第32話 過去は全て現在におさまる

 一週間ぶりの再会と言えば恋人同士に聞こえるから言い直せと言われそうなので、口に出さず頭の中だけで言うが、一週間ぶりの再会である。


 曜子の部屋に入ったは良いがさて、何から話せば良いのか、何から聞けば良いのだろうか、ここに来るまでに考えていたのだが良い意味と言って良いのだろうか、曜子のテンションに調子を狂わされる。


 今に始まったことではないが、今日ばかりは明るいテンションに救われる。たとえそれが、曜子の本心を隠す為であってもだ。


 今日から夏休みのはずなのに、どうして制服なのかと尋ねたら、入院中で行けなかったから学校まで私物を取りに行ってたが真面目な曜子は制服に着替えて行くという自慢付きで説明してくれた。


 美味しいケーキと熱い紅茶をいただきながら話す内容でもないのだが、話さないと前に進まないので俺は重たい口を開いた。


「お父さんが言ってたこと、本当なのか?」


 少し意地悪とも取れる言い方に俺は逃げた。病気とか死という単語を言わずに曜子から現状を聞こうというのだから。


 美味しそうにケーキを食べる曜子の姿を見てると、何かの間違いなのではないかとさえ思ってしまう。間違いであって欲しいという願望の眼鏡をかけているせいかもしれないが。


「本当だよ。私は死ぬっていう選択をしたの」


 この玄関美味しいね。どこの店?って聞くようなテンションで言う曜子に改めて驚かされる。


 ただ、選択?という俺の問いかけには何も答えなかった。


「どうして、死ぬの?」


「私、病気なの。病名は白血病。持って後一年って言われてからどれくらい経ったかなぁ」


 一年という期間が既に始まっている事に改めて、死ぬ現実に襲われそうになる。


「じゃあ入院してたのもその影響で?」


「そうよ。けど大したことないのにお母さん心配性だから」


 俺は、テストの順位が悪くて不貞腐れているとばかり思っていたのだが、比べるのも申し訳ない位まだそっちの方がマシだった。


 聞きたい事は山ほどあるのに、何からどれ程聞けば良いのか訳がわからなくなってしまった俺は、落ち着かせる為に紅茶のカップを手に取ろうとした。


 ところが手元が狂い、掴みそこなったカップは倒れ、中の紅茶がこぼれてしまった。


 もう夏だと言うのに、熱い紅茶を飲んでる事をちょっと後悔するように、飛び散った紅茶が針で刺したように肌に求めていない刺激を与えてくる。


「ちょっと、なにやってんのよ。ホントとろいんだからぁ」


 慌てて勢いよく取り出したティッシュをテーブルにこぼれた紅茶に乗せ、ハンカチで俺に飛び散った紅茶を拭いてくれた。


 無防備な曜子がすぐ手の届く所にいる。俺は一生懸命拭いてくれる曜子の手を握り、強く抱きしめる……ことができなかった。


 手慣れた男性なら、簡単に抱きしめるのだろうか。抱きしめたいから抱きしめる。そんな時に相手の気持ちは関係ないのか?


 俺が手慣れていたら抱きしめていただろうか?考えても仕方ないが、ハプニングを利用してすることではない。


 しかし、かつてこんなに接近したことがあっただろうか。勉強を教えているときにあったかもしれなが、その時は邪心という下心は全くなかったはずだ。


 じゃあ今は下心があるのか。違う、下心で抱きしめたいのではない。恋心かと言われると、なにか違うような気もする。


 曜子が病気だからか。可哀想だからなのか。抱きしめて何かが救われるのか。


 拭き終わった曜子は離れてテーブルの上を綺麗にしてティッシュをごみ箱にポイッと捨てた。


 新たに注がれた紅茶を今度はこぼさないように慎重に手に取った。


「その、治る手段とかないの?抗がん剤治療とか」


「あったよ」


 あるのか。いや、あったという過去形が気になる。


「私の場合、進行が早くてね、見つけた時にはもう厳しいかもって状況だったの」


「それでも……」


 言いかけて俺は口を閉じた。今説得してどうにかなるのか?ならないだろう。発見した時でさえ厳しいと言われたのに。


「言ったでしょ、お父さんの期待に応えれず親子の歪みができて。クラスでもさ、看護師になりたいって言うのはあのクラスでは勉強の邪魔者なの。レベル高い進学校目指してるクラスに私みたいなのは半端者みたいになってね。友達っていう友達もいなかったし。短い人生だったけど、こんなものかぁって投げやりになってね」


 曜子はお皿の上に置かれた色とりどりのマカロンを、一列に並べたり回してみたりしながら語ってくれた。


「いいのよ。将来性のある人や、友達がいっぱいいる人が死んじゃったら悲しむ人もいっぱいいるじゃない。だから神様は私を選んだんだと思うよ。そして、私はその現実を受け入れたの……」


「じゃあなんで看護の大学受験目指して俺と勉強をあんなに必死にやったんだよ」


 ぶっきらぼうな言い方だったが、死ぬことを受け入れたなら大学に進学しても仕方がないんじゃないのか?俺はこの疑問が昨日からずっと頭から離れなかった。


「死ぬまで、何もせずに待つのも嫌じゃない。かと言って他人に迷惑気にしないで好き勝手遊ぶ気にもならないし。私、育ちが良い方だしね」


 自分で言って恥ずかしかったのだろうか、テヘっと舌を出す仕草が可愛かった。


「それに……、ウタルが家庭教師をしたいって言うし。まぁ結局はペンダントのお陰というか、目的がそれだったんだと思うけどね」


「確かに、最初は肉眼で”W”が見えるからってのはあったけど、縁がなかったら出会ってもいなかったんだよ」


 んー、と言いながら納得いかない様子だ。


「じゃあひったくり犯がカバン取ってなければそのまま通り過ぎてたってこと?」


「そういうことだよ。全ては縁なんだよ」


 ふーん、と言ったまま黙り込んでしまった。


「全てが縁でウタルとも知り合って、それも全て出会う運命だったってこと?」


「そうだよ、縁も全て運命なんだよ」


 俺の言葉を聞いてからしばらく何も言わず俯いたまま、表情は垂れる横髪で見えなかった。


 鼻をすする音が聞こえ、様子が変だと気づいた時には曜子はくしゃくしゃになった顔を上げて泣いていた。


「だったらウタルなんかには出会わなかったらよかったのに……」


 涙で頬に引っ付いた髪の毛が涙の重さを教えてくれる。


 女性が本気で泣いているのに遭遇するのは初めてで、ましてや自分を否定するような発言をされては返す言葉が見つからない。


「な、なんで……?」


 そうとしか言いようがなかった。あんなに仲良く接してこれたと思っていたのに、思っていたのは自分だけだったのかと。


「私はあの時、病院で治療するかしないか最後の選択の日だったの!私は治療しないで死を選んだのよ?その日にウタルに出会ったのよ。何も知らないウタルは私の夢の為に必死に勉強を教えて……合格しても卒業まで命が持たないのに……」


 泣いてるせいなのか言葉に詰まりながら曜子は続けた。


「私は死ぬ運命だった!その運命を受け入れた日にウタルに出会った!なのに今日までの間、どれだけ運命を憎んだと思う?ウタルとの何気ない日々を過ごす度に死は近づいてくるの。いつウタルに言おうかって思ってても言えなかった……ウタル、一生懸命お仕事して真っ直ぐ生きてるんだもん……」


 ゴメン……。自然と出た言葉だった。曜子の事を何も知らなかった俺は、思い返せば傷つけるような事も言っただろう。謝っても取り戻せないが謝るしかなかった。


「……違うの……。ウタルと一緒にいることで、死ぬ覚悟をした自分に嘘をついてることに気付いたから!言ってももう遅いのに!言ったらウタルに嫌われるから!」


 俺はポケットからペンダントを取り出してテーブルの上に置いた。全てはこのペンダントから始まったのだ。


「ウタルと離れたくない!死にたくない!一緒に生きていたいよぉ……」


 泣き叫ぶ曜子を引き寄せ、強く抱いた。自然ととった行動に驚いているはずなのに、どこか落ち着きを感じながら確信した。


 これが、愛しいという感情なのだと。


 ずっと胸の真ん中に引っかかっていたもの。


 愛という字は、真ん中に心がある。


 言葉でも、頭の中でも理解するものなんかじゃない。愛は、心で感じるものなんだ。


 腕の中で大声で泣き続ける曜子の頭を、くしゃくしゃになるまで撫でた。小さく震える曜子がこんなにか弱く思ったのは初めてだった。腕に涙の温度を感じた。


 泣き続ける曜子の涙が、テーブルの角に置いてあったペンダントに落ちた。


 次の瞬間辺りは真っ暗になり、鏡から放たれた光に部屋は包まれ、俺と曜子は光の渦にとけていった。


 


 


 


 


 


 全ての偶然が重なりあって一つの必然を生み出し、その必然が偶然を呼び合って繰り替えしていく。


 あの日、マタジに面接に行かなければ


 あの日、曜子があの場所を歩いていなければ


 無数の偶然が重なりあって俺と曜子は出会う。


 けどそれは出会う運命だったはず。


 運命は変えられない。だけど自ら導くもの。


 俺は曜子を引き寄せ


 曜子は俺を引き寄せた


 世界に何十億という人がいるのに


 今抱き合っているのは運命以外考えられないよ


 


 


 


 


 俺は曜子と抱き合っていた。


 いつかみた夢のように、水の中にいるよな感覚で


 夢と違うのは、抱いているのが曜子だとはっきりわかること


「……ここは?」


 目を覚ましたかい?


 ここは俺の夢の中かもしれないし、曜子の夢の中かも。二人が同時に同じ夢を見ているのかもしれないし。


「なんで二人とも裸なの?」


 わからないけど、もしかすると母の胎内なのかもしれないな


「お母さん?」


 ふわふわ浮いて気持ちが良く、不安な心が一切なかった。


 人は誰でも母から生まれてくる。俺達が生れて出会えたのも、両親が出会ってくれたからなんだ。今の自分がこの世に存在していることを両親に感謝しないといけないね。


 その両親も母から生まれてくる。じいちゃん、ばあちゃんと、ずっとずっと昔があって今があるんだよ。


 今から思えば俺達が出会うのは運命だったってこと。遠い昔からの運命だったはずだよ。だけど


「だけど?」


 これからの運命は自分たちで切り開いていくものなんじゃないかな。その結果を未来の自分や子孫が運命って決めてくれるんだよ。


「でも、私……」


 これから変えるんだよ。未来は今から作られる。今の連続が未来になるんだ。


 無理だと諦めてる自分を変えるんだ。死ぬまで諦めちゃいけない。俺もいる。


 俺が曜子の未来を今から変えるよ。


 二人なら出来る。その為に出会う運命だったんだよ。


「……うん」


 


 


 見つめ合ってた俺達は互いに瞳を閉じた。

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