第2話 星空の夜に
「憎い憎い憎い、憎いぃ!」
時々、老婆は発作を起こす。発狂し憎しみを発散しようとする。その矛先は俺に向く。髪を振り乱して物を投げたり破壊したりした。
「死ね、死ね、死ね! 死ねぇッ!」
悪いときは魔法が飛んでくる。今回は悪いときだった。青色の風が部屋の中で暴れだした。身を守ることは老婆の命令外だ。飛来した机によって部屋の隅まで吹き飛ばされた。
「何故私なんだぁぁ! 何もしていないのに! 教団のクソ共めぇぇぇ!」
涎を撒き散らし、床を叩いて喚き散らす。その言動は幼児そのものだった。遂には金切り声を上げて頭を抱えた。それから床に頭を叩きつけ、罵詈雑言をあちこちに叩き付けた。
疲れたのか気がすんだのか、とたんに口を閉ざした。煩かった音が消えると恐ろしい静寂が訪れた。
棒立ちでその光景を見ながら、俺は頭の中で怯えていた。老婆が何をしてくるのか分からない。何をさせられるのか分からない。
老婆はケロッと起き上がると、転がる椅子を立て直してそこに座った。
「片付けな」
散らかった物を拾い、元々あった場所に淡々と戻していく。そうしていると、ブツブツと老婆の独り言が聞こえてきた。
「さぁ、最後の作業だ。ああ早く本物の魔女になりたいッ!」
自分に言い聞かせている様だった。この台詞を何度聞いたか分からない。彼女はそれだけのために生きているのだ。
*
それからも時間だけが過ぎていった。変わらない日々が延々と続く。辛い光景だけが記憶に刻まれていった。
機転が訪れたのは、恐怖という感情さえ希釈しつつあった頃だ。
老婆の住まう屋敷には庭がある。芝生と植物が綺麗に配置され、普段から入念に手入れがされていた。手入れをしているのは俺だ。夜になると庭に出て草刈りを始める。
赤い月の夜だった。星も出ており、曇りのない夜空は文句無しに美しかった。しかし空を眺めろとの命令は出ていない。傀儡は傀儡らしく黙々と草刈りを始めた。
薄い雲が月を隠して、月と雲は互いに避けあった。空は広く見えて本当は混雑しているのだ。星だって窮屈そうにしている。
淡い月明かりで作られた俺の影は少しずつ大きくなっていった。溢れ落ちていく時間。自由と尊厳が失われた時間。それに歯止めが掛けられたのはたった今で、あまりに唐突だった。
目の前を黄色いモヤは宙にフワフワと浮いていた。門前には門を隔てて白髪の少女が佇んでいた。
既視感がした。少女の方は全く知らないのだが、黄色いのモヤは確かどこかで見たことがあったような気がする。
混乱から抜け出せずに呆けていると黄色のモヤから一本の線が生えた。それは俺の方へと伸びてきて胸の辺りに触れた。暖かくてどこか安心する感覚がした。大切なモノが帰ってくるような気持ちになった。
それは胸の中へと入っていき、しかし途中で阻まれた。黄色のモヤが帰るべき所は呪縛に雁字絡めにされていた。モヤがそれを懸命に取り除くと一本二本と呪縛は消えていった。暖かい物が少しずつ胸に吸い込まれていく。
老婆の部屋から大きな音がした。ぎょっとして我に返ると世界は朝を迎えていた。振り返るとモヤと少女は消えていた。
いつの間にか、俺は日常へと戻っていった。
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