第3話 勝率ゼロの
「どこへいっていた?」
祠から戻って老婆の元までやって来ると、不機嫌そうに責めてきた。いつもなら一撃噛まされるような失態なのだが、それ以上に責められはしなかった。代わりに――
「別におかしいとこは無いようだが……」
ギロリとした目で見つめられた。
長い間そのまま睨まれ続け、からだの内側まで見られているような気さえした。異変が無いのを悟ると
「今日も死体だ。いつも通り尾行は撒いて……いや、それはもういい」
何が可笑しいのかくつくつと笑いだした。老婆は思い切り椅子にもたれ掛かると言った。
「……完成した」
煌めきを放つ紫の玉が老婆の手にあった。これが不老不死の秘宝。魔女に化けるためのピースだった。老婆は恍惚とその玉を眺めた。
「確実に、最後の死体を持って来な」
新たな指令が降りた。
道なりの途中、再びおかしなことが起きた。こんな浅い森に一体の巨大な魔獣が現れたのだ。それは熊の姿をしていた。俺は直ぐ茂みに身を潜めた。見たことの無い種だ。山奥から降りてきたのかもしれない。
昨日といい今日といいイレギュラーが立て続けに起きている。きっかけはやはり、不老不死の秘宝が完成する事だ。秘宝に収集される魔素に従って、魔獣までやって来たのだ。
そいつは一直線に村へ向かっていった。俺は距離を取って静かに尾行した。
このまま村まで魔獣が行けば確実に村人を殺し死体を作るだろう。その死体を持ち帰るのが最も確実だと、老婆の命令に忠実なこの体はそう判断した。
ノソノソとゆっくり移動し、ついに村に侵入した。熊の存在に最初に気付いたのは初老の男だった。彼は手に持っていたクワを放り投げ、悲鳴を上げて逃げ出した。熊の足の早さに敵うわけがなく、たった一捻りで死体が出来上がった。
それからは阿鼻叫喚だった。悲鳴の連鎖。続々と村人が殺戮されていく。そんな中、俺は死体の一つを担いで道を引き返そうとした。その時だった。
「チク、ショウ……ッ」
俺に担がれた男がそう呟いた。
弱々しい声だったが、その中には強い怒りと悔しさが含まれていた。至極当然の感情だ。俺を含め、彼らはひたすら老婆に翻弄され、振り回されたのだ。
理不尽そのものの日々だった。道具として扱われ人殺しをさせられ、関係ない憎悪の言葉をぶつけられた。最初は反抗する気持ちもあった。それも三日で折られた。苦しさが敵愾心を上回ったのだ。三ヶ月経った頃には感情の起伏は消えていた。
「くそ、誰か、助け……アンを……」
男の声は小さくなっていき、いつか聞こえなくなった。代わって悲鳴が聞こえた。泣き声が聞こえた。その中に微かに雄叫びがあった。
――チク、ショウ
なんとなく、心の中で男の言葉を反芻した。
彼は何故、悔しいのか。村人たちは何故、反抗する意思を持っていられるのか。俺よりも長く、何年も老婆に理不尽を押し付けられたと言うのに。
例えば、男にとってはアン。彼女が娘か妻か、この際どっちでもいい。男には死ぬ間際にも想える人がいたのだ。だから屈しなかった。
――チクショウ
頭の中で反響した。胸が熱くなった。その余波にやられて頭の中が揺さぶられた。老婆に消し飛ばされた筈の魂の、その残りカスが悔しさに共鳴した。
「ア”ア”アアァァァア!」
怒号を上げた。
息が続く限り声を出して、肺の空気が無くなると膝から崩れ落ちた。
死のうと思っていた。
体の自由を手に入れたら真っ先に何もかも投げ棄てたかった。脳裏に焼き付いた死に顔を忘れたかったから。結局、死ぬことには変わり無いのだが泣き声の元へ走った。
その時、俺は身体を覆う黄色のモヤに気づかなかった。
*
魔獣は一人の少女を双眸に写していた。
そいつは明らかにこの場における最強の生物だった。纏う赤黒い剛毛は一本一本が針金のようで鉄の鎧よりも頑強に見えた。唾液を溢す口の端には、見たことの無い歪な牙が生えており、目にするだけで心は恐怖した。何よりも圧力があった。人の二、三倍はある巨体は場をねじ曲げてしまいそうな覇気を垂れ流していた。
腰を抜かし、泣くことしか許されない少女は迫り来る死に堪らず目を背けた。
だから、その決定的な瞬間を見逃した。魔獣に叩き込まれた拳。泣きっ面を晒すゾンビの渾身の一撃を。
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