第二話

「グラム、君は何か誤解しているらしい」

 若干憮然としながらダベンポートはグラムに言った。

「僕だって機械はからっきしだ」

「それでも俺よりはマシだろう?」

 こうなったらグラムはテコでも動かない。

「多少でも物理に通じていれば、機械なんてなんて事ないさ」

「簡単に言うな」

 ダベンポートが渋い顔をする。

 だが、一度その気になったグラムを変節させる事はほぼ不可能だ。仕方なく承諾する。

「まあ、蒸気自動車の事は少し調べておいてくれ。小さな汽車みたいなもんだってサー・プレストンは言っていたが、正直俺には良く判らん」

…………


 グラムは結局、また夕食を食べて帰っていった。今日のメニューはビーフシチュー、リリィが朝からワインで煮込んだ特製だ。付け合わせは人参とマッシュドポテト。つややかな茶色いソースと微かなガーリックの香りが食欲をそそる。

 グラムは今回ブランデーを飲まなかった。流石にこの前の二日酔いが応えたらしい。

「じゃあ頼んだぜ。当日は俺も行くから」

 グラムは馬車に乗り込みながらダベンポートに念を押した。

「そうそう、あとリリィさんを必ず連れてくる様にな。蒸気自動車レースの会場は社交場を兼ねているらしい。女性を連れていないと変に見えるぞ」


 女性を連れてったってなあ、と書斎に引っ込みながらダベンポートは考えた。

 メイドを連れているのだって相当変だと思うんだが。

(まあ、メイドに見えなければいいのか)

 と無理に納得する。

「♪〜」

 階下からリリィの歌声がする。

「リリィ?」

 ダベンポートは書斎のドアから顔を出すとキッチンで洗い物をしているリリィを呼んだ。

「はい、なんでしょう?」

 リリィがすぐにパタパタと階段を登ってくる。

「変なことになった。リリィ、水曜日は一緒に出かけよう」

「はい……でも、どこに行くんですか?」

蒸気自動車スチーマーレースだ。社交場を兼ねているらしい。リリィ、僕はどうにも疎いんだが、そういうところに行ける服は持っているかい?」

「はい、合理服がありますし、この前セントラルで買ったブラウスもあるのでそちらの方は問題ありません」

 リリィが答えて言う。

「ただ……」

 と、リリィは口ごもった。

「ただ?」

「屋外の社交場となると傘を持っていないとダメかも知れません」

「リリィは持ってる?」

「いえ」

 リリィは俯いた。

「傘は持っていません」

「ならば、明日セントラルで買いなさい。お金は出そう」

 とダベンポートは言った。

「恥ずかしい思いはさせたくない。ちょっと面倒だが、気に入ったものを買うといい」


+ + +


 水曜日の朝、手配しておいた馬車が家の前に二人を迎えに来た。

 リリィと相談した結果、ダベンポートは私服のツイードのジャケットにした。帽子がないとダメだと言うので同じツイードのハンティングキャップを被る。隣のリリィは合理服、ちゃんと昨日買ってきた傘を持っていた。どうやらこれを持っていないと社交場では恥ずかしい思いをするらしい。

(貴族の連中の流行りは良く判らん)

 とダベンポートは思う。

 曇天の多い王国で、なぜ日傘が必要なのだろう。


 蒸気自動車スチーマーレースのサーキットとなる競馬場はセントラルの外れの森の中にあった。一周一.六キロ、ここをただグルグルと周回する。先に五十周した者が優勝、シンプルな勝負だ。

 一時間ほどで競馬場に着き、先に馬車から降りてリリィに片手を差し出す。

 ダベンポートはちょっと辺りを見回すと、すぐにリリィを連れてサー・プレストンの整備場ピットへと向かった。

 競馬場には大きなスタンドがあり、すでにポツポツと人が入り始めている。

 確かに女性は皆傘を差していた。みんなが持っているのに一人だけ傘を持っていなかったら確かにそれは嫌だろう。

 整備場ピットはスタンドの下に並んでいた。

「おーいダベンポート、こっちだ」

 先に着いていた青い制服姿のグラムが右手を振る。

 グラムの隣では小柄な男性が整備士と共に傍らに置かれた緑色の蒸気自動車を覗き込んでいた。

 ダベンポートを呼ぶグラムの大声に男性が顔を上げる。

 グラムはその男性の横に二人を招き入れた。

「紹介しよう。サー・プレストン、こちらがダベンポートとお連れさんのリリィさんです。ダベンポート、こちらがサー・プレストンだ」

「よろしくお願いする、ダベンポートさん」

 サー・プレストンが右手を差し出す。

「魔法院のダベンポートです。ご招待に招かれ光栄です」

 ダベンポートはその右手を握った。

 小柄なわりに力が強い。サー・プレストンの握手は男性的で力強かった。

「そんなにへりくだらないで結構、今日はわざわざ来て頂いて本当にありがたいよ」

 どうやらサー・プレストンは本当に感謝している様だ。言葉は荒いが、一定の敬意が感じられる。

「なんでも妨害を受けそうだとか」

 とダベンポートは水を向けた。

「いや、実のところ何がどうなるかは判らないんだがね」

 サー・プレストンはニコリと笑った。

「誰かが私が負けると予言したようだ。まあ、用心するに越したことはないという事だよ」

 グラムの話とずいぶん違うなとダベンポートは一瞬思う。

 だがすぐに、

「サー・プレストン、良く言うよ。二個騎兵小隊を警備に当てさせたくせに。死にそうだって連隊長に泣きつくもんだから騎士団は大騒ぎだ」

 と言うグラムの言葉を聞き、なるほどと思い直した。

「いや、それはまあそうなんだがね」

 油に汚れた手でサー・プレストンが後ろ頭を掻く。

 リリィもいるのだ、サー・プレストンとしてもあまり女々しい事は口に出せないのだろう。


 サー・プレストンの蒸気自動車は小さなオープントップの車だった。

 緑色に塗装されたボディはピカピカに磨かれ、窓ガラスには曇り一つない。燃料は石油。ボンネットが長めの車体は優雅で精悍な印象を与える。

「グラム、しかしそのサーはやめてくれないか。昔のようにプレストンと呼び捨てされた方が落ち着くんだが」

「サーはサーだろう?」

 グラムの言葉はどこかふざけた感じだ。どうやらサー・プレストンをからかって楽しんでいるらしい。

「首尾はどうですか?」

 ダベンポートは訊ねてみた。

「今のところ順調だ。エンジンも調子がいい。このままならいつものように優勝できそうだ」

 ダベンポートはサー・プレストンの隣から開いたボンネットの中を覗いてみた。蒸気エンジン、ボイラー、バーナー、駆動クランク……。磨かれた部品が整然と収められている。

「……複雑そうですね」

「いや、さほどでもない」

 ダベンポートの言葉にサー・プレストンが笑顔を見せる。

「まあ、私が蒸気自動車の事業をやっているせいでそう感じるだけかも知れんのだがね。要するにボイラーを石油バーナーで温めて、できた蒸気を蒸気エンジンに送り、動力をクランクで車体後部に送ってからチェーンで後輪を駆動するだけだ。変速はトランスミッションで行う。簡単だろう?」

 全然簡単じゃない。

 喉元まで出かかったが、苦労して押しとどめる。

「で、グラム、僕は何をすればいいんだい?」

 とダベンポートはグラムに訊ねた。

「とりあえずは何もしなくていい」

 とグラムは答えた。

「上のスタンドかどこかで観戦しててくれ。変な様子があったらすぐに判るだろう? そうしたらここに来て欲しい。俺はここから騎士団を指揮する」

…………


 ダベンポートとリリィはしばらく整備場ピットを見学して過ごした。

 整備場ピットは蒸気自動車が二台は入らなそうな狭い場所だった。奥には一応小部屋と小さなキッチンが設えられており、お茶くらいなら淹れられそうだ。

 整備場ピットの中では五人の整備士が忙しそうに蒸気自動車の整備を続けていた。一人が車の下に潜り込み、二人がボンネットからエンジンルームをチェックしている。他の者達はタイヤのチェックやブレーキのチェックに忙しい。

「…………」

 と、ダベンポートは外から一人の青年がピットを覗き込んでいる事に気づいた。

「やあ。君はスタンレー君、だったかな?」

 サー・プレストンがそれに気づき、青年に歩み寄る。

 だが、青年は差し出されたサー・プレストンの右手を握ろうとはしなかった。

「士爵、今日は勝たせてもらいますよ」

 そう言いながら不敵な笑みを浮かべる。

「うむ。良い勝負を期待している」

 サー・プレストンはしかし余裕の表情だ。

 青年は頭上にあげた両手を整備場ピットの梁にかけると、緑色の蒸気自動車に目をやった。

「サー・プレストン、あんたの車はもう時代遅れだ。俺の車の方が速い」

「…………」

 無言のまま二人の視線が交錯する。

 と、青年は姿勢を元に戻した。

「まあ、一応挨拶に立ち寄っただけです。では」

 赤いレーシングジャケットを着た青年がゆっくりと立ち去って行く。

「なんだ、ありゃ?」

 青年の姿が見えなくなってから、グラムはいきどおった様に言った。

「挑発だよ。こちらのミスを少しでも誘うための心理戦だ。気にする事はない」

 一代とは言え貴族のサー・プレストンは鷹揚おうようだ。

「彼はスタンレー君、新興チームのドライバーだよ。赤い車に乗っていてなかなか速い……チーム名はなんて言ったかな? 忘れてしまったが、今回が初参加のはずだ」

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