ゆらのおと
ぽ
カウンセリングは計画的に
「ゆら。起きろ、朝だぞ!」
全身にずっしりと圧し掛かる重みとゆさゆさと肩を揺さぶられる感覚に、重たいまぶたが少しずつ持ち上がっていく。カーテンの隙間から日差しが射して、うっすらと部屋が明るい。
目の前いっぱいに見えるのは、鏡を覗き込んだみたいにそっくりな顔。無邪気に持ち上がった口の端に、おひさまにも似た輝く丸い瞳。
「ほらほら、おかーさんが起こしに来ちまう!」
「うう、分かったよ、起きるよ……」
あんまり揺さぶられすぎると朝からゲロを吐きそうだから、やめさせるにはさっさと起きる以外に方法がない。
「おはよっ、ゆら!」
「おはよう、ユート……」
身体を起こすと、わたしとよく似た男の子――ユートがバッタみたいにぴょんぴょんと軽い足取りで部屋のカーテンを開けた。眩しいくらいの日差しがいっぱいに入り込んで、いよいよ目が覚めてくる。
わたしがベッドから抜け出して背伸びをすると、硬い音を立てて扉がノックされた。途端に窓の外の小鳥をじっと覗き込んでいたユートの足元から指先から、たちまちアイスのようにどろりと溶けて崩れていく。一秒もしないうちにユートはどろどろの黒いスライムみたいになって、あっという間にベッドの下に潜り込んだ。
「おはよう、
「おはよう、お母さん」
部屋に入ってきたお母さんはいつも通りににこにこふわふわしていて、「ご飯できてるからね」とすぐに出て行った。
扉が閉まると、どろどろのスライムがベッドの下から這い出してくる。そこからぴょこりと生えた、タコの頭みたいな顔がきょろりとした目でこっちを見上げてくる。何かのキャラクターみたい。すっとぼけた顔だ。
「ふいー、あぶねえ」
「別に隠れなくてもいいんじゃないの? 見えないみたいだし」
「でもさあ、万が一見えたらゆらが困るだろ」
そう言いながらユートはずるずるとベッドの上に這い上がり、おせんべいみたいに平べったくなっている。ユートが這いずった後はゴミとか汚れがなくなって綺麗だ。もしかしてゴミ巻き込んでるのかな。ユートって水洗いできるのかな?
そもそもユートが一体何なのか、っていうのは分かんない。ユートって名前もわたしがつけた。
分かってるのはユートが黒いべちょべちょのスライムで、なのに考え事ができるしお話もできるし、何にだって変身できること。さっきみたいに人型にもなれるし、犬にも猫にも見たことないような変な動物にもなれる。一部だけ何かに変えることだってできる。用がないときはこうやってスライムのまま平べったくなってることが多い。
それと、なんでかユートは他の人には見えないし声も聞こえない。最初の頃はわたしの頭がおかしくなっちゃったのかと思ったけど、どうやら触ることは誰にでもできるみたい。わたしが学校に行くときも一緒に行くから、何かの拍子に友達が触って「何もないのに冷たくてぐにゅってした!」って騒がれることがちょっと増えてきた――ユートにも注意してるんだけど。
天日干しされてるユートを眺めながら着替えて、朝ごはんを食べるために部屋を出る。ユートはわたしの両親ももしかしたら自分の姿が見えるんじゃないかって警戒してリビングには降りて来ない。見えないと思うんだけどな。
おはようを言いながらリビングに降りると、ダイニングテーブルに朝ごはんが用意されていた。トーストとスクランブルエッグ、ベーコンとサラダ。それとスープも。お母さんは洋食派だけど、お父さんは和食派だから、朝ごはんはパンの日とご飯の日と半々くらいだ。わたしはわりと、どっちでもいいけど。
「おはよう、柚音。最近早起き頑張ってるんだって?」
コーヒーを飲んでいたお父さんが柔らかく笑う。夫婦ってもともとは他人同士のはずなのに、お母さんとお父さんは笑った顔がなんか似てる気がする。田舎のおばあちゃんは「夫婦は似てくるんだよ」って言ってたけど、ほんとにそうなのかも。
「もう4年生だからね」
適当なことを言うとお父さんもお母さんもそうだねえ、なんてニコニコしてるので何となく気まずい。実際は毎朝ユートが起こしてくれるから、お母さんが来る前に起きてるだけなんだけど。
ご飯を食べ終わって、歯と顔を磨いたら、ランドセル……とユートを取りに一旦部屋に戻る。わたしが扉を開けると、ベッドの上でびろーんとしていたユートが床に置いてある水色のランドセルに這い寄り、隙間からずるんと入り込んでいった。これを見越して昨日のうちに準備は済ませているので、あとはこれを背負って下に行くだけだ。ユートの分ちょっと重い。歩く度にたぽたぽ音がするんだけど、もうちょっと固形寄りになれないのかな?
お母さんは主婦で、お父さんはお家で仕事をすることが多いから、家を出てくのはわたしだけ。ふたりに見送られて家を出ると、とってもいい天気だった。
*
わたしが住んでいる一ノ坂町はあんまり大きな町ではないけれど、学校は幼稚園から高校まで一通り揃っている。わたしが通っているのは町立一ノ坂小学校、通称『坂小』だ。この間4年生になった。
友達に挨拶しながら2階にある4年1組の教室に入って、ランドセルを机に置くと、隙間からずるんとユートが這い出す。誰にも見えてないのは分かってるんだけど、それでも毎朝一瞬ひやひやしてしまう。
「柚音ちゃん、おはよう!」
「すずちゃん」
とことこと私の机に駆け寄ってきたのは、『すずちゃん』こと
「国語の作文、終わった?」
「ううん、全然。すずちゃんは?」
「私も……。むずかしいよね、『心に残った出来事』って」
国語の授業で、一週間後までに『心に残った出来事』をテーマに作文を書かなきゃいけないことになっている。最近でも何年か前でも、いつのことでもいいみたい。今年から担任になった
わたしの中で、心に残った大きな出来事はふたつくらいあるんだけれど、未だに作文が書けないのは――書いていいのか分からないからだった。
「ピアノの発表会のことにしようかなあ」
「すずちゃん、ピアノ習ってるんだもんね。発表会って緊張する?」
「んー、別に失敗しても何があるわけじゃないから、どうだろう。柚音ちゃんは習い事してないんだっけ」
「うん。やりたいのもないし」
クラスメイトのほとんどは何かしら習い事をしている。すずちゃんみたいにピアノを習ってる子はすごく多くて、あとはダンスとか、水泳とか、色々。塾に通ってる子もすずちゃんを含めて半分以上だ。わたしは両親になにも言われないのと、やりたいこともないから、習い事はしてない。
「そんなん行ってたら俺と遊ぶ時間減るだろ! やんなくていーよ!」
腰のあたりに纏わりついてきたユートが言うので、すずちゃんから不審に見えないようにぽんぽんと撫でて宥めた。ひんやりしてて、ほんとにスライムみたい。
「おーっす!」
そんな話をしていると、教室の引き戸がぶっ壊れそうなくらいに勢いよく開かれ、教室中に響く大音声が耳に飛び込んでくる。思わず首を竦めると、真っ赤なランドセルを背負った小柄な男の子が飛び込んできた。
教室に入ってきたのは
バァン! と凄まじい音を立てた引き戸が反動でからからと寂しくひとりでに閉じる。朝野はそれに構うことなく、さっそく男子たちに混ざって何事か遊び始めた。朝野が来ると、男子たちが教室中走り回ったり、机に上ったり(さすがに自分たちの机だけど……)し始めるから、ちょっと迷惑だ。すずちゃんが困ったような顔でそれを眺めている隙に、踏んづけられないようにとユートを持ち上げる。ユートは私の腕の中で猫に姿を変えて、机の上に丸まった。
「今日もうるせーな。チョウヤだっけ?」
そうだよ、って頷いてみせると、ユートはちらりと金色の目を覗かせて、それからふかふかのおまんじゅうみたいに顔をうずめてきつく丸まってしまう。猫とか動物の姿をしているときのユートは、相変わらずひんやりしてはいるけれど、手触りはほんとにその動物の毛皮とか皮膚にそっくりだ。あとでこっそり撫でよう。
時間になったら今野先生が教室に入ってきて、騒ぐ男子を注意するまでがいつもの流れだ。
今野先生はわたしのお母さんくらいの若い先生で、長い髪をひっつめてひとつに纏めている。いつも長いスカートを穿いていて、困ったような笑みを浮かべている――今日もそうだ。
先生がもうちょっとしっかり言わないと男子も反省しないんじゃないのかなって思うけど、特に朝野のお母さんはすぐ学校に文句言うらしい。だから今野先生もあんまり強く言えないのかな。
朝野は授業中でもお喋りしたり文房具で遊び始めたりするけど、周りの男子も合わせてふざけはじめるから収拾がつかない。学級委員長の
飯豊さんは男子とも女子とも微妙に折り合いが悪い。私も得意でないので、話したことはほとんどなかった。真面目なのはいいんだけど、ちょっと怖いっていうか。勉強ばっかで話も合わないし。今日はいつにも増してぴりぴりしているような気もする。
わたしはみんなが板書をしている間に、机の隅で寝ている猫状態のユートを撫でた。冷たいけどもふもふしていて、ぬいぐるみみたいだった。
*
次の日、教室で昨日みたいにすずちゃんと喋っていると、からからと控えめな音を立てて教室の扉が開いた。誰かが登校してきたみたいだ。
そちらに視線を向けて、わたしたちは顔を見合わせた。いつもなら扉をガタガタ言わせて、大きな声を上げながら教室に飛び込んでくる朝野が、今日は一言も発することなくとぼとぼと静かに教室に入ってきたからだ。そのせいでいつも朝野と一緒にいる男子たちも入ってきたのに気が付かなくて、朝野がそっと席に着いた辺りで猫みたいに目をまんまるくして、一斉に取り囲んでいた。
「大洋、どうしたんだよ」
「具合悪ぃの?」
「保健室行くか?」
そんな言葉がざわめきの中で聞こえてくる。実際、異常事態だった。
朝野はのべつ幕なしにかけられる言葉にぴくりとも反応しないで、ぼうっとどこか一点を見ている。
「……朝野くん、どうしたんだろ」
すずちゃんが怪訝な顔で首を傾げるのに、わたしはなんとも答えることができなかった。風邪でも引いてるのかな? と思ったけど、男子のひとりがおでこにてのひらをくっつけて、熱が無いとかなんとか言っているから、たぶんそういうことじゃないのかも。じゃあ何って言われたら、分かんないけど。
ユートは膨れたおもちみたいな形をしながら、どこかをじっと見つめていた……と思う。スライム状のときは、寝てるか起きてるかくらいしかなかなか区別がつかない。
朝野は授業が始まってもぼんやりしていて、今野先生も心配して結局保健室に連れて行ってた。最終的に早退することになったらしい。休み時間のたびに大騒ぎする朝野がいないっていうだけで、みんなどこかそわそわしていた。
次の日、朝野は登校こそしてきたけれど、やっぱり様子がおかしいままで結局また早退した。教室まで迎えに来た朝野のお母さんは町を歩いてる若いお姉さんみたいな人で、今野先生に「学校でちゃんと見てくれないから」とか「厳しく指導してるんじゃないか」とか、最後には鬼みたいな顔でぐりんと私たちの方を向いて「あんたらがいじめてるんじゃないの」とか言い出して、みんなでこっそり顔をしかめてしまった。
『結構ヤバい感じ』の人らしいのは噂で聞いてたけど、実際目の当たりにするとキツいものがある。こういうの、ドラマとかの中ですごい悪役みたいに描かれてたりするから、ほんとにこういう人がいるってことへのショックが大きかった。
朝野親子が帰って、教室はだいぶざわついていた。朝野のお母さんの衝撃もそうだし、そもそも朝野はどうしたんだろうって――今野先生もそれを気にしているみたいだ。
「どうしちゃったんだろうなあ、朝野」
ざわつきの中でぽつりと呟くと、今日も猫の姿で丸まっていたユートが、ちらりと黄色い目を覗かせる。
「大人しくなったんだから別にいいだろ、何か困ることでもあるのか」
「そういうことじゃないじゃん、病気とかだったら」
「病気じゃないから学校来てたんだろ?」
分かんねえなあ、とぼやいてユートは再びとぐろを巻いて毛玉みたいに丸まった。
「うるさいと文句言うのに、うるさくなくなったらそれはそれで何か言うんだな。反省しただけかもしんないだろ」
「いきなり何を反省するのさ……」
こないだ何かあった訳じゃないし、家でもあのお母さんが叱るってことはないだろう。
ユートは人間でないので、時たまよく分からないことを言う。
次の日、いよいよ朝野は学校に来なくなった。一応風邪とか病気ではないから安心してねって先生は言うけど、原因不明より風邪や病気の方がよっぽど安心できる気がする。
「……朝野のあれ、ユートのせいじゃないよね?」
放課後、めいめいに帰る準備をしたり喋ったりでざわついている教室でこっそりユートにそんなことを聞いてみると、ユートはべちんと私の腕を叩いた。スライムだから痛くない、冷たいけど。
「お前っ、お前! そんな訳ないだろ! 俺のせいだと思ってんのか!」
「ち、違うよ。でもあれだよ、ユートって不思議生物って感じだから……うるさいって言ってたし」
「だからって何でわざわざあんなんしなきゃいけねーんだよ! ヌレギヌだよ!」
ちょっとでもわたしに疑われたのが不服だったのか、ぺちぺちと何度も腕を叩いてくるので、ごめんねと謝って教科書と一緒にユートをランドセルに詰めこんだ。
ユートは少しぶつぶつと文句をこぼすと、「そうだ」とランドセルからタコみたいににゅるりと出てきてしまった。
「ちょっと、なに?」
「あいつ、なんか妙なんだよな」
「え? ユート……」
ずるずると教室の床を這いずって、なぜかユートは帰り支度を済ませた飯豊さんの元へと向かって行く。何してんのかな、とはらはら見守っていると、教室を出て行こうとした飯豊さんのランドセルからキーホルダーを抜き取ってわたしのところに戻ってきた。わたしは急なことに思わずユートを大声で呼びそうになって、とっさに口を手で押さえる。
「ちょっと!」
代わりに掠れた声で小さく叫ぶと、ユートはわたしのポケットにキーホルダーをねじ込んだ。慌てて引っ張り出そうとしたけど、クラスメイトの目を気にして動けなくなって、そんなことをしている間に飯豊さんはもうどこかに行ってしまった。わたしはユートをランドセルに無理矢理ねじ込んで教室を飛び出したけど、飯豊さんの姿はない。
けれど、ここから昇降口までは一度階段を下りて、廊下を歩かなきゃいけないから、急げば追いつくはず。
駆け下りる階段に誰もいないのをいいことに、小声でユートに文句を言った。
「なんなの、これから学校連れてかないよ」
「できないくせに――これは俺の作戦なの! 作戦!」
「作戦ん……?」
「ゆら、お前俺がひとりでどっか行ってもいいわけ?」
「だめ!」
反射で声を上げると、ユートは「ほらな」とまたランドセルから滑り落ちて、階段の一番下にクッションみたいに陣取った。
「ゆら! 飛び降りろ!」
「え、えぇっ」
思わず立ち止まってためらってしまう。絶対この間に駆け下りた方がよかったと後から思ったけど、早くしないと飯豊さんが帰っちゃうし、誰か来ちゃうかもと数秒まごついて、私は階段の一番上から意を決して飛び降りた。
ユートの身体がアサガオのつるみたいに伸びてわたしを絡めとり、そっと一階の廊下に下ろす。そのままわたしのランドセルにくっついたので、すぐに昇降口に掛けて行った。飯豊さんはいない。急いで靴を履き替えると、校門辺りに飯豊さんと、白い軽自動車が一台停まっている。飯豊さん家の車かもしれない。
「飯豊さん!」
わたしが必死に叫ぶと、飯豊さんはびっくりした顔で振り向いた。ポケットに手を入れてストラップを握り、飯豊さんに差し出す。ユートの言う作戦が何なのかよく分からないけど、この行動はヒトとして間違ってないはずだ。
「これ……落ちてたよ。飯豊さんのだよね?」
「え? あっ、本当だ……」
いつ落としたんだろう、と不思議そうにしながら携帯会社のマスコットキャラクターがついたストラップを受け取る飯豊さんに心の中で謝っていると、運転席の窓が下りた。
「あら、八千代のお友達?」
眼鏡を掛けた、ちょっと高そうな服を着たおばさんだった。たぶん、飯豊さんのお母さんなんだろう。飯豊さんはおろおろしていたけど、わたしの頬は自然と持ち上がっていた。
「はい!」
*
「よくもまあ、『仲良しです』なんて言えたわよね」
勉強机の椅子に腰かけた飯豊さんが、クッションに座った私をじっとりと睨んだ。
「いやあ、親御さんの前で『そうでもない』とはさすがに言えないかな……」
頭を掻くと、飯豊さんは「何なのよそれ!」と目尻を吊り上げて怒り出してしまった。難しい、どうしたらよかったんだろう。
あのとき飯豊さんのお母さんに友達です、と言ってみたところ、なんだかすごく上機嫌になってお家まで遊びに来て、と言われてなんだかよく分からないうちに車に乗せられて、なんだかよく分からないうちに飯豊さんの部屋に通されていた。そして今に至る。
飯豊さんは戸惑ったり嫌がってるような感じだったけど、それを表に出すのは遠慮してるみたいだし、そんなわけでお母さんはあんまり気付いてなかったみたいだ。ケーキと紅茶を置くとにこにこして階下に行ってしまった。
飯豊さんの部屋はベッドと勉強机と、教科書以外の算数とか図鑑とか歴史の本が詰まった本棚とたんすくらいしかなくてちょっと殺風景だ。予想通りではあるけど、漫画もゲームも何にもなかった。ユートは私の傍でべちゃっとしている。
「だいたい、私と
「まあね……」
現に今も、何を喋ったらいいのかよく分かっていない。ショートケーキはおいしいし、紅茶はいまいち味がよくわからないけどいいにおいだ。
ふと、ユートが私の背中をぺちぺち叩いた。視線を向けると、「あれ」と首(首だろうか?)を伸ばしていて、その先には飯豊さんのベッドがある。枕元にはくまのぬいぐるみが置いてあった。少し古ぼけた感じの、じゅうぶん抱きかかえられそうな大きさのぬいぐるみで、首に巻かれた赤いリボンは色あせている。
「あれ、妙な感じがするんだよな」
「……?」
わたしはそうは思わないけど、ユートが勝手にぬいぐるみをいじったら飯豊さんが気絶しかねないので、仕方なく飯豊さんの方に視線を向け直した。
「ねえ、飯豊さん。あのくま、昔からあるの?」
「え? ……ああ、色が……たぶんそう。押し入れ、1年前の大掃除でちょっと開けたくらいだから覚えてないけど」
「へえ~……いいなあ。わたし、前までこういうぬいぐるみに相談とかしてたんだよね。ぼろぼろだからって捨てられちゃったけど」
なんとなく思い出話をしてみると、視界の端で飯豊さんの身体が一瞬だけ不自然に、氷の中に突っ込まれたような跳ね方をした。
「…………ふうん。樋渡さんって変わってるわね」
「そうかな」
「そうよ」
飯豊さんは俯いて、それから立ち上がるとベッドまで歩み寄って行く。なんだろうと見守っていると、むんずとぬいぐるみをぞんざいに掴んで私の鼻先に突きつけた。たんすみたいな、古臭いにおいがする。
「?」
「あげる」
「なんで?」
「やっぱりいらないし。これにまた相談すればいいじゃない」
ぱっと手を離すと、ぬいぐるみがわたしの鼻にぶつかって、ぼとりと膝に落ちた。一体このぬいぐるみに何の恨みがあるんだろう。そっと拾い上げると、ユートが寄ってきてじろじろと検分し始めた。
「……なんかなあ」
ユートはそれきり喉もないのに唸ってみせる。何かが引っかかっているみたいだけど。
「……ほんとにもらっちゃうよ? いいの?」
「いいわよ。持ってって」
椅子に座り直してそれきり、つんとそっぽを向いてしまった。ゲームの、ひとしきり話しかけ終わったNPCみたいだ。もう何も話してくれそうになかったので、ぬいぐるみをむぎゅむぎゅ揉んでみた。生地がくたりとした古いぬいぐるみだ。ユートはぬいぐるみを揉む私の手に寄り掛かって、たぶんぬいぐるみを見ている。
わたしがぬいぐるみに話しかけてたのは小さい頃の話だし今はユートがいるから、今ぬいぐるみがあっても同じことはしないと思うけど、それを言うのもなんだからとりあえずもらっておこう。やっぱり返してって言われたら返せばいい。
ランドセルの隙間にぬいぐるみを詰めて、更にその隙間にユートがぬるりと入って行った。
「じゃあ帰るね、ばいばい」
「……ばいばい」
結局飯豊さんのケーキと紅茶は手つかずだったけど、自分の空いた皿とカップだけ持って飯豊さんの部屋を後にする。飯豊さんの家は廊下に花かんむりみたいなのが下げてあったり、絵が飾ってあったりして、そこそこお金持ちのお家って感じだ。
飯豊さんのお母さんに食器を返してもう帰ることを伝えると、嬉しそうに玄関まで見送ってくれた。飯豊さんが部屋から出て来ないのに一言二言文句をこぼしていて、呼んで来ようと言われたけど丁重にお断りしておいた。
家まで送ろうかと言われたけれど、幸いこのあたりはよく行く文房具屋さんの近くだからひとりで帰れる。これも丁重にお断りしておいた。これ以上飯豊さんのお母さんと喋っているのもなんだか、悪いけれど面倒な気がしたし。
「……ユート、ぬいぐるみどう?」
「んー……なんかくさいんだよな」
「それ、たんすのにおいじゃないの」
そういうんじゃねえって、とぶうぶう文句を垂れるのを、人が通ったからって知らんぷりしてもくもくと帰り道を歩き続ける。人前でユートと喋ってると、当然ながら変な目で見られるのだ。
それから通学路を20分くらい歩いて、やっと家に着いた。もう日が暮れそうだ。
うちは住宅街にあって、マンションじゃなくて普通の家だ。飯豊さん家に比べたらだいぶ小さい。元々はおじいちゃんとおばあちゃんが暮らしてたみたいなんだけど、わたしが生まれてすぐ亡くなってしまったらしいので、今ではわたしと両親の3人暮らしだ――今はユートもいるけど。わたしにしか見えてないから、堂々とはカウントできない。わたしとしては家族だっていいんだけど。
「ただいま」
「お帰り、柚音。今日はハンバーグよ~」
玄関で靴を脱いでまっすぐ台所に入ると、お母さんがふわふわした笑顔で声を掛けてきた。確かに、お肉の焼けるいいにおいがする。ユートはその隙に犬に化けて2階まで逃げて行ってしまった。
お母さんが鼻歌を歌いながらハンバーグを引っ繰り返している横で手を洗っていると、お母さんがふとこっちを向く。
「柚音、もうすぐご飯できるから、お父さん呼んできて」
「はあい」
お父さんはリビングにいなかったから、たぶん仕事部屋だ。
少なくともわたしの物心がついたときから、お父さんは小説を書いている。仕事部屋にはたくさんたくさん、目が回るくらいたくさんの本がぎっしり詰め込まれていて、どれがお父さんの本なのかは知らない。お父さんに聞いても「どれだろうねえ」って、いい大人のくせに悪戯っ子みたいにわらうばっかりで、最初は当ててやろうと必死になったものだけど、途中から面倒になってやめてしまった。
ただ、そうしているうちに沢山本を読んだと思う。お父さんの部屋にある本は色んなジャンルのものが闇鍋みたいにごちゃごちゃしているけど、その中でもわたしは、ファンタジー世界を舞台にした小説がお気に入りだ。色々ある。RPGみたいに勇者がドラゴンを倒しに行く話とか、ひとりぼっちの妖精が仲間を探す旅をする話とか。
そんな風に色々ある中でも、ファンタジー世界ではないけど――人間のふりをした妖怪が、近所の人間たちとどたばたトラブルを起こしながらも仲良く暮らしている小説が、一番気に入っている。正直本を読むよりテレビ見てる方が好きだけど、これだけは未だにときどきお父さんから借りて読み返してるくらいだ。そんなに好きならあげるよ、って言われたけど、それは何か違う気がしてるので、適当な理由をつけてお父さんの部屋から借りるようにしている。
作文、あの本のこと書こうかなあ。でもそれってなんか、寂しい人っぽくない? 読書感想文にならない?
そんなことを考えながら、お父さんの仕事部屋の扉をノックした。
「お父さあん、ご飯だよ」
『あれ、そんな時間か。今行くよ』
「あ、ねえねえ、あの本貸して」
『ん? いいよ』
ドアノブを回して、部屋に入る。元々狭い部屋に、机と椅子、それから壁を塗りつぶすようにそびえ立つ本棚、本棚、本棚。あの本――内容はそこまで難しくないけど、タイトルがやたらいかめしい漢字だらけで実は正しい読み方が分かってない――は、最初は高いところにあったけど、いつからかお父さんがわたしでも取りやすい場所に置いといてくれた。
パソコンとにらめっこしていたお父さんは、マウスを何度かカチカチクリックして、それからぐぐっと伸びをする。あぁ、と息を吐きながら腕を下ろして、ぐるんと椅子を回してわたしの方を向いた。
「おかえり、柚音」
「ただいま」
「それ読むのもちょっと久しぶりかな? なんで好きなんだっけ」
「いいじゃん。お隣さんとか、クラスの友達とか、ほんとは妖怪だったらおもしろいし」
それに実は最近、そういうのもあながち有りえなくもないんじゃないかと思っている。言わずもがなユートのせいだ。あんな不思議生物が存在するなら、クラスメイトに妖怪が混じってるくらいのことは起こっててもおかしくないはずだ。
「ああ、そうだそうだ、前もそう言ってたね。ははは、柚音はそういうとこ純粋だ。変わってないなあ」
そう言って朗らかに笑うお父さんに、謎の気恥ずかしさをおぼえて、わたしは「もうご飯できるからね」と捨て台詞を吐いて部屋から出て行った。
*
それから2日が経った。朝野は依然死んでるみたいに黙りこくったままだし、日に日に顔色もなんだかおかしくなってきている気がする。最初の方は心配して声を掛けたりしていたクラスの男子たちも、慣れてきたのか気味が悪くなってきたのか、今では誰も話し掛けようとしない。
今野先生も、何も言わないけど最近なんだか一気に疲れたような顔をしている。きっと朝野のお母さんに色々言われてるんだ、ってみんな噂していた。朝野のお母さんが来客用のスリッパを履いて廊下を歩いてたのを見た人もいる。
「大洋ん家ってやべーよな」
「まず大洋がやばいじゃん、あんなお母さんじゃああなるよ」
そんなような噂――というか陰口――聞こえてるかどうか怪しいけど本人が教室にいるのに――も段々耳につくようになっていった。
「ずいぶん勝手なもんだよなあ、あんだけ朝野と一緒になって騒いでたくせに」
今日は鳥の気分だったらしいユートが、わたしの頭の上で呆れたような声を上げる。確かに、噂を口にしているのは女子もそうだけど、朝野と仲良くしていたはずの男子も混ざっているときがあった。
「……なんか嫌な感じだよね。確かに朝野くんのお母さん……まあ、感じ悪かったけど……あんな風に言うことないのに」
すずちゃんが、なるべく周りに聞こえないようにぼそぼそと低い声で呟く。
「うん……やだね」
みんなでこうやってぼそぼそと聞かれたくない話をしているこの状況は、騙し合いでもしてるみたいであんまり気分のいいものではない。
すずちゃんとこういう話をしているのは嫌で、なんとなくパーカーの紐をいじっていると、あまり音量をはばからない男子の声が耳に飛び込んだ。
「大洋さあ、昨日ちょっとだけ喋ったんだけど……『くま』? がどうとかって言って、訳わかんない。ほんとにおかしくなったのかな」
「え」
脳みその中でぽつぽつと光った点と点が、カメレオンの舌とハエみたいに一瞬で結びつく。呑み込んで、勝手に喉から転げ落ちた声に、すずちゃんが首を傾げた。わたしは何でもないよ、と慌てて首を振って、それから咄嗟に飯豊さんに視線を向ける。いつも通り、席に座って数字とか色々書かれた本を読んでいる。
でも、うつむいているせいで前髪の被さったその下で、頬が真っ青になっていた。見開かれた目はたぶん、もう本なんて読んでいないと思う。
次の瞬間に、飯豊さんは膝裏で無理矢理椅子を引くようにして立ち上がった。ガタンと耳の穴をぶつような大きな音がした。みんながそっちを向く。そのままずんずんとこっちに向かってきて、かと思えばわたしの左手を掴んでぐいと引っ張る。わたしは一瞬びっくりして踏ん張りそうになったけれど、なんとなく飯豊さんのしたいことは分かるので、目をまん丸にしたすずちゃんに「ちょっとごめん」とか何とか言って、大人しく飯豊さんに着いて行った。ユートは頭の上で寝ている。
わたしたちは一言も喋らないまま廊下を渡って、空き教室に入った。昔はもっとクラスが多かったらしいけど、この辺の子供が少なくなったとかで使われなくなったところだ。そこにわたしを引きずり込むようにして、飯豊さんは手を離す。
「……ねえ、樋渡さん」
少しだけ声が震えていた。
「あのぬいぐるみ、どうしてる? まだある?」
「あ、あるよ」
「あれに何か話しかけた?」
「ううん……」
あれはわたしの部屋の机の上に置いてあるし、ユートは最初こそしきりに気にしていたけど、結局何もないからって飽きるのも早かった。今も家でおとなしく留守番をしていることだろう。
飯豊さんの唇は青くなっていた。冷凍庫に入れられたみたいにがたがた震えている。明らかに様子がおかしい。頭のてっぺんが引っ張られるような気分がした。
心臓が、どくどく言っている。
「私、一度だけあのくまに話し掛けたことがあるの」
「え……」
「朝野くんにいくら注意しても無視されるから、腹が立って……どうして大人しくしてくれないんだろうって、一旦叱られて怖い目にでも遭って静かになればいいのにって、言ったの。……朝野くんがおかしくなる前の夜だった」
頭の上でユートがもぞりと動いた。
「ほ、ほんとにあんな風になるなんて思ってなかった。タイミングは良すぎたけど、何かの偶然としか思わなかった。でも、……でも、たぶん、そうじゃないのかもしれない」
「くまが……ナントカ、って言ってたらしいよね」
頭が軽くなった。背中の後ろでからからと窓の開く音がする。飯豊さんはうつむいていて、全然気が付いていないみたいだった。
「わ、わかんないけど……そんなの普通はありえないけど……もしかして、あのくまが、何か変なことしたんじゃないかって」
「おっ、落ち着いて飯豊さん」
前に怖いテレビで見た悪霊に取りつかれたひとみたいに目を見開いて、俯いたり顔を上げたり忙しいから髪もぐちゃぐちゃにほつれかけていて、一瞬後退りしそうになった。両腕をぎゅっと掴まれて痛い。
「樋渡さんっ、あのくま、あれ持ってきて、お願いしたらやめるかもしれない、どこにあるのっ?」
「それは――」
ぽす、と首の後ろがほんの少しだけ重くなった。わたしはそっと飯豊さんの腕を外して、手を後ろに持って行くと、フードの中に突っ込む。
「……ここにあるよ」
ユート、ずいぶん早かったけど、空でも飛んで来たのかな。見れなくて残念だ。
*
わたしがどこからいつのまにどうやってぬいぐるみを出したかなんて気にならないみたいだった。飯豊さんはわたしがくまのぬいぐるみを掲げてみせるなり、猛然とひったくるように掴みかかって、じっと青い顔を近付けた。
「ねえ、あんたなの? もうやめてよ、確かに朝野くんはムカつくし、静かになればいいのにって思ったけど、本当にああなったって困るよ、もうやめて! 頼んでない! 勝手なことしないで!」
飯豊さんが髪を振り乱して叫ぶと、突然古ぼけたくまの首がくたりと折れ曲がった。背筋がぞわっとしたその瞬間、黒いスライムが身体にぐるぐると巻き付いて、わたしを勢いよく後ろに引っ張った。
何が起きているのかよく分からなかった。わたしが九九を必死に覚えてる間に授業は筆算のやり方まで進んでたあのときみたいだった。
わたしは尻もちをついていて、くまは飯豊さんの手から滑り落ちている。いや、もうくまですらなかった。ぬいぐるみの綿を裂いて、虫のような何かが這い出していた。明らかにくまより大きくて、紫色と緑色が混じったような気持ち悪い色をしていた。むかでみたいに沢山足があった。背中がぞわぞわして、うひ、と喉から引きつったような息がもれる。
飯豊さんは一層顔を青くして、2、3歩後ずさったけれど、自分の足に足を引っ掛けて転んだ。声にならない悲鳴を上げて、涙をぼろぼろこぼしながら首を振っている。
「ゆ、ユート、あれ……」
わたしが恐る恐る指をさした瞬間に、ユートは大口を開けた真っ黒い口だけの化け物みたいにがばりとくま――の中身の虫に襲い掛かっていた。
「きゃあああああっ!?」
飯豊さんの悲鳴が教室いっぱいに響く。次の瞬間には、ユートは虫をばくりと食べて、いつものぺちゃんとしたスライムに戻ってしまった。
……ほんとに食べちゃったの? いいのかな、大丈夫かな……。
「あっ、え、な、なにこれっ、たべ、たべた」
「え……」
――たべた?
わたしが呆然としていると、まだパニック状態らしい飯豊さんが尻もちをついたまま、明らかにユートを見て怯えたように後退りしている。
「……もしかして飯豊さん、ユート見えるの?」
「ゆ、ゆーと? ってなに……!?」
「それ……」
指をさすと、ユートは「お」とのんきな声を上げて、ずるりと身体を縦に長く伸ばした。小さく悲鳴を上げる飯豊さんの前で、どんどんヒトのかたちに変わっていく。
わたしと同じ、焦げ茶色っぽい髪。鏡を覗き込んだみたいにそっくりな顔。無邪気に持ち上がった口の端に、おひさまにも似た輝く丸い瞳。
「え、えっ? ひ、樋渡さん……?」
「俺、ユート! ずーっとゆらと一緒にいたぜ!」
金魚みたいに口をぱくぱくさせる飯豊さんをとりあえず立たせると、震えながらしがみついてきた。何を言っていいかも分からなかったので背中を撫でていると、ばたばたと忙しない足音が近付いて、かと思えば勢いよく教室の扉が開く。
「どうしたのっ!?」
「あ、先生……」
息せききって飛び込んできたのは今野先生だ。泣いている飯豊さんと背中を撫でているわたしの姿を見て、首を傾げている。
「ごめんなさい、怖い話してたんです」
「え、そ、そうなの……? 飯豊さん……?」
飯豊さんはわたしの肩に顔をくっつけたまま、うんうんと頷いた。少しだけ冷静になってきたのか、話を合わせてくれてちょっとほっとしている。今野先生は少しだけ胡乱な目をしていたけど、とりあえず納得してくれたみたいだった。
「そう……樋渡さん、怖い話上手なのね……」
「えへへ……騒いでごめんなさい」
「気を付けてね。もう朝の会始まるから、えーと……1時間目までには戻ってきてね」
「はあい」
扉が閉まって今野先生が出て行くと、知らず知らずのうちに気が張り詰めていたみたいで、息がもれた。気付けば廊下にも何人か集まってるみたいだけど、教室を出た今野先生に注意されて教室に戻って行ったらしい。
肩のあたりが濡れてじんわり熱くなっている。
「そういえばユート、あれ食べちゃったの? いいの?」
わたしが聞くと、ユートは人間体になったときに着ていたズボンのポケットに手を突っ込んで、なんでもないような顔で頷いた。
「へーきへーき。……それにしても、なんか臭いと思ったら。あれたぶん、『収容対象』だ。本性見せるまで気付かねーもんだなあ」
「しゅう……なに?」
聞いたことのない言葉に眉が寄る。ユートは少し考えるような素振りをして、それからわたしに視線を向け直した。
「食っても殺してもいいってこと」
「えぇ、ほんとに言ってんの……?」
だいぶドン引きだけども。
そうしていると飯豊さんがゆっくりと身体を離す。目は真っ赤だけど、表情はすっかり落ち着きを取り戻しているように見えた。
「……だいじょぶ?」
「うん……どうも」
もごもごと口の中で呟いた飯豊さんは、わたしから距離を置きながら、気味の悪いものを見る目でわたしとユートとを交互に見比べる。
「その、それ……なに? なんなの? さっきのくまも……」
「くまは分かんないけど……この子はユート。不思議生命体って感じ」
「はぁ~……?」
あまりにも胡散臭そうな顔をするので、ユートがその場で一瞬で溶けてスライムから猫になってみせると、飯豊さんは「それやめて!」と腕をさすりながら後ずさった。怖いみたいだ。
「もう、ほんとに意味わかんないけど、目の前で起こったことはどうしようもないし……はぁ。そういえば、朝野くんはどうなったのかな……」
現実逃避をしてるんだかしてないんだかそんなことを呟いて、飯豊さんはポケットから白いハンカチを取り出して目元を拭うと、わたしたちを置いて空き教室を出て行ってしまった。飯豊さんがそんなことをするから、わたしはクラスのみんなから「お前まさか」みたいな目を向けられて、誤解を解くのに大変な苦労をしたのは言うまでもない。
朝野はその日は変化がなくて一日ひやひやしていたけど、次の日にはすっかり元に戻っていた。他の子が話を聞いたところ、毎日毎日あまりにも怖い夢を見ていたって――みんな、何だそれと言いたげな顔をしていたし、実際そう言った人もいる。
わたしも何も知らなかったら意味わかんないと思っていただろうけど、あのくま(の中身)が飯豊さんに言われた通り、朝野に大人しくするよう夢の中で脅しつけていたのかもしれない。確かに怖い。怖いだけじゃなくて、なにかそういう不思議な力でもあったのかも……ユートが食べちゃったので本当のことはもう分からない。
大人しくしていた朝野を気味悪そうに遠巻きにしていた男子たちは何事もなかったみたいにすっかりいつもの調子で朝野と騒いでいる。それこそ気味の悪いような気がしたけど、まあ、本人たちがいいならいいのかもしれない。
ユートは今日も猫の姿で丸まりながら、「うるせーなあ」とぼやいていた。
……作文、飯豊さんの家に行ったことでも書こうかな。
ゆらのおと ぽ @ohhhhh-my-god
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