第3話 Grüße

『晴くん、今日から新しい家政婦さん(家政夫さんだな)が来るから、よろしくね。今度は意地悪とかしちゃ駄目だよ』

それが、先程文章も見ずに既読無視を決め込む事とした、父親の最後の言葉だった。

きちんと確認すれば、御丁寧にくまさんの可愛いスタンプ付きである


スマートフォンをボスっとソファに放り、晴樹は思わず自分の額を押さえる

「くっそ……ちゃんと読んでおきゃ良かった……」

(そうすりゃ、ネカフェなり何なり、逃げられたってのに)


額を押さえたまま、苦々しい顔をして

晴樹は部屋の向こうをギッと睨み付けた


向こう側には、先に部屋の前で揉めた(というか晴樹が一人喧々とした)外国人男性が、佇んでいる


(結局、入れる羽目になっちまったじゃねえかよ)


チッ、とわざと、男に聞こえる程に大きな舌打ちをして

晴樹はソファに放ったスマートフォンを手にして、弄り始めた


弄る、と言ってもせいぜい或る掲示板を見るなり、動画を視るなりと、その程度であり

意識はその画面ではなく、別の方へと向いていた


(-こいつ、どうやって追い出してやろうか?)


晴樹は、視界の端の男に如何に嫌がらせをするかを画策していた


此れ迄も数多、ハウスキーパーがこの部屋に派遣されて来た。

それはもう、老若男女問わず


晴樹はそれらを酷く面倒に感じ、皆、皆追い出していた


女性ならばセクシャルハラスメントにも近い方法で

男性ならばモラルハラスメントにも近い方法で


(面倒なんだよ……独りが、良いんだよ)


「ハルキ」

「何だよ」

「Was……俺は、まず何をすればいい」

「は?」


晴樹はスマートフォンから男の方に視線を戻すと

苦い面持ちで、クイ、と顎で床を指し示した

「見りゃ分かんだろ。掃除だ、掃除しろ」


示した床は、所狭しとばかりに本や物が散らかっている

そして、散らかった本の大半が-


いわゆる、成人雑誌という奴である


「了解した」

男は早速、床の片付けを開始した


足の踏み場も無い程に散らかったゴミ、そして本、雑誌を仕分けして

どう見てもゴミでしかない物は透明のゴミ袋へ、雑誌はじっくりと表紙を見て、パラパラと中身を見てから、種別で分け……後程、空の本棚に並べるのであろうか、縦に積んでいる


男をじっくり観察するに、男は日本語を読む事は出来ないのだろうか

写真や挿絵によって判別しているらしい


そして、過激な-所謂、成人向け雑誌の写真を見るに当たっては

ほんの僅か。その端正な表情を僅か、ほんの僅かに歪めている事に、晴樹は気が付いた


ふ、と晴樹の口許が緩む


(……ここから、責めてみるか?)


「ヘイ!おい、外国人!」

声を掛けると、男は手を止めて、晴樹を見遣った


晴樹はソファの肘掛けに肘を着き、頬杖を着き

半笑いで男を見て言った

「何だ、エロ雑誌は珍しいのかよ?この、童貞君……」


「……」

男は小さく首を傾げた

「tut mir leid……済まない、今の日本語は分からなかった……「ドウテイ」とは、何だ?」

「……」


そうである

相手は外国人なのである

流石に、童貞やら何やらという深い言葉、興味が無い限りは知り得ないであろう


晴樹は頭を掻きつつ、考えつつ言った

「童貞ってのは……あー……女で言う処女みたいなモンか?……そうだ、バージン!お前がいい歳してバージンなんじゃねえかって言ったんだよ!」

「nine」

さらっと、即座に言葉が返される

「それの経験は、済んでいる」

「……あ、そ……」

あまりにもさらりと返され、晴樹は閉口してしまう


「……」

「……」

沈黙が流れる


暫しそのまま時間を置くと、男は、「用事が無いのなら」と再び片付けに戻ってしまった


(……次、どうやって追い詰めるよ?)

ソファに深く身を預けて、晴樹は思案する


「ハルキ」

そこに、男の声が掛かった


「何だよ?」

「……この、Obszön……女性の、胸が肌蹴ていたり、Zurückhaltung……縄で、拘束されたりしている雑誌や……露出の高いUniformを身に付けた女性が、様々な格好をしている雑誌は、別のAbstammung……系、統……として並べた方が良いのか」

「ちょ、馬鹿!馬っ鹿!!口に出すな!言うんじゃねえよ!!」


口に出されると恥ずかしい。雑誌は自分で買った訳だが、恥ずかしい


おいやめろとばかりに慌て、ソファから立ち上がり

男の肩を引っ掴んでゆさゆさ揺さぶる晴樹


その間も男は表情一つ崩さず、淡々としている





床に散らかっていた本やゴミが片付いた頃合い


疲れ果てていたのは、男ではなく

晴樹であった


何しろ、男はあまりにも淡々として、如何なる卑猥な雑誌を手にしても其れが何であるのか、何として仕分けすれば良いのかを真っ直ぐな目で晴樹へと問いかけて来るのだ

そして「如何なる」ゴミがあっても何ら気にする事も無い


そうして、晴樹が如何に卑猥な問い掛けをしても、男は淡々と「それは知っている」「それは知らない」等と答えるだけであったのだ


冷静な相手に対して、此方がついついと恥ずかしさなどを覚えてしまうばかりであった


晴樹は、ぐったりとソファに寝そべっている

男はと言えば、相変わらずの調子で掃除機をかけ始めている


(あー、ちくしょう。)

晴樹の胸を、頭を占めているのは

ただ悔しさばかりであった


これ迄のハウスキーパーならば、少し位は困惑などの反応を見せていたし

それを、困惑を見せた内容を更に突き詰め、ぐいぐいと押し付ける様な事をすれば

それは嫌がったものであるが。


(嫌がらせの、ツボが違う……あいつにとって、平気な事をやってた……って、事か?)

寝転んだまま、晴樹はちら、と男を見遣る

男はこちらを全く気にする事も無く、掃除機をかけている。


(ああいったエロ雑誌に関しては、免疫がある……ってなら……ああ、そうだ)


ふっ、と晴樹は口端を釣り上げて身を起こし

ソファから立ち上がり、男の方へと向かった


「おい、外人」

声を掛けられ、男は掃除機のスイッチを止めて、晴樹を見遣る


彼の背は高い、晴樹よりも高い

先刻は焦りなどあり、そういった認識が無かったが

落ち着いた現在、至近距離となり、晴樹は其れをリアルに思い知った


だが、その身体つきは晴樹よりも細く、華奢に見える。


晴樹は立ち尽くす男の身体をぐいと押し、壁に押し付けた

「……」

男は、特に何の反応も見せずに只、壁に背を預けてじっと晴樹を見ている

晴樹もまた、男をじっと見据えた


晴樹は男を見据え、悪辣とした笑みを浮かべた

「俺、実は男にしか興味無くてよ……なあ、アンタ、結構な別嬪だよなあ……?」

そして、そろ、と男の胸板を撫ぜた

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