【第二巻:事前公開中】魔法で人は殺せない6

蒲生 竜哉

蒸気自動車賭博事件

王国で蒸気自動車のレースが開催される。そんな中、本命のサー・プレストンはこのままでは自分は勝てないかも知れないと言う。 そこで、グラムの依頼を受けダベンポートはリリィと共にレース場に赴くのだが……

第一話

「サー・プレストンは俺の幼馴染みなんだ」

 ダベンポートの住む小さな家。

 グラムはリビングのソファにのんびりと身を沈めながら向かいのダベンポートに言った。

「父親の事業を継いでね、今は実業家として成功してる。サーだぜ、サー。いつの間にかに士爵ナイトになりやがってなあ」

 士爵と言うのは一代限りの爵位だ。主に芸術、学問、あるいは事業において著しい功績のあった者に授与される。

「しかしグラムだって騎士団ジ・オーダーじゃないか」

 とダベンポートは言った。

 今日のダベンポートは私服姿だ。グレーのズボンにツイードのジャケット。いつもの黒い魔法院の制服に比べるとだいぶんリラックスして見える。

 ダベンポートは一週間の休暇を魔法院からもらっていた。ここしばらく陰惨な事件が続いている。少し仕事から離れて自分をリセットしたい。

 このままでは人の心の持ち合わせが足りないどころか本当になくなってしまいそうだ。

騎士団の騎士ナイト・オブ・ジ・オーダーなんて兵士みたいなもんだよ」

 グラムが自嘲気味な笑みを浮かべる。

「社交界でサーと呼ばれる事もない。サーになるのは連隊長以上だ」

「それがそんなに気になるかね?」

 そういう事にはまるで興味のないダベンポートが不思議そうにする。

 と、お茶のセットを持ってリリィが地下のキッチンから上がってきた。

 静々と歩き、グラムとダベンポートの前にティーカップを置く。

「お茶をお持ちしました。今日はベルガモットの香りのお茶です」

「ああ、ありがとうリリィ」

 リリィはお茶菓子の入った皿を二人に置くと、丁寧な仕草で大きめのティーポットからお茶を入れてくれた。

「…………」

 いつもの様にリリィの優雅な仕草をグラムが陶然と目で追う。

 リリィはティーポットにティーコジーを被せると、持ってきたトレイを胸の前に抱えた。

「それでは失礼します。グラム様もごゆっくりどうぞ」

 ペコリと頭を下げ、リボンの様に結んだエプロンの紐を揺らしながら去っていく。

「はあ」

 リリィが去ったのち、グラムは深いため息を吐いた。

「お前はいいよなあ、綺麗なメイドがいて」

「リリィか?」

「他に誰がいる? 俺は心底お前が羨ましい」

 とグラムは大きな拳を握りしめた。

「でも、騎士団にだってメイドはいるだろう? 女騎士なんてのもいなかったっけ?」

 とダベンポートがお為ごかしを言う。

「女騎士は戦時中だけだよ。今どき、あんなところで働こうって女性はいない。騎士団のメイドはバアさんばっかりでなあ、どいつもこいつも母親みたいに振る舞いやがる」

 グラムは残念そうに言った。

「ま、騎士団に若い女性を入れたら野獣の群にウサギを放つ様なものだからな。連隊長もちゃんと考えておられる様じゃないか」

 と、ダベンポートはニヤッと笑った。

「余計なお世話だ」

…………


 ダベンポートはグラムと二人で世間話をするのを存分に楽しんだ。

 時折グラムをからかい、穏やかな時を過ごす。

「グラム、酒は?」

 ダベンポートは傍らのキャビネットの中のブランデーのボトルをグラムに見せた。

「いや、酒はなあ」

 とグラムが言葉を濁す。

「まだ夕方過ぎだろう? ちょっと早い」

「それよりもグラム、君はこんなところで油を売ってていいのかい?」

 とダベンポートは訊ねた。

「問題ない。ここのところセントラルも穏やかだからな。一応大隊長にも断ってきた」

「ふーん」

 問題ないのか。騎士団も意外とユルいな。

「ところでそのサー・プレストンなんだがね」

 しばらくセントラルの様子を話したのち、グラムはサー・プレストンに話を戻した。

「なんでも蒸気自動車スチーマーレースにハマっている様なんだ。それも見る方じゃなくてやる方だ」

「へえ」

 あまり関心がなさそうにダベンポートが鼻を鳴らす。

「なんでもあれは紳士のスポーツなんだそうだ。時速百キロくらいで競馬場の中をぶっ飛ばすらしい」

 グラムが言うには、サー・プレストンはそのレースで連戦連勝を重ねている様だ。

「いつも賭け屋ブックメーカーのオッズは最低、つまりいつも本命なんだと」

「しかし、事業主がそんな命がけの様なスポーツにハマっているんじゃ使用人も気が気じゃないな」

 とダベンポートはシニカルに言った。

「まあな。いつ死ぬかもわからん危険なスポーツだそうだよ」

 グラムが頷く。

「ところがそのサー・プレストンがこの前、急に俺のところに連絡してきてね」

「へえ?」

「次のレースは勝てないかも知れないって、そう言うんだよ」

 とグラムは眉をひそめた。

「体調でも悪いのかい? それとも蒸気自動車の調子が悪いとか?」

 少し興味を引かれ、グラムに訊ねる。

 連戦連勝の男が弱気になるとは面白い。

「いや、そうじゃない」

 グラムは首を振った。

「なんでも、次のレースの賭け屋ブックメーカーのオッズが急に上がったんだそうだ。誰かがサー・プレストンが負ける方に大金をぶち込んだんだよ。サー・プレストンが言うにはなんの根拠もなくそんな事をするバカはいないらしい」

「まあ、それはそうだろうな。じゃあ、サー・プレストンのライバルが力をつけたんだろう」

 自分には関係がないとでも言うように、ダベンポートはソファの上で伸びをした。

 賭け事に興味はない。賭け屋ブックメーカーはあまりにダベンポートから縁遠かった。

「ところがそれもない様なんだよ。蒸気自動車のレースは結局は機械のレースだろ? ライバルが新しい自動車をレースに投入してくるんだったらそれは必ずニュースになるそうなんだ。でもどうやらその様子はないらしい」

「ふーん」

「でな」──とグラムは身を乗り出した──「サー・プレストンは妨害工作をたいそう気にしている。彼の乗る自動車がレース中に壊れでもしたら、サー・プレストンは確実に負ける。サー・プレストンはそれを警戒しているんだ」

「…………」

「万が一の事もある。もし、サー・プレストンの身に何かあればそれこそ事業にとっては大打撃だ」

「まあ、それはそうだろうな」

 ダベンポートは頷いた。

「でもそれがどうして君と関係するんだい?」

 と、グラムに訊ねる。

「それがだなあ」

 グラムは後ろ頭を掻いた。

「どうやらサー・プレストンが裏から手を回して、騎士団を巻き込んだんだよ。今度のレースは次の水曜日、つまり明後日なんだがね、サー・プレストンの身辺警備に関する依頼、と言うかもはやこれは命令だな、が騎士団に正式に届いた」

「それは大変だな。まあせいぜい頑張ってくれたまえ」

 我関せずとばかりにダベンポートはひらひらと片手を降った。

「若い騎士達の息抜きにはちょうど良さそうじゃないか」

 楽しそうな仕事で結構じゃないか。好きにしてくれ。

 だが、どうやらグラムの考えは少々違ったらしい。

「いや、騎士団は馬には強くても機械にはからっきしだ。そこでなんだがねダベンポート、ここは一つお前も手伝ってくれないか。チケットピットパスは二枚用意した。お前、機械には強いだろう?」

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