第五話

 ダベンポートとリリィが駆け込んだ時、整備場ピットは大変な騒ぎになっていた。

「給水と給油を急げ!」

 すぐに二人の整備士がホースを引きずり、前の給水タンクと後ろの燃料タンクに水と石油を注ぎ始める。

 サー・プレストンは車に乗ったままだ。

「コーナーでエンジンのパワーが上がらない」

 サー・プレストンがもう一人の整備士に状況を説明する。

過給機スーパーチャージャーは動いていたんだね?」

「はい、朝は動いていました。単純な構造ですから今も動いていると思います」

「ならば、なぜコーナーでパワーが落ちるんだろうか?」

「調べますか?」

 と、整備士はボンネットを開けようとした。

 だが、

「いや、今は時間がない。それはいい」

 とサー・プレストンがそれを制する。

過給機スーパーチャージャー?」

 とダベンポートは邪魔にならない場所からサー・プレストンに訊ねてみた。

「ああ、ダベンポートさん」

 サー・プレストンの表情には焦りが深い。

「うちの車の特許だよ。うちの車はボイラーの蒸気のごく一部を使って後ろの燃料タンクを温めているんだ」

 それでも給油と給水を待つ間、サー・プレストンは親切に説明してくれた。

「この機構のおかげで燃料は普通よりも多めにバーナーに送られる。結果としてパワーが出るという訳だ」

「レディ!」

「レディ!」

 給水と給油を終えた整備士から叫び声が上がる。

「では、また後ほど」

 サー・プレストンはアクセルを踏み込むと、慌ただしく整備場ピットを飛び出していった。

…………


 ダベンポートはリリィを連れてスタンドに戻ると双眼鏡を使ってレースの状況を詳細に調べ始めた。

(確かサー・プレストンはコーナーでパワーが落ちると言っていた……)

 コーナーを見つめ、サー・プレストンの姿を探す。

(いた……確かにコーナーリングが遅い)

 通常、コーナーに入るときにはブレーキを踏む。だが、コーナーに一度入ればそこから先は加速に移るはずだ。

 しかし、サー・プレストンの車はコーナーにいる間は遅くなって入り口と出口でほとんど速度が変わらない。

(おかしいな……他の車はどうなんだろう)

 トラックにはすでに周回遅れの車が出始めていた。

 ノロノロと走る周回遅れの車をかわしながら、他の蒸気自動車が次々とコーナーへと飛び込んでいく。

 周回遅れの場合はコーナーの内側に居座らないのがルールだ。周回遅れになったら先行している車の邪魔にならないように少し外側を走る。

(ん?)

 ふと、ダベンポートは周回遅れの車がコーナーリング中はむしろ加速している事に気付いた。

 逆に、コーナー内側を走る車は速度が落ちているように見える。

(不思議だ)

 周囲を見回し、さらに手がかりを探す。

 コーナーで大きく減速する車が多い中、一台だけ他の車とは明らかに違う挙動を示している車がいる。

 スタンレーの赤い車だ。

 スタンレーだけは常に大外を走り、徐々にサー・プレストンとの差を広げ始めていた。

(なぜ、外側を走るんだろう?)

 外側には周回遅れの車がいる。わざわざ邪魔な車がいるコースを走る理由が判らない。それに走行距離的にも外側を走る方が不利だ。

(……判らん)

 ダベンポートは立ったまましばらく双眼鏡を覗いていたが、やがて諦めるとリリィの横に腰掛けた。

「旦那様、お食べになりますか?」

 と、手が空いたと見たのか、腰掛けたダベンポートにリリィがサンドウィッチを差し出した。

 すでに包み紙が剥がされ、食べやすいようになっている。

「もうお昼を過ぎています。そろそろ何か食べないと……」

 食事に関してリリィは少し心配性だ。

 何かに集中すると何も食べなくなってしまうダベンポートの悪い癖に気づいているのだろう。ダベンポートがちゃんと食事を食べるようにいつも気にしているようだ。

「ありがとう」

 相変わらず目はトラックを走る蒸気自動車を追いながら、サンドウィッチを頬張る。

 半分上の空で齧ったサンドウィッチだったが、ダベンポートは一口目で思わず目を見張った。

 これは美味い。

「……リリィ、これは美味しいな。中身はなんだい?」

 ダベンポートはリリィに訊ねた。

「ライ麦パンにコンビーフを挟んでみました」

 自分もサンドウィッチを食べながら、褒められたリリィがニコニコする。

「新大陸風です。他にザワークラウト、チーズを挟んで新大陸風のソースで味付けしてからグリルしました」

「へえ」

 言いながら二口目。少し辛味のついたマヨネーズベースのソースが食欲をくすぐる。

 すぐに一つのサンドウィッチはなくなってしまった。早速二つ目に取りかかる。

「うん、うまい」

「よかった」

 そう言いながらリリィはお茶を足してくれた。

「しかし、サンドウィッチを焼いちまうっていうのは面白いな。いかにも新大陸らしい」

 ダベンポートはリリィに言った。

「隣国でも流行っているようですよ」

 とリリィ。

「暖かいサンドウィッチって言うのは王国にはないな」

「そうですね。でもいずれ流行るんじゃないでしょうか……」


 リリィの笑顔を見ながら、だが同時にダベンポートは違うことを考えていた。

(熱か……)

 蒸気機関スチームは熱力学の塊だ。冷たい水を加熱して蒸気にし、その圧力でエンジンを動かす。

 口を動かしながらもう一度双眼鏡を覗き、サーキットのコーナーを中心に詳しく眺める。

 ふと、ダベンポートはコーナーの内側が白くなっている事に気付いた。陽の光を浴びて時折光っている。

(霜?)

 全部で四箇所。

 ダベンポートは反対側のコーナーも調べてみた。

 こちらにも四箇所、霜が降りている場所がある。

(あそこだけ霜が降りている。変だな)

 ダベンポートはコーナーの外側を見てみた。

 逆にこちらは路面が乾いている。

(昨夜は小雨が降っていた。それなのになぜあそこだけ……)

 不意にダベンポートは気がついた。

 思わずその場で立ち上がる。

「リリィ、解ったぞ!」

 ダベンポートはリリィに言った。

「熱力学呪文だ。ここには熱力学呪文が仕掛けられているんだ!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る