第4話 下がれない一歩
全力の一撃を食らっても魔獣はびくともしなかった。ダメージを受けてすらいなかった。だが、魔獣の標的は少女から俺へと変わった。
魔獣は間を置かずにこちらへ襲いかかってきた。
たった一撃を食らうだけで俺の頭は跳ね飛ぶ。
接触するだけで腕がもげる。
攻撃は正面から受けず、全て往なして回避した。
無謀に見えるこの挑戦だが三つの要因が僅かな可能性を手繰り寄せていた。
一つ。己と魔獣を正しく認識していたこと。勝利は万に一つも無いのを理解していた。負けていいとさえ思っていた。だから冷徹だった。ドローに縋り付き、一手一手淡々と先を見越す。だから背を向けるという選択肢が最も愚かなこと、撃退のみが唯一の可能性であると正解を導き出せた。
二つ。魔獣と対峙するのが許されるだけの能力を持ち合わせていたこと。ゾンビの肉体はリミッターが外されている。本来、人間の身体能力は肉体を保護するため、制限がかかっている。しかし、老婆に改造された体にそんなモノは無い。この体は、人の限界を六倍ほど超越している。
三つ。彼は自覚も無しに魔力の覚醒を果たしていた。
*
態勢を低くして剛腕を交わすと、間合いを一歩詰め腰を落とす。魔獣は鬱陶しいハエを叩くかのように、もう一撃を加えてきた。上体を横へそらしつつ、片手でそれを捌く。
右の拳を握り締め、
「ァァァァアッ!」
魔獣の顔面へと突き上げた。
刹那的で音もなく行われた戦闘だが、まさしく俺にとって決死の反撃だった。その分、手応えはあった。
だが、またしてもピクリとも動かなかった。脅威にも感じなかったのか回避行動も取らないで俺の攻撃を受け、魔獣は堂々とそこに君臨していた。
姿は熊だった。しかし熊の弱点である鼻への攻撃は、力不足かあるいは既知の熊とは別物なのか、通用しなかった。
絶望はしなかった。諦めもしなかった。ただ、全身の力が抜ける感覚があった。
反撃が――剥き出しの牙が襲い掛かってくる。
体は思い通りに動かなかった。
右の腕が噛みつかれ、魔獣がブンブンと首を振った。直ぐに肉が噛み千切られ、続く魔獣のフックで横腹が引き裂かれて腐った肉塊が宙を舞った。俺も血肉をぶちまけ無様に吹き飛んだ。
体が地面を転がり、やがて止まった。
苦渋に耐えかねて目を瞑った。身体中が痛くて立ち上がる気が失せたのだ。少しの間、考えるのを止めて暗闇の中に居座る事にした。
魔獣の足音が聞こえた。だんだん小さくなっていく。
もう俺を相手する気は無いみたいだ。魔獣でも腐った肉なんて食べたくないのだろう。
二択だった。
このまま死ぬか。果敢にもう一度、挑むか。
後者を選ぶのは狂気の沙汰だ。死ぬ直前の者が下す選択ではない。生命力が尽きれば気力も潰えるものだ。
結局、俺という人間がどちらを選んだかと言うと後者だった。
「ア”ァァァアァアア”ア”ア”アァ!」
骨が剥き出しの右腕で地面を叩くと、勢いよく起き上がって天に吠えた。こちらに背を――尻を向ける魔獣に向かって走り出す。井戸を踏み台にし、跳躍――飛び蹴りを魔獣の横顔に叩き込んだ。
魔獣の重量相手ではびくともせず、熊の顔面を土台にしてジャンプし後方に飛ぶ。
「ヴゥルルルッ」
魔獣は威嚇するように唸り声上げた。その瞳に強い殺意が宿った。足元の弱者を見る目ではない。魔獣は俺を敵として認識した。
咄嗟に宙で体を半回転させて反撃を避けると、数歩下がった。弱気になったのではない。様子を見るのに徹する必要があった。このまま殴りあってもジリ貧なのは間違いない。今は目を凝らして敵を監察する時だ。
「――?!」
てっきり、突進して距離を詰めて来るものかと思っていた。
魔獣は二本立ちして口を開いた。口の端が裂けて、さらに大きく口が開いた。瞬間、魔獣の喉奥が光った。
危機に晒されているのを確信し、目一杯に横っ飛びする。直後、背から物凄い破壊音がした。振り返ると地面が焦げ、黒い一筋の線が出来ていた。その先の家屋や人は消滅していた。
それは光線が走った跡の様だった。
人が騒ぐ声が耳に届いた。どうやら住人は村から脱出せずに家屋に籠っている様だった。近辺にいる魔獣が一体だとは限らないと、その判断は正しい。
しかし、
「ゴオォォ――ッ!」
再び一筋の閃光が走った。魔獣の首の向きを把握し、タイミングを見ていれば避けられなくもなかったが、村は破壊された。このままでは戦っている意味そのものが無くなってしまうという。だと言うのに、俺は冷静に全く別の事を考えていた。
これが魔法。まさに反則的だ。
ゾンビなんかでは到底敵わない頂上の力。しかし俺にはそう遠くにあるようなモノに見えなかった。
観察していると、魔獣の口内に魔素が一点に集まり、塊となって放出されているのが分かった。
――俺も使えないだろうか。
そんな突拍子もない考えは、魔獣の攻撃態勢を見て馬鹿げた妄想だと振り払った。再び放たれる閃光を避けようとして。そこで足がぶつかった。足元にいた。未だに腰が抜けて動けない一人の少女がいた。
その時に思ったことは一文字で表現できる。
「あ」だ。見えている全てがスローモーションになった。
バカ野郎と罵ろうとして少女と目が合った。その瞳には恐怖が写っていた。それはきっと魔獣にも俺にも向けられていて。胸が苦しくなった。恐れられたのが悲しいのではない。まだ幼い少女から見たこの光景を想像して――
また体は思うように動かなくなった。
ただ、今回動かなくなったのは足だけだった。
そこからは無意識だった。やり方は黄色のモヤと魔獣が教えてくれた。迫り来る閃光に向かって左の腕を差し向けた。黄色のモヤが左手に――一点に収束して。
衝撃。
大地が揺らいだと錯覚するほどのインパクトが発生した。その中心にあったのは左手。未完成の魔法にやられ、酷い有り様だった。抉れ、歪んで原型を留めていなかった。それだけではない。頭、胸、腹にまで裂傷が及び、短い命をさらに削り取る形になった。
そんな代償もあってか魔獣の光撃をレジストし、それどころか余剰分のダメージが行ったようで、衝撃の煽りを受けて魔獣は怯んでいた。
紛れもなく、それは隙だった。
前へ前へと地面を蹴った。距離を詰めると魔獣の迎撃――鋭い爪の斬撃がきた。一撃二撃と掻い潜ると、使い物にならなくなった左腕の変わりに右腕を差し出した。
再び衝撃。
魔獣と俺の体にはおぞましい裂傷が生じ、発生したインパクトで
*
魔獣の最期を見届け俺はその場で膝を折った。いくらゾンビとは言え、この怪我では死ぬのは間違いない。
一応、ほんの少しだが償いが出来た気分だ。もう静かに死のうと思った。
音もなく地面に倒れ伏す。目を閉じて死を待つことにした。
すると石が飛んできた。振り返ると村人たちが怪物でも見るような目で、冷たいものを投げつけてきた。
「ひぃっ! はやくどこかへ行って!」
「娘を返せぇえ!」
「こっちに来るな!」
俺は迷惑をかけない所で死ぬために森の方へヨタヨタと駆けた。どんどん森の中を進み、やがて体が動かなくなって木の根本に座り込んだ。
もうじき死ぬのを五感とは違うもので感じ取った。
動揺は無かった。むしろ救われるような気分だった。
そこで不思議なものを見た。
長い長い白髪の少女と、こちらへ寄ってくる黄色いモヤ。意識を失う直前、黄色のモヤが体を包んだ。昨日みたいに胸に吸い込まれていく感覚がして、心地よかった。
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