も来るだろう。


「……居間にはいない」


 工房の入り口には鍵を掛けているし、人間への警戒心が解けてないだけにこの家から遠く離れるとも思えない。となると……

 窓から工房のある方角を覗いてみると、背伸びをしながら鍛冶場を覗き込んでいる少女の姿が見えた。

 尻尾を振っている姿。それにここ数日一定の距離を保っていたとはいえ、俺のあとを付いて回っていたせいで犬のように思えてしまう。


「おーい」

「…………」


 聞こえてない。

 どんだけ集中して工房を見てんだか。

 そんなに興味惹かれるものだろうか。刀剣などに興味があったり鍛冶職人を目指す者なら分かるが、少なくともあの少女はそのどちらでもない気がする。

 まあ俺も獣人に詳しいわけでもないし、何に興味を持つかなんて人それぞれなんだからとやかく言うつもりはない。

 ……が、飯は食べてもらわないと困る。そうしないと片付けが出来ない。


「おい」

「…………」

「おいチビ」

「――っ!?」


 それほど大きな声で呼んだわけではなかったが、驚いた少女はバランスを崩した。

 あたふたとしているため盛大に尻餅でも着くかと思ったが、ギリギリのところでどうにか持ち直す。子供とはいえ、やはり獣人。人間と比べると身体能力が高い。


「ふぅ~……おい人間! 誰がチビだ!」

「お前しかいないだろ」

「オレはチビじゃない! これからまだ伸びるし。だからチビって呼ぶな!」


 名前を知らないのだから抽象的な呼び方をするしかないだろうに。

 そもそも、チビで反応してる時点で多少なりとも自覚があるってことだろ。自覚がなければ体勢を崩しかけるほど驚きはしないだろうし。

 というか……普通に会話してるよな。

 頭が血が上っている影響……いや、単純に根っこが素直ってだけか。性格がそうなのは見ていれば何となく分かるし。


「分かった分かった。とりあえず中に入ってこい」

「人間の言うことなんか聞けるか!」

「そうか。まあ別にいいんだが……お前の飯は片付けるぞ?」


 種族が違えど三大欲求は変わらないのだろう。

 少女の逆立ちつつあった髪と尻尾の毛は、見る見る力を失っていく。

 俺が窓から顔を引っ込めると、本当に食事を片づけると思ったのか、飛び跳ねるように窓から家の中に入ってきた。

 近くに居た俺と視線が重なると、恥ずかしそうに顔を赤らめる。


「そんなに腹減ってたのか?」

「へ、減ってない!」


 と言った直後、盛大に腹の虫が鳴り響く。

 それによって少女の顔の赤みが増したのは言うまでもない。

 生理現象なのだからそこまで恥ずかしがる必要はないと思うが、まあ俺と少女の関係性ではそれも無理な話か。

 腹の虫は聞かなかったことにして自分の席に座ると、躊躇はあったものの少女も俺から最も遠い位置にある席に腰を下ろした。


「いただきます……食べないのか?」

「食べるし!」


 別に取り上げたりしないのだから「これは自分の!」と言いたげに皿を隠さなくてもいいのに。

 だが、そこに突っ込むとまた口が堅くなりそうだからやめておこう。会話がなくても良いとは言ったが、会話が成立するの方が意思疎通が取りやすいのだから。

 まあ……俺はあまり話す方ではないのでは会話が成立し過ぎるのも問題かもしれないが。

 いや違う。正確には必要以上に構って構ってと来る奴が苦手なだけか。時として話す気があるのかと言いたくなるほど、まくし立てるように言葉を投げつけてくるし。

 思い出しただけでもうるさい騎士を頭の隅に追いやっていると、微かに声が届いた。

 この場に居るのは俺と獣人の少女のみ。つまり声を発したのは彼女ということになる。

 視線を向けてみると、何か言いたそうにしていた。一度話したから沈黙を決め込むのが気まずくなったのか、はたまた好奇心からなのか。


「お、おい人間」

「ん?」

「そ……その…………の具合は」


 はっきりとは聞こえなかったが、視線が俺の腕に何度も行っている。

 そのことから推測するに、おそらく怪我の状態を気にしているのだろう。そう思って返事をしようとした矢先、少女が慌てた様子で先に口を開いた。


「や、やっぱり何でもない!」

「……そうは見えなかったんだが?」

「何でもないって言ってるだろ! ただ……その、人間が食べる前に何か言ってるのが気になっただけだ。それだけだかんな!」


 嘘だ。

 というようにバッサリと否定はしない。文化が違えば気になることもあるだろうから。

 しかし、それだけということはないだろう。間違いなく少女は俺の怪我の具合を気にしている。

 かといって、ここでそこを突くのは大人気ない。ここはそういうことにしておいてやろう。その方が丸く収まるだろうし。


「……お前の疑問に答えるなら俺が育ったところでの風習だ。動物や植物、その命をいただくことで俺達は生きられる。そのことに感謝して言ってるのさ」

「なるほど……それは良いことだな。オレも言うようにする」

「そうか。なら今日からは流し込むんじゃなくてちゃんと噛んで食べろよ」


 肯定の返事の代わりなのか、少女は思い出すように小さな手を合わせると「いただきます!」と口にする。

 昨日までと打って変わって味わうように食べ始めるが、それでも一般よりも早い。

 人間の子供ならば注意しておくことかもしれないが、少女は獣人。あごの力や歯は人間と異なる。

 それに俺は一般市民だ。礼儀やマナーが必要になるお偉いさんではないし、美味そうに食べているならそれでいい。


「ところでチビ」

「あぅ? ……って、チビって言うなよ」

「あのな、俺はお前の名前を知らん。ちゃんと話せてるのも今日が初めてだしな……ちなみに俺はルーク・シュナイダーだ。ルークでいい」


 人に名前を聞くならまずは自分からだろ!

 なんて駄々をこねられても面倒なので先に名を明かすと、少し迷う素振りを見せたが観念したのか口を開く。


「……ユウ」

「じゃあユウ、お前にひとつ聞いておきたい。日に日に元気になってるようだが、お前はいつまでここに居るつもりだ?」


 ユウの顔に険しさが現れる。

 まあ急にこんな話題を切り出せば無理もない話だ。


「出てけってなら今すぐ出てってやるよ! ……今……今すぐ……」

「お前が出ていくってなら止めないが、別に飯を食べてからでもいいと思うぞ。そもそも俺は、今すぐ出て行けと言うつもりはない」

「え……?」

「お前を拾ったのは俺の意思だからな。それにお前は見るからにこのへんの土地勘がないし、頼れる相手がいるようにも思えない。だからお前が望むのなら好きなだけ居てくれていい」

「ホントか!?」

「ただし」


 一際強い言葉で放つとユウの動きがピタリと止まる。


「うちは裕福ってわけじゃない。故にタダ飯食らいのままで居てもらうのは困る。今すぐ働けと言うつもりはないが、動いて問題なくなれば何かしらしてもらう」

「わ、わぅ……オ、オレ、おまえみたいに物を作ったりできないぞ」

「それは分かってる。別に鍛冶を手伝えと言うつもりはない」


 それが元でまた怪我でもされたら困るし、ひとりでやるよりも効率が落ちそうだしな。


「最初は家の掃除とか水汲み。そういった今のお前にも出来そうなことをしてもらうつもりだ」

「おう、それならオレにも出来る!」

「じゃあ決まりだな」


 正直な話をすれば失敗の連続……なんて展開がしないでもない。

 ただ外で働けと言うのも無理な話だ。俺に対しては多少警戒心が緩んではいるが、他の人間ではそうはいかないだろう。そう簡単に心の傷というものは完治しないのだから。

 いつまでユウがうちに居候するのかは分からない。

 だが居候している間は少しでもやれることをやってやりたいと思う。

 何故ならユウは誰かに会いたいだとか、どこかに帰りたいと一言も口にしていない。帰る場所がない可能性が高いのだ。

 平和な時代が訪れたとはいえ、少し前まで毎日血が流れる日々があったのだ。孤児となった子供は数えきれないほど居る。

 だがどんなに頑張っても全員に衣食住を与えることは出来ない。

 世界的に見ても裕福な暮らしをしているのは一定以上の階層だけであり、大半の人間は自分達が生きるだけで精一杯だ。

 それが現実。

 故に……今俺に出来るのは、目の前に居る少女を助けることだけなのだ。



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