巨像壁群


『なぜ逃げぬのだ、ヒトよ……!!』


 この地を守護してきた老いたゴーレムが、眼前の龍の侵攻を己が体に受け止めながら吐き捨てる。その名は巨像群壁ティタノ・フルーメン・アルキテクトゥス。古来より龍として恐れられる河川、その氾濫からヒトを護るためヒトに造られしゴーレムの壁だ。


 天に横たわる白き龍は、その身を大地に滴らせ、地上に鈍色の分身を顕現させていた。そこには敵意も感情もない。蓄積された過剰なエネルギーを地球全体に循環させるため、ただシステムの一部として存在し行動している。


 土塊つちくれから作られた巨大なゴーレム達がスクラムを組み、のたうつ龍を抑え込む。世話役たる俺、木下寛治は打ちつける雨の中、巨像群壁の内の1体、個体番号KNG-L25の肩の上で、冷静に戦況を分析していた。これまで数百年にわたり、何度も龍を押さえ込み受け流してきた巨像群壁。だが今回の侵攻は規格外だった。昨日から30時間を超える攻防の末に、巨像の関節は悲鳴をあげるように軋み、背面からは茶色く濁った水が漏れ出している。もってあと180秒といったところだろう。


 だというのに、俺たちの背後の道路では呑気に自動車が走っている。


 1時間前には避難勧告逃げてくださいから避難指示逃げろバカに切り替わったはずだが……。動きの遅い市長にも困ったもんだが、それ以上に厄介なのは民衆だ。普段は人権がどうのと騒ぐくせに。肝心な時に動かない奴が「命は地球より重い」だと?寝言は寝て言えってんだ。


「すまんKNG-L25ニコ、ダムの放流調整もそろそろ限界だそうだ。まだ耐えられるか?」


 ゴーレム達がもう限界なのは分かっている。だが俺はこう言うしかないんだ。後ろにまだ護るべき人間達がいるのに、「ありがとう、もういいぞ。」なんて言葉はかけれない。


『なにを謝るのだ。汝らはよくやってくれた……。だが今回は少々相手が悪いらしい。』


 かつての時代と比べれば、俺たち人間の技術は飛躍的に向上した。巨像群壁の防御力を以ってしても、1箇所に龍の集中放火を受ければひとたまりもない。俺たち人間は龍の進行経路上に配した仕掛けダムで龍の動きを操れるようになった。


 だが今回はそれも限界だ。龍を完璧に抑え込むなど、人間の領分を越えたことなのかもしれない。眼前の龍はひときわ大きく膨らみ、KNG-L25ニコの肩から少しずつ溢れ出している。


「その左肩、やっぱ厳しかったか……。太陽光パネルなんぞのために削っちまってよ、予算さえつけば土地を買い戻せたんだが!」


『なぁに、瑣末なことだ。汝らが土嚢で水勢を削いでくれている、ここから越水決壊は起こさせんよ。だが気を付けよ、むしろ我らの躰そのものが……!!』


 龍は毒を射ち込むかのごとく巨像群壁に己の一部を染み込ませ、内側からの破壊を狙っているようだった。もはや一刻の猶予も許されない。じきに巨像群壁ニコは龍に斃される。


「……そうか。」


『ふっ、そんな顔をするな、我らは汝らを護るために造られしもの。護りきれぬことは遺憾なれど、こうして時間を稼ぐ殿しんがりとなれただけで本望よ。』


「……っ。クソっ、どいつもこいつも、何をモタモタしてやがる!」


 だがいくら蔑んでも、どんな言葉で罵っても状況は変わらない。巨像群壁ニコが消耗し続けるその背後で、人々はいつもと変わらぬ日常を演じようとする。言葉を並べても伝わらない、そんな絶望に、俺は頭を抱えてしゃがみこんだ。



――そしてその時は訪れた。俺はKNG-L25ニコに丁寧に掴み上げられ、隣の個体の肩へと載せられた。



『キノシタよ、汝らと戦えたこと、誇りに思うぞ――』



 それがKNG-L25ニコの最後の言葉だった。龍の腕がKNG-L25ニコの喉元を貫き、首を消しとばした。轟々と水が吠え、俺の叫びを虚空へ掻き消す。そして鈍色の帯が首のない巨像群壁ニコの躰を削り取り、容赦なくヒトの世界に襲い掛かった――



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