セカイからキエタならば

@ToMikan

壱日目 ーハジマリー



 一歩一歩ひとは歩んでいくしかない。

 突然変異を起こさない限りは成長は一定であるし予想がつかないほど成長するのはごく稀だ。

 何かを得る時の努力は本当に本当に血の滲むようなことをしてやっと一握りの実力がつくわけで、

 ひとはそうやって自己満足と自信と信頼を得ていく。


 しかし何かを失う時はほんの一瞬だ。

 愛情を失う時。

 信頼を失う時。

 自信を失う時。

 視力を失う時。

 聴力を失う時。

 触覚を失う時。

 味覚を失う時..... 。


 今まで当たり前だと思っていたものはそうでは無かったのだと気づく。

 いや、失った瞬間にそれらの感覚がその人間にとってかけがえのない過去に変わる。愛情を失った時にその過去は何にも変えがたい幸福感を失った虚無感だけが残ることになる。


 つまりヒトが何かを失う時は全て一瞬。

 時間をかけて消えていくなどそれこそ苦痛だろう。

 苦痛さえも感じさせないほんの一瞬、一時、刹那。

 それでこそひとは苦痛を感じずに何かを失うことができるのだ。



 ー明日この世界から輪ゴムが消えますー


 そう予言したのは預言者の斉藤新である。

 斉藤は世界的に有名な超能力者であり、予言をすれば9割が当たる。もし外れたとしても何か類似したものが起こる程度の誤差であるので殆どのものは斉藤の予言をパーフェクトだと称する。


 そしてこの予言は何の予兆もなく斉藤の元に降ってきた。

 予言したその日に斉藤はtwetterにこのような内容をあげた。

「紛れもなく明日、この世から輪ゴムという概念全てが去ります。明日になれば誰も輪ゴムのことは覚えてないし思い出すこともない。記憶の根底から消えてしまうのです。今日だけは輪ゴムがもたらしてくれた恵みに感謝し、後悔がないようにお別れをいうのです。」



 その投稿をみて最もショックを受けたのは紛れもなく輪ゴムアーティストの三木健三であった。

 三木は日本屈指の輪ゴムアーティストでありながら日本有数の輪ゴム会社、三木ゴム製作所の責任者である。

 この投稿をみて三木は頭を抱えて考え込んでいた。

 だがやりきれない思いからかダメ元で斉藤にtwetterで返信を送った。


「斉藤さんどうも三木ゴム製作所の三木と申します。

 斉藤さんの投稿でひとつ気になったのですが輪ゴムの概念すら消えてしまうとのことだったのですが輪ゴムが全ての私は明日どう考え何をしているのでしょうか。」


 健三は慣れない手つきではあるが最近教わったスマホというやつを年の割には使いこなせているタチだ。

 息子の研二には時代についていくためだと急かされスマホの使い方を教えられたのだがどうにも健三にはスマホの需要が理解できなかった。

 しかし、今日やっと研二に感謝する日が来たようだった。


 返信は返ってこないものだと思っていたのだが意外にも小一時間も経たないうちに帰ってきた。

 そして健三はその内容を見て鳥肌が止まらなかった。


「この世にもともと輪ゴムが存在しないことになりますので輪ゴムがなかった場合の人生を歩んできたらどうなるかということを想像していただければその通りになるのでないかと。」


 健三には確かに1つの過去が頭の中を渦巻いていた。

 あの過去が違ったら私は、、、、、。


 健三ははっと我に戻る。

 いけないこの世から輪ゴムが消えるまでにあと数時間しかないのだ。

 斉藤の言うように輪ゴムに感謝をしなくては。


 最後に別れを言わなくては。


 健三はゴム製造工場に足を運んだ。

 おそらくこの工場は明日には他の何か、もしくは更地にでもなってるに違いない。

 私のゴム工場は全国各地に配置されているので相当な変化が全国に見られるはずだ。


 でも、斉藤の言う通りならば「変化」ではなく元々がそうであったのだと言う当たり前が当たり前のように流れてくるのだろうか。


 斉藤は頭ではさまざまな想像を膨らましながらもやはり製造員でありアーティストだ。

 手を動かすのはやめない。

 輪ゴムと関わってかれこれ40年にもなる。

 この一連の動作は体に嫌という程染み付いており、思考などと言うものはゴム製造には必要なくなっていた。

 軽く作り始めると誰かが工場へ駆けて向かってきているのがわかった。

 この工場は広いが故に音もよく響く。

 コツコツコツと威勢の良い足音が心地よく響いてくる。

「父さん、ボクも手伝うよ」


 やはり足音は研二だった。

 研二は輪ゴムには興味を示さなかったものの幼少期から常に身近な存在だったということもあり製造法なんかは熟知している。

 特殊な家庭ならではの環境で育った子供だった。

 健三はまるで遊ぶことのようにゴムの作り方を教え、遊具のように製造機を触らせた。

 そしてゴムでいろんな縛り方があることを教えたし輪ゴムとしてはふた回りほど大きいゴムの製造方法を教えた。

 教えてから研二が実際に作ったのかどうかは知らないし、知ることを望んでもいなかった。


 健三と研二は二人で無数の輪ゴムを製造した。

 普通ではあり得ない量だった。

 良いではないかいずれにしろ明日には全てが消えてしまうのだ。

 そして健三はその輪ゴム1つ1つを縛りながら1つにしていく。

 アーティストとしての最後の輪ゴムを使ったデザインになる。


 研二は健三の作品の手伝いをする。

 おそらくこの仕事は研二にしかできない。

 研二は恐る恐る先ほど縛って大きくなった輪ゴムを父の首へとまわす、、、、、。







 健三にはどうしても忘れられない過去があった。

 何があっても絶対に忘れないし忘れてはいけない。

 そしてそれは健三が初めて作った作品であり最高傑作であった。


 健三には20才で結婚した同年の妻がいた。

 名前は沙羅。

 健三が20才のときは建築事務所に勤めており、意匠設計に携わっていた。

 事務所に入ったばかりの健三には雑用の仕事が多かったがそれなりに充足感を感じており充実した日々を送っていた。

 家に帰れば沙羅がご飯を作って待っている。

 それだけでも健三は満足していたしそれ以上を求める気は無かった。


 しかし、さらに3年が経った時に健三は浮気をした。

 理由はハッキリはしていなかった。

 あえて言うならば新婚生活というものから冷めてしまい新しい刺激が欲しかったのだろう。

 簡単に言えば倦怠期に健三は他の女に手を出したのだ。

 その女とは初めはある程度の距離を保っていたのだがやがては同じベットで寝た。それまでの線がプツンと切れてしまったようにその女との関係に勤しんだ。


 そして帰りが遅くなる健三を沙羅は疑うしか無かった。

 明らかに態度が冷たいし、かれこれ半年は一緒に寝ていない。

 沙羅としては健三との生活維持ができれば文句を言うつもりはなかった。

 しかし健三はある時沙羅にいった。言ってしまった。

「あのさ、、、、、。お前も気づいてるだろ」


 沙羅は顔が引き締まる。

「なに。どうしたの」


 健三は頭の中で何度もシュミレーションした内容を口に出す。

「俺らはこのままいてもお互い幸せになれないと思うんだ、お前は他の人といる方が幸せになれるしそれと同時に俺もそうなんだ。

 俺ら離こ、、」

 その瞬間沙羅の表情が一変し鬼と化した。

 健三は慌てて一度言葉を止めるが、再び口を開いた瞬間に何かが切れる音がした。

 サクッ。

 なにかと思い辺りを見回してみるがなにも切れた後はない。

 その瞬間右太ももに激痛が走った。



「ああああああああああああぁぁぁぁああぁぁぁぁぁああああああああああああああああああぁぁあああ」


 言葉にならない悲鳴が出た。

 右太ももは大量の出血により真っ赤に染まっていた。

 健三は初めて自分の命の危機を感じた。

 やばい、殺される。本当にこれは殺される。

 殺される。殺される。ころさるる。殺しせる。

 殺せる。殺す。殺せる。殺れる。


 そして健三は目を張る光景を目の当たりにする。

 たまたま手元にあった輪ゴムを使って沙羅の首を締めていた。

 誰がこんなことをしているのかと思ったがそれは考える必要はなかった。

 輪ゴムを大量に手に取り無造作に首につけていった。

 いくつもいくつもいくつもいくつもいくつもいくつもいくつもいくつもいくつもいくつもいくつも。


 そしてプツンと切れた。

 否、ブツッと切れた。

 否、ゴキッと鈍い音が響いた後にボトッと床に騒いだ音が響いた。

 首に未だ付いている物体は床への衝撃で簡単に外れてしまった。


 無造作に頭が転がった。

 沙羅の頭が。


 先ほどまでうるさいほどに聞こえていた悲鳴が消え苦しいくらいの静寂が襲ってきた。


 そして足から流れる大量の血をみて少し笑った。

 不気味なくらいにどこから出てくる笑いなのかも分からずに。


 —— おそらくだがあの時私の手元に輪ゴムがなかったらどうなっていたのかは容易に想像ができた。

 そうしか想像せざるおえなかった。

 都合の良いようには想像してはいけない気がした。

 全ては自分に戻ってくるものなのだ。

 健三は覚悟を決めた。


「研二、最後は頼むよ。楽に逝かせてくれよ」


「分かってるよお父さん。お父さんは今日のために僕に輪ゴムの技術を叩き込んだのかもしれないね。

 こんな汚いこと許されるわけないのだけど僕はお父さんを許すよ。」


 研二はそういうと最後のゴム束を首へと回した、、、、、。

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