第4話 可能性を叩いている

 私は段々と冷静になっていた。

彼らは私に対して危害を加える可能性は低い。そしてその冷静さとともにいくつかの点に気づいた。

 まず、この部屋には時間がない事に加えて私は空腹を覚えることもなかったしトイレに行きたいとも思わなかった事だ。

また、体が汚れるということも無かったので入浴したいという気持ちもなかった。が、私は眠る事はあった。眠気は訪れた。そして眠っている間にはあのスピーカーの音も無かったし、部屋に入ってくる男達もいなかった。

 再び窓際に行ってヒマワリを見た。

黄色い、生命力に溢れたヒマワリが立派に立っている。しばらく観察していると、それはウネウネとわずかながらも常に変化し続けている事がわかった。色を変え、態勢を変え、葉の形を変えていた。

 このヒマワリは生きている、と私は思った。もちろん植物は全て生きているのだが、その生き方は植物というよりも動物に近かった。

 私は机に戻り椅子に腰掛けた。

 椅子に座ると右手には窓が見えるが左はコンクリートの壁だ。私は椅子から立ち上がり左側の壁に近寄った。そして壁に手を触れ、そこにそっと耳を当ててみた。何か聴こえるかもしれないと思ったのだ。

 驚いたことに耳を当てたコンクリートの向こう側に、生活音のような音、例えば車の走行音や人の声らしき音が聴こえてきた。

この壁の向こうは外なのか?

 私がそれと同時に思ったのはここから出たい、という事だった。

その事はしばらく頭から離れていた事だった。外があるなら、この向こうに生活音があるならまた元の生活に戻れるという事ではないか?

 私は壁から耳を離し、振り返って周囲を見渡した。ドアにそっと近づき、ドアノブをゆっくり回してみた。が、やはりドアは閉じられていた。


 その時天井のスピーカーから声がした。

「・・・ボタンを押してください」

 例のアナウンスだ。私は椅子に駆け戻り、少し考えてから右側のボタンを押す。

窓から見えるヒマワリは一瞬だけ震え、その後に上部の葉の色を緑色に変化させたがやがてゆっくりと黄色に戻っていった。

 私はヒマワリの変化を見届けると椅子に座って両手を上にあげてストレッチをしながら黒いシャツの男の言葉を思い出していた。

 

「あのヒマワリは滅多な事では枯れません。相当苦しむとしても枯れません。」


 男はそう言った。現に今もヒマワリの葉は生命力に溢れた黄色を取り戻している。あのヒマワリは植物ではありえない速度のレジリエンス、一種の回復力を持っている。

男達の言うように右側だけのボタンを押していくのが正しい事なのかもしれない。

が、しかし私はあの光景、つまりヒマワリがその頭を垂れてタネをボロボロと震えながら落としていた光景を思い出し、その結論に同意することを拒んだ。

 黄色いシャツの男は『ヒマワリがどれだけ苦しもうが我々は痛くも痒くもない。そしてヒマワリが苦しむ事が結局は我々が生き延びる事に繋がる』と言った。その言葉の意味を私は何度も考えてみた。が、明確な答えは得られなかった。

 そのように私がヒマワリを観察しながら幾つかの仮説について思案していた時、ドアをノックする音がしてドアの方を見た。


 初めて見る男だった。白いスーツ、白い靴。白の丸い縁のメガネをかけている。歳や身長などは黒や黄色の男たちと殆ど変わらないように見えるが、髪にも白いものが混じっていた。この白いスーツの男は一人で部屋に入ってきた。

 男は屈託のない笑顔を私に向けて「やあ」と言った。

そして窓際に足早に歩いて向かい、ヒマワリを眺めた。

「うーん素晴らしい。素晴らしいねえ。美しい」

と極めて愉快そうにそう言うと窓から私の方に顔を向け笑顔を見せた。

私は愛想笑いを返す事しかできず、言葉も出てこなかった。

 白いスーツの男は振り向いて部屋の中央に向かって歩きながらわずかにかすれた声で話し始めた。

「僕は、左のボタンを押すべきだって思うん、です」

です、という語尾をなぜか離して彼はそう語った。微笑みを絶やさないまま彼は続けた。

「だってあーんな美しいものを苦痛にさらすって、僕は耐えられないんだもん。で、あなたもそう思ってると思うん、です」

男は『です』の音程をわずかに上げるようなイントネーションで語った。

私は慎重に言葉を選んで返答した。

「ええと、今の正直な気持ちを言うと、怖い、なんです。なのでいきなりそういう話をされましてもちょっとなんと答えていいのか。・・・ただあなたが今おっしゃったようにあのヒマワリが苦痛を受けているのは私も感じました。それはできることなら避けたいです」

私がそう言い終わると、二人の間にしばしの沈黙があった。私は何かまずい事を言ったのかと怯えていた。この白いスーツの男は他の二人の男とちょっと雰囲気が違う。

 白いスーツの男は黙って私の方を見ていたが、その時も微笑みを絶やす事はなかった。が、その微笑みはさまざまな感情を含んだ微笑みに見えた。私は身構えた。

「そうなんです。・・・さすが。あなたはわかってらっしゃる。ヒマワリなんていくら苦しんでもいいから我々だけが生き延びればいいんだっていう、そういう勢力がいるのも事実です。でもボタンを押す決定権を持ったのがあなただったってのは我々には幸運な事だ」

男の笑顔はハッキリとしたものになった。私は彼は本心からこれを語っているという印象を持った。

「黒いシャツの方や黄色いシャツの方がおっしゃるには、左のボタンを押すと大変な事になる、って話なんですけど、それは・・・」

私はそう言って白いスーツの男の反応を待った。

「うーん、まあ言ってしまえば嘘ですよ。彼らの嘘」

そう言って男は笑った。彼の髪の毛に白髪が混じってるせいだろうか、今までの男たちよりも幾分貫禄があるように見える。

「ということは大変な事になんてならないって事ですか?」

「ならない」

白いスーツの男は笑顔をやめ、真剣な顔でそう言った。そしてまた笑顔に戻り話を続けた。

「あなた、左のボタン、押しましたよね?・・・何か大変な事、起きました?」

男は満面の笑みだ。私も笑顔で「いえ起きてないです」と答えた。

「つまり、ということは?」

と、男は笑顔で私の顔を見ながら語り私の答えを促した。

「大変な事になんてならない?」

私が答えると「そう!」と言って男は大きな声で笑った。

そして笑いが収まった後で真剣な顔をして私にこう言った。

「左のボタンを押してください。美しいものが苦しむ姿を見たくないんです」

私は彼の言葉を信じても良いものか判断ができなかった。

 

 その時スピーカーから音がした。

「・・・ボタンを押してください」

 私は白いスーツの男を見た。笑顔は消え、私を凝視している。窓の外のヒマワリを見るとさっきとはうって変わって色が悪くなっていた。


 私がヒマワリに目をやったとほぼ同時にガチャリとドアが開いて、黒いシャツの男が部屋に入ってきた。

「余計な事言わないでもらえますかね?」

黒いシャツの男はドアを開けるなりすぐに白いスーツの男にそう切り出した。

白いスーツの男は微笑を浮かべたまま黙っていた。

「早く右のボタン押してください。この人には困ってるんですよ。左押せって言われたんでしょ?こんな人の話信じたら我々死んでしまうから。右おしてください、早く!」

黒いシャツの男はイラついているようだ。白いスーツの男は黒いシャツの男は無視するかのように私に向かって笑顔でこう言った。

「この人達の言うことは信じる必要ないからね。この人達、あなたに対して何も出来ないから。この人達はね、あなたに指一本触れる事はできない。勇気を持って左のボタンを押せばいい」

黒いシャツの男はため息をついた。

 私は一瞬迷った後で左のボタンを押した。カチッという音とともに黄色い箱の部分が光る。私はすぐにヒマワリに目をやった。押して1秒とたたないうちに葉の色が美しい黄色に変化した。

白いスーツの男は私の方を見て拍手した。そして例のかすれた声で「素晴らしい」と言って満面の笑みを私に向けた。

 ドアが再び開き今度は黄色いシャツの男が部屋に入ってきた。そしてドアを乱暴に閉めると白いスーツの男の元に近寄った。

「おい、お前消えろよ。今すぐ消えろ!」

黄色いシャツの男が白いスーツの男に叫んだ。

白いスーツの男は返答をせず目も合わせようとしない。

「てめえこの野郎。消えろよ、この偽善者が」

白いスーツの男は『偽善者』という言葉にだけ反応したように見えた。

だが黄色いシャツの男を一瞥しただけでそれ以上のリアクションはせずにドアの方へと向かって歩いていった。そしてドアを開けて部屋から出る直前に私の方を見て再び屈託のない笑顔を見せ手を振った。


 私は彼が部屋から出ていったのを見届けながら考えていた。

白いスーツの男は『この人達はね、あなたに指一本触れる事はできない』と言った。そうかもしれない。その可能性が高い。そしてもしもそれが事実ならば力づくで私にボタンを押させる事はできないのだ。


「あなた達は私に触れる事ができない」

私は黒いシャツの男と黄色いシャツの男に向かってそう言った。

「そうですね」

黒いシャツの男は低くそう答えた。黄色いシャツの男はイライラしているように見える。

「俺達はあんたにさわることはできない。だから好きなボタン押せばいい。でもなハッキリと言っとくぞ。左のボタンを押すのは、や、め、と、け」

黄色いシャツの男は「や、め、と、け」の部分を強調してそう言った。

黒いシャツの男がそれに続くように喋り始めた。

「あの人はねえ。結局ナルシストなんだよね。自分に酔ってる。無責任に綺麗事を並べてるだけ。後先考えずに『左のボタンを押そう、ヒマワリが苦しむ姿を見たくない』とかさ、無責任なんだよ。俺たちは違うわけ」

そう言うと黒いシャツの男は黄色いシャツの男を見た。

黄色いシャツの男は「そう!」と強く相槌を打った。

「彼は左のボタンを押しても大変な事は起きない、とおっしゃってましたが?」

私はそう言った後で不思議なほど強気になっている自分に気づいた。それは男達が自分に指一本触れることが出来ないという事を認識したためだったのだろう。

「起きる」

黒いシャツの男は即答した。

黄色いシャツの男には怯えにも似た表情が見て取れたが何も言わなかった。私はどちらを信じるべきか分からなくなった。


 私がこの時うっすらと持っていた仮説はこうだった。

白いスーツの男の話を信用するならば『右だろうが左だろうがどちらのボタンを押そうが関係がない、ただ右のボタンを押せばヒマワリが苦しみ、左を押せばヒマワリは苦しまない』

ではなぜこの黒いシャツの男と黄色いシャツの男はヒマワリを苦しめたいのか?サディズム?いや、彼らのこれまでの様子からその線は考えづらい。彼らは生き延びようと懸命なのだ。

 私は男達にいくつか質問をすることにした。

「いくつか質問させてください。それによってどちらのボタンを押すか決めます」

私がそう言うと黄色い男は大きく苛立たしげなため息をついた。

「ええと、あなた達の間に序列というのものはあるんですか?つまりどちらかが階級が上とか下とか」

黒いシャツの男と黄色いシャツの男は顔を見合わせた。黄色いシャツの男が答えた。

「いや、無いな。ただ時期によってはある一定の奴だけがあんたに対して支配的になるってことはある。だけどそれも流動的だ」

「私に対して支配的になる?それは、つまりはこの部屋にいる時間が多いとかそういう意味ですか?」

「そう。そういう意味かな。俺たちはあんたに呼ばれないとここに来れないわけだから」

 

つまり私が彼らをここに呼んでいる?にわかには信じられない話だ。が、序列などはないようなのは伝わってきた。誰かが偉いとかリーダーとかいう事はないようだ。

「もう一つ答えてください。ここには一体何人あなた達のような人がいるんですか?」

また二人が顔を見合わせた。今度は黒いシャツの男が答えるようだ。

「それはもう論理的には無限にいるんじゃないかな?無限なんてありえないかもしれませんが」

 私はからかわれてるのかと一瞬思ったが黒いシャツの男の表情を見ると真剣そのものだった。彼は正直に答えているようだ。

ますます分からなくなってきていた。私は窓の外のヒマワリを見ながらもっと本質的で決定的な質問を考えた。私はここから出たいのだ。元の生活に戻りたい。

「そもそもこのスイッチはなんなんですか?このボタンを押す事の意味を教えてください」

私は強い口調で言った。もう彼らに対して怯えの感情は無かった。

 また男達二人は顔を見合わせた。黒いシャツの男が小さな声で答えた。

「ボタンを押す事の意味、ですか。・・・前にその話はしましたね。あなたが知る必要はない、と。あなたはボタンをただ押せばいいのだ、と」

私は黙って男の顔見ていた。

「でも、もうそれじゃあ納得しない、というわけですね」

黒いシャツの男はそう言うと小さくため息をついた。

「一言で言うならって事です」

可能性を叩いている、私は心の中で何度か反芻した。

可能性を叩いている、

可能性を叩いている、

可能性を叩いている・・・


「一体、何の可能性ですか?」

私は男に向かって問いかけた。

黒いシャツの男は無表情だった。黄色いシャツの男はうつむいていた。

「本来なら、あなたがそれを知る必要はないんです。あなたはボタンを押す事だけをすべきでそれを促すのが我々の役目なので」

黒いシャツの男の話に黄色いシャツの男が割って入ってこう言った。

「可能性を叩くのは実際にはあんただけどそれを判断するのは俺たちってこと。ようするに、右のボタンを押すってこと。それだけでいいんだよ!何度も言わせないでくれ!」

黄色いシャツの男は取り乱しているようだった。私はますます冷静になっていく自分に気がついた。そして静かにこう尋ねた。

「でもヒマワリはその度に苦しみますよね?」

と。それに対して黄色いシャツの男はさらに苛立ちを強めて答えた。

「どれだけアレが苦しもうが俺たちには関係ないんだって言ったよな?」

「確かにあなたは言いました。そして『ヒマワリが苦しむ事が我々が生き延びる事に繋がる』、とも」

「その通りだよ!」

黄色いシャツの男はそう叫んだ。黒いシャツの男は目を閉じて顔を見上げていた。

「つまり、」

と言って私はしばし考えを整理し、言葉を続けた。

「可能性とは、生き延びる可能性の事ですよね?」


私がそう言うと黒いシャツの男は閉じていた目を開けて私の方を見た。そしてこう言った。

「そう。

 

 その時天井のスピーカーが声がした。

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