新生満州国

 昭和二十年四月



 欧州ではナチス・ドイツの敗北、滅亡が目の前となりつつあった頃、極東アジアではまた新たな戦いが始まろうとしていた。



 日本領朝鮮府 京城



 ここに、日本政府代表と中華民国政府代表が集まり、満州問題について協議を行う事とした。

 大戦前、両国は大陸における問題について幾度も交渉を重ねてはいたが双方の思惑が噛み合わず、決着がつかぬまま泥沼の全面戦争へとなってしまった。

 昨年の政変後、一応の停戦合意と和解は成されたものの、満州(中国側から見れば東北部)も日本の影響下のまま、第一次世界大戦後の状況に戻っただけであり、蒋介石率いる中国政府は断固たる態度で交渉に望んでいた。

 一方の日本政府としては経験上、中国側の態度を軟化させるのは難しいと考えた上、敗戦国としての立場から最初から無理に主張をせず、中国側の意見をできる限り全て受け入れる態勢で望んだ。


「日本国には中国国内に於ける軍事力、警察力の全てを撤収して貰いたい」


「中国の領域、国内の範囲についてお聞かせ願えますか」


「無論、貴国が開戦後占領した旧英領香港や東北についてもだ」


「そうですか・・・香港に関しては英国の意思もあるので、日本政府としてはなんとも言えませんが、満州国については廃止、貴国への返還か自治独立か住民投票を一度行ってから処遇を決めたいのですが?」


「・・・・・・いいでしょう」


 即座にも満州含めた全土統一を成し遂げたい中国であったが、後に再び来るであろう共産党との戦い、現地住民の混乱等を考えた時に、即時に決めるのは現実的でないとし、住民投票に賛成した。

 他にも、重慶市街地爆撃への謝罪賠償等日本政府が大幅な譲歩を重ねた事で国民党政府は顔色を良くし、日本にとってもこれから国内(朝鮮台湾含)に力を注ぐ為、大陸から手を引くのは好都合とあって、日中問題は一先ず解決する事となった。



 一ヶ月後


 欧州戦線もついに終結。

 ここに第二次世界大戦は漸く終わりを告げた。そんな頃、満州国では中華民国の領土に統一されるべきか、今までのような日本の傀儡ではない別の国としての自治独立か住民投票が行われ、開票結果中国派49%、独立派51%と僅差で満州の自治独立が決定。

 新満州国は帝政を廃止、日本や英国式の立憲君主体制へと移行した。

 日本、中華民国、そして米英もすぐさま新満州国を国家承認し、関東軍も新生満州国軍に機能を引き継ぎ解散し、日本は大陸における権益を全て手放した。



 かくして、満州国は女真族を中心に漢人、朝鮮人、日本人、モンゴル人等各民族が共存する極東の多民族国家として完全な独立を果たすに至ったのである。







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