第4話 コーヒーが冷めないうちに
リラックスして暫くすると、梓さんがコーヒーを運んできてくれた。
「サンキュー梓ちゃん」
所長は言いながら自分のデスクから俺が座っているソファーの方に移動して斜め前に座った。
3つ目のコーヒーをテーブルに置いてソファーに梓さんも座った。
所長に2つ頼まれていながら自分のも作って同じテーブルに置いて話に参加する姿勢がなんだか微笑ましかった。
頼むからスカートはきちんとガードして中のパンツに俺の意識を集中させないようにしてくれよな。
ちょっとでもスキがあるかもしれないと思ったら話に集中できないかもしれないし、目線を気にしたのがバレたら初対面で恥ずかしすぎるので。
……それともこれはテストなのか?大事な話をしている時に女性のパンツに集中しないという。
確かに、からしの営業にいって取引先の担当が女性だった場合その女性のパンツに意識が集中して当社のからしの良さを伝えることができずライバル会社にお客を奪われることを考えると…。
「コーヒー冷めないうちにどうぞ」
「あ、ありがとうございます。いただきます」
返事と同時にカップを持ち口に運んでいる時に気づいた。
所長のチャックが全開じゃねーか!
これも罠か?目線がたまたま股間の方に行っただけ。しかし所長の股間を意識的に見るのもおかしい、疑われる。目の前に座っている梓さんのパンツを意識してまずいと思ったから所長の股間に目線を変えた!その発想もおかしいな。
じゃあどうすれば良いんだ。素直に言うべきか。気づかないフリをすべきか。一瞬考えたが、社会人になるべく道として社会のマドの指摘も避けられない道かもしれない。言おう。
「あの、所長、その、チャック開いてますよ」
「ぬおー!いつから?恥ずかしいなぁ」
そう言いながら一度立ち上がりチャックを閉めて座りなおした。
「どうせなら梓ちゃんのパンツが見えてくれたら男性陣は大変喜ぶんだけどなぁ」
そう言いながら所長は梓さんのふとももに手を添えた。
それとほぼ同時に梓さんは所長の手の甲をつまんでいた。
「痛たたたたたたた!」
つままれた所長の手は明後日の方向に向きながら苦痛の形相だが、梓さんはなかなかつまんだ手を離そうとしなかった。
※
「改めて自己紹介しとくね。俺がここ、からし屋 マタジ アルパカ営業所の所長の
俺は座ったままだが会釈をしたが顔を上げる前に梓さんの紹介もしだした。
「こっちは俺の助手兼任でアルパカ営業所の雑務担当の水沢アンズちゃんだ」
「担当じゃなくて雑務を所長が押し付けてくるから仕方なくこなしてるだけです」
「へへへー、頼りにしてるよ、梓ちゃ~ん」
「頼る立場はこっちですので、所長はもっとしっかりしてください」
今の会話だけで完全に所長は梓さんに頼り切ってるのが理解できた。
「あ、梓さん、いや、あの水沢さんって、梓って本名じゃなくアンズさんが本名なんですか?」
「なにか?」
「い、いえ」
「そーなんだよ。アンズちゃんだから本当はアンにゃんなんだけどアンにゃんってなんかアンチャンみたいでニューハーフの兄弟と間違えられたら困るからアズちゃんって呼んでたんだけどいつのまにか勝手に梓ちゃんって呼ぶことにしたんだよ。へへへー」
所長、誰もそんな間違いしませんよ。
「
「いえ、僕は…」
「ご自由に」
両手でマグカップを持って冷ましながらコーヒーを飲む梓さんはこちらを見ずにそう言った。
「じゃあ僕は、梓さんって呼んでいいですか?」
「ご自由に」
普通なら水沢さんとか、アンズさんって呼ぶのが良いのだろうけど脳内で何回も梓さんって呼んでるからリアルでも呼んでしまうだろうし、なにより所長の出す気さくな雰囲気が堅苦しいガードを外してくれたような気がした。
「改めまして、
「知ってる。履歴書に書いてるから」
所長はそう言いながら立ち上がって自己紹介をした俺に手で座れと促す。
「ウタルって変わった名前ね」
梓さんはまだマグカップを両手で持ったままだった。熱くて飲み辛いのか?
「はい、本当はワタルにしたかったのですが父親の字が汚くてウタルになったとか、母親が歌が好きで歌太郎とかウタウとか候補の中から決めたとか諸説あります」
実際の所は俺も知らないのだが、どの理由であっても今は自分の名前が気に入っているから問題ではない。
所長も名前のところは軽くスルーしてくれたみたいだ。
俺は注がれたコーヒーを飲み終わるまで、経歴について色々所長と話をした。
大学中退のこと、奨学金返済やアパートを出ることなどそれこそ本当は採用前の面接で聞かれるような話をした。
前置きで所長は採用を取り下げる理由にはならないから気楽に本当のことを話してくれたら良いよって言ってくれたのが本当に話しやすかった。
大学中退やニートのことなど、自分を正当化して言い訳がましく説明する事に後ろめたさがあったからだ。
社会に出て働くってことは大変な事だと思うがそれに対しての意気込みを所長にわかってもらいたかった。
過去から逃げるんじゃない、未来に進むんだってことを。
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