第3話 ヒマワリ

 私は光が変わらずに差し込む窓の側へ歩み寄った。

 窓は2枚のガラスが上下に並べられていて、上げ下げで開閉するタイプのようだが開けるレバーなどは見当たらない。閉じられている。

 窓の外は中庭のようになっていて2mほどのヒマワリが咲いていた。ヒマワリ以外には名前の知らない草が短く生えているのみだった。

 中庭を挟んで向かい側にはこちらと同じ種類の窓のついた部屋が見える。丁度この部屋と対になっている部屋のようだ。人影は見えない。中庭に面した、こちら側から見た右手にも左手にもコンクリートで覆われた壁が見えるだけだ。

 私は机の位置に戻って椅子に座り、窓とそこから差し込む美しい光を眺めた。

窓からはヒマワリがよく見えた。というよりもヒマワリがよく見えるように窓と椅子を配置した、とでも言うかのようにそのヒマワリの様子を観察する事ができた。


 私は急激な眠気を覚えた。

どうしようもない疲れが襲ってきた。眠りにつき、そして悪い夢なら醒めていて欲しい、と願った。私は椅子に頭をもたげ全身の力を抜いた。

 目を閉じる直前に窓に目をやるとヒマワリがこちらの方を向いて、その黄色い生命力に溢れた葉をたなびかせていた。



 ・・・目が覚めると、やはり同じ部屋だった。

そして眠りにつく前と同じような角度で窓から光が差し込んでいた。時間は動いていないようだ。

 ドアの前には昨日の全身黒ずくめの男が立っていた。

今日の彼は黒いシャツに黒いスラックスに黒いスニーカーという服装だった。

「こんにちわ。ご機嫌いかがですか」

男は部屋の中央に歩きながらそう言い、私は「ああ、少し寝ていました。先程はどうも」と答えた。

男は私の返答に一瞬驚いたように浮かべていた笑顔を無くした。そしてすぐに元の微笑を私に向けた。

「私の話を覚えておられますか?」と男は言った。私は「はい」と答えた。

男はゆっくりと頷き、「それなら話は早い」と言った。


 窓を見ると同じようにヒマワリがそこにあった、いや、よく見るとヒマワリの葉の色が眠りにつく前よりも黒ずんでいる。

 その時、天井のスピーカーが鳴った。

「ボタンを押してください。・・・ボタンを押してください」

黒いシャツの男は黙って私を見ていた。

 私は右側のボタンを押した。

 カチッ。そしていつものように黄色い箱の部分が光る。何も変化はない。

 が、その時私はヒマワリがわずかながら事に気づいた。

「え?ちょっとまって、どういう事だ?」

私は独り言を言った。スピーカーからもう一度「ボタンを押してください」という声。私は今度はヒマワリから目を離さずにゆっくりと右側のボタンを押す。

 カチッ。

 押した瞬間、ヒマワリはブルブルっと震え、そして葉の色をわずかに黒く、そして茎から数本の繊維質の何かを落とした。


「ヒマワリが苦しんでる」


 私は独り言を言った。そのように見えたのだ。ヒマワリがまるで人間のように、リアルタイムに苦しみ悶ている。なぜだ?

「ボタンを押してください」

さっきよりも早口なスピーカーからの声。

黒いシャツの男も「早く押しなさい」と続く。

 私は躊躇した。右側のスイッチのボタンを押すとヒマワリが苦しむ? そういう事なのか? もう一度ヒマワリから目を離さずに右側のボタンを押す。

 ヒマワリは苦しげに頭を下げ、を幾粒か地面に落とした。その姿はまるで泣いているかのようだった。葉の色はさらに黒ずんでいる。

「ちょっと、すいません! これ、あの、ヒマワリがなんかダメージを受けてるみたいなんですけど」

私は大声で黒いシャツの男に向かって叫んだ。

返事はない。

またスピーカーからの声。

「ボタンを押してください。・・・ボタンを押してください。・・・ボタンを押してください」

「待ってくれ!」

私はもう一度叫んだ。そしてボタンを押すことを保留した。ヒマワリとこのボタンがどういう関係にあるのか引っかかる。

「ちょっと押せないです! ヒマワリが気になるんです、すいません」

もう一度男に向かって言った。


 その直後私の正面に位置した例のドアノブが動き、男が一人入ってきた。

初めて見るこの男は黄色いTシャツに黄色い綿のパンツに黄色いスニーカーという服装だった。黒いシャツの男と背丈は同じくらい、年齢も同じくらいだろう。

 部屋に入るなり黄色いシャツの男が言う。

「押せよ。早く押せ」

そして黒いシャツの男に向かって「お前の説明がダメだからじゃねえのか?」と言った。

黒いシャツの男は苛立っているように見える。

再びスピーカーから「ボタンを押してください」という声がした。


 私は二人に向かってできるだけ冷静にゆっくりと話した。

「待ってください。私は事態が飲み込めてないんです。まずそこを分かって欲しいんです。すいません。私がただただボタンを押せばいいっていうのは、それは何度か聞きました。でもあなたは私のボタンの押し方がダメだ、ともおっしゃった。ある程度は事態がわからない限り、ダメじゃない押し方はできない、そうじゃないですか?」

 私は二人の男の返答を待った。彼らは黙っていた。その間に二度「ボタンを押してください」という音声がスピーカーから流れた。

黄色いシャツの男は明らかにイライラとした様子で軽い舌打ちをした後に、黒いシャツの男に「早く答えろよ」と言った。

 黒いシャツの男は黄色いシャツの男に「黙れ」と強い口調で答えたが、黄色いシャツの男は負けずに大きな声で「お前がダメだからこんな事になってんだ。お前がなんとかしろ! お前がダメなんだ!」と黒いシャツの男に怒鳴った。

黒いシャツの男は黄色いシャツの男の方は見ずに、私に向かって努めて冷静に語り始めた。

「了解しました。ええ、何が知りたいのですか?」

「まず、あの窓の外のヒマワリです。私が右側のボタンを押す度に何か急激に変化していく、といいますか、弱っていくんです。気のせいじゃないですよね?このボタンとあのヒマワリはどんな関係があるんですか?」

黒いシャツの男は咳払いを一つした。黄色いシャツの男は「はー。どうなってんだこれ」と苛立たしく呟いた。

「なぜあなたがのかこちらとしては不思議ですが、まずあのヒマワリが完全に枯れてしまえば我々は死にます。それはお分かりですよね?ですが、」

「ちょっと待ってください!」

私は黒い男の話に割り込んで私は叫んだ。ヒマワリが完全に枯れてしまえば我々は死ぬ?

「あのヒマワリが枯れたら死ぬ?初耳ですよ。なんで早く言ってくれなかったんですか?・・・っていうか右側のボタンを押す度にあのヒマワリはダメージを受けてますよね? じゃあ右側のボタンを押しちゃダメじゃないですか?」

私は早口でそうまくしたてた。どう考えてもそうとしか思えなかったのだ。

私の言葉を聞いた黒いシャツの男と黄色いシャツの男は一瞬顔を見合わせて、こいつは何を言ってるんだ?という表情をした。

「あのヒマワリは滅多な事では枯れません。相当苦しむとしても枯れません」

黒いシャツの男はそう言った。

続いて黄色いシャツの男は私の方を向いて語り始めた。

「ようするに、ヒマワリがどれだけ苦しもうが俺たちは痛くも痒くもない。そしてアレが苦しむ事が結局は俺たちが生き延びる事に繋がるって事だ」

言い終わると黄色いシャツの男はぎこちない愛想笑いを私に向けた。

 私は窓の方を見てヒマワリを見た。さっきよりは幾分黒みが黄色みに戻ってきたような気がするし、下にダラリと下げていた頭も上へ戻ったような気がする。

「左のボタンを押したらどうなるんですか?」

私は黒いシャツの男にそう尋ねてみた。

「そうですね。私としては、押さない方が良いと思います」

黒いシャツの男はキッパリと言った。

彼は私の質問に答えていない。私は左のボタンを押すとどうなるか?と尋ねたのだ。私は黄色いシャツの男の顔をじっと見た。

黄色いシャツの男は私の視線に気づいてこう言った。

「左のボタンを押してスイッチがちゃんと起動すれば、そりゃヒマワリは楽になるだろうけどさ。ぶっちゃけて言うとアレが楽になろうが楽になるまいが俺たちには関係がないし、俺たちが生き伸びるためには寧ろマイナスなんだよ」

 黄色い男がそう言い終わると同時位に私は左のボタンを押した。黒いシャツの男と黄色いシャツの男は二人ほぼ同時に「あ」という声にならない声をあげた。


 左のスイッチの黄色い箱の部分が光る。窓の外のヒマワリに目をやると、その葉は瑞々しさを取り戻すかのようにふっくらと水気を含んで行き、茎の色が緑の鮮やかさを取り戻し、黒みがかっていた葉に黄色さが戻っていく。それがまるで早回しの映像記録を見るように眼の前で起こった。

 黄色いシャツの男が黒いシャツの男に怒鳴った。

「これ全部お前のせいだぞ! どうするんだよ! お前どうするんだよ!」

黄色いシャツの男は黒いシャツの男に指を指してそう叫んだ。

黒いシャツの男は私の顔を真剣に見てこう言った。

「左のボタンを押すと、大変な事になるぞって言ったよね? なんで押すの?」

男の顔に怒りが見えた。

「すいません。左側を押したらどうなるのか確かめたかったんです。できるだけ押しません。右側を押します」

私がそう言うと黒いシャツの男と黄色いシャツの男はまた顔を見合わせた。そして安堵の表情を見せた。黄色いシャツの男は「なんだそういうことか」と小声で言って柔和な表情を見せた。

「お願いします。ボタンを押せるのはあなただけなんです。宜しくおねがいします」

そういって黒いシャツの男は私に深々と頭を下げた。その様子を眺めてた黄色いシャツの男は何度か頷いて「お前もやればできる奴なんだよ」と小さな言って黒いシャツの男に笑顔を見せた。

 私はその時に気づいた。彼らは私を必要としている。彼らは私を殺したり危害を加えたりする可能性は低い。なぜかはわからないが、このボタンは私だけが押せる。そして彼らはそれを必要としている。そこにある種の気楽さが産まれた。私は黒いシャツの男に向かって尋ねた。

「すごく変な事を聞くようですけど、ここには時間がないんですか? ずっと窓からの日の位置が変わらない」

 私がそう言った時にふと窓の外のヒマワリが目に入った。最初に見たときのような鮮やかな黄色い葉を完全に取り戻しているかのように見えた。左のスイッチが効いたのかもしれない。

「それでは、くれぐれもボタンをしっかりと押すように。お願いします」

黒いシャツの男は私の質問には答えずに振り返りドアの方へ向かって歩いていった。一人で。


 一人で? 黄色いシャツの男は? 見渡すとその姿はなかった。いつの間にここから出たのだろうか?

「すいません、あのーここには時間がないんですか?」

私はドアから今まさに出て行こうとしている黒いシャツの男に大声でもう一度尋ねた。

男はドアノブに手をかけたまま一瞬振り返って

「時間はここにはありません。それは我々だけが担えます」

と言って部屋から出ていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る