夢のはなし
そこは一面、真っ白な銀世界。
二つのジャンプ台を備えたコースを眼下に見渡したのち、視界はぐるりと斜面の上に向けられる。雪を戴いた針葉樹の森、拷問器具のように鋭い山頂を持った山々、雲ひとつない青空。雄大な景色を背景に、雪のコブがクローズアップされる。
その陰から颯爽と、深い青のウェアを纏った一人のスノーボーダーがカットインした。
彼が目の前を通りすぎたのを合図に、我々の視界も彼を追って動きだす。巻き上がる雪煙を挟んで、青い人影が猛スピードで滑走する。
「さぁ、今大会から初めて競技として採用されましたほにゃららら(おそらく競技名だろう)、ほにゃらら選手の滑走です。」
「フロントのエッジをグリップしてのスタートです、相変わらず魅せますねぇ。」
どこからか聞こえてくる実況と解説。
そして彼は速度を増し、一つ目のジャンプ台に突入した。人工的に整えられた雪の斜面。それが描く滑らかな弧によって向きを変えた運動量が、選手を上空へと打ち上げる。
「さぁ、第一エアーは……高い!そして速い!!クイントバックフリップほにゃららだー!」
目測で二十メートルほど上空に打ち上げられた選手は、まるで制御を失った人工衛星のようにくるくると複雑な錐揉み回転をしたかと思うと、落下し、背中から雪面に叩きつけられた。雪煙が立ち込め、歓声と拍手が沸き起こる。
「インナミ選手の得意技ですよ!決まりましたね!」
確かにキマッたようだ。再び視界に捉えたインナミ選手は遠目にもグロッキーで、しかし何かに吊るされるかのようにふらふらと滑走を続けていた。ターンはなく、スピードが上がり続ける。
操り人形の如く滑落し、加速、加速、加速。ただひたすら、加速。我々はとても追いつけない。彼は飛行機雲のように後方に雪をたなびかせながら、どんどん小さく、豆粒のようになる。とうとう我々の視界の下半分は白く曇り、インナミ選手の姿をロストした。
「さぁ、注目の第二エアーです!」
「どうだっ!!?」
足元を覆う真っ白な雪煙を引きちぎり、青空高く打ち出されるインナミ選手。その姿はペットボトルロケットの打ち上げを想起させた。ひどく頼りない体が、後ろからの圧力に押し出されるように一直線に飛ばされていく。
「た、高いー!!」
「ありえない……!凄い!!これは凄いですよ!!」
その高さはゆうに五十メートルを超えていた。雪の白に樹の緑、空の青に浮かぶ小さな人影。それは助けてくれと言わんばかりに手足をバタつかせていた。ボードは足から外れているようだった。
そして上に昇れば、次は当然の如く下に落ちる。
視界は上空からの映像に切り替わった。深々と突き刺さったインナミ選手の尻、それを中心に、白い雪が赤く染まって行く。
「残念、着地は失敗でしたねー。六百二十点の減点です。」
「いやはや本当に驚きました!このコースで第二エアーまで到達した選手は彼が初めてですよ!採点は掛け算ですからね、それこそ天文学的な記録が期待できます!」
「えっ、掛け算なんですか!?」
白い雪原に日の丸弁当のように突き刺さる赤。それを遠目に見つめながら、我々の視界はゆっくりとブラックアウトしていった――――
――目が覚めると、カーテンの外はまだ暗い。時計を見ると四時だった。……もう少し寝よう。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
私は繁華街の夜道を歩いていた。手にはコンビニで買ったチキンと缶ビール。隣にはKとS。彼らは忍術学校の同期たちだ。三人でRのマンションに遊びに行くのだ。ヤりたい娘とヤったもん勝ちな青春時代はとうに過ぎ、でかい胸を求めて財布叩いて冒険するおっさんどもである。
その時、左手の路地の暗がりからただならぬ気配を感じた。私は咄嗟に印を結び、透明化の忍術を発動させる。暗転する視界。頭を低くし、音もなく路地の前を走り抜けた。五十メートルほど駆け抜けた先で、はっと思って後ろを振り向く。KもSも見当たらない。きっと私と同様に透明化の忍術を使ったのだろう。どうせRのマンション入口で落ち合えるだろうと、缶ビールを啜りながら歩き出す。チキンも齧る。口の中に脂が溢れた。
Rのマンションは雑居ビルに偽装されている。なんやかやと会社名が書き連ねられた看板を横目にエントランスに入ると、案の定KとSが待っていた。彼らは自動ロックシステムの前で腕組みをしていた。四桁の暗証番号を押すタイプだ。そこに私も加わり、雁首そろえて何番だったっけと考えていると、ジジジ……という電気ノイズに続いて『開いてるよー』というRの声が聞こえた。
なんだ開いてんのかよー、お邪魔しまーす、などと口々に言いながら、エントランスを抜けてエレベーターに乗った。Kが三階のボタンを押すと、ガタン、と音を立てて鉄の箱が上へと昇り始める。その壁には『ベーゴマ大会開催!!』『漫画喫茶 マッサージ椅子完備!』などといったポスターがところ狭しと貼られている。どれも古めかしく、あるものは角が剥がれかけ、哀愁と郷愁を感じさせた。
エレベーターのドアが開くと、そこはおもちゃ売り場になっていた。プラモデルやミニ四駆の箱が無造作に積み上げられている。カウンターにはベージュのジャンバーを着た店主。くわえ煙草で新聞を読んでいる。私が会釈をすると、幾分頭髪の寂しくなったそのオヤジは目だけでニヤリと笑い、両手に開いた新聞を小さく掲げた。
売り場を通り抜け、右手奥の『関係者以外立入禁止』と書かれたドアを開ける。階段。
KとSは談笑しながらその階段を登った。だが私は一歩を踏み出せなかった。怖い。得体の知れない何かがそこにいる、そんな気がした。心臓の音がやけに大きく聞こえ、皮膚があわ立ち、足が震え、脇の下には嫌な汗が滲んだ。本能がもたらす警鐘。
しかし、どんどんと進んでいく友人二人。それを見て、私は別になんともない、と警鐘を払うように頭を振り、階段を上った。そうだ、なんともない。だが、そんな考えとは裏腹に顔を覆っていくべっとりとした脂汗。それはまるでチキンの脂のようで。そして十数段登ったころ、先を行く二人が右に曲がった。
その時、なにやら左頬に空気の流れを感じた。気になる。意を決してそちらを見ると、そこには唐突に下り階段があった。
今私が立っているのは踊り場ではなく、まさに階段の途中だ。だというのに壁がすっぱりと切り取られ、足元の二十センチほど下に、とってつけたかのように階段がくっついている。できの悪いプラモデルみたいだ。
まわりを良く見ると、そこらじゅうに階段があった。私は階段に囲まれていた。壁を切り抜いて登り階段やら下り階段やらが無秩序に接続され、それはさらに別の階段に分岐し……階段、階段、階段、階段、階段、階段。アリの巣の方がまだ秩序があるだろう。
薄気味悪くなった私はKとSを追おうと慌てて一歩を踏み出した。その時、左から何かが私の頭を掴んだのだ!!
はっとして目を覚ます。見慣れた天井、見慣れたカーテン、見慣れた時計。そして私の頭を掴む小さな手。それは隣で眠る娘の手だ。外はうっすらと白みはじめていた。
そして私は思い出す。チキンの脂。脂汗。ビールの喉越し。エレベータの埃っぽい臭い。何かが待ち構えているような嫌な気配。私の頭を掴む、手の感触。
娘の方に顔を向けようとした。だが駄目だった。首は石のように硬く強張り、本能が警鐘を鳴らし続けた。
それは本当に娘の手なのだろうか?
私はそちらを振り向く決心がつかず、しばらく時計の文字盤を睨み続けていた。
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