戦争のない年末年始




 昭和十九年 クリスマス


 戦争によって営業縮小を余儀なくされていた百貨店も、未だ物資統制は続き、商品も不足気味でも小規模ながら、久方ぶりのクリスマス商戦を行っていた。

 久々の戦争のないクリスマスに国民達も大いに沸き、また皇居前広場では陛下自らの提案で希望する子供達にお菓子が配られた。


 改めて正式に組閣の大命を降下された山本元帥。否、海軍予備役大将(戸籍上、山本五十六という人物は死んだ事にした為、旧姓を名乗り別人とした)も、久々に賑わうクリスマスに相好を崩す。


「やっぱりこういうイベントはワクワクするな」


「高野総理のようなお人でも子供のような表情をなさるのですな」


 そう笑顔で言うのは秘書官の佐武護。弱冠三十歳で総理大臣の秘書官を務め、何れは新日本の重要ポストに就く事も目されている男だ。


「佐武君、俺だって元々あんな国葬されて軍神なんて崇められるようなやつじゃないんだよ。面白い事は大好きでね。組閣の大命がなかったら今頃モナコで博打やってるよ」


「そういえば海軍部内でも五十さんの博打好きは有名のようでしたな」


「そうだ。真珠湾なんて正に大博打打っちまったが、あれは結果的に負けだったな」


「どうしてです?宣戦の前後なら歴史上もよくあった事でそもそもあれは外務省の・・・・・・」


「まあそれもあるが、それだけじゃない。戦艦を何隻も沈めたと喜んだが結局、アメリカはネバダもオクラホマも引き揚げて戦列に復帰しておったし、何より戦艦群に固執して港湾施設もむき出しだった燃料タンクも・・・それにそこから多少の怪我はあったが連戦連勝で油断したのが、珊瑚海、ミッドウェーのあれだ。それに空陸海三次元の戦いとなると消耗戦になる。開戦劈頭の勝利も我が方にまだ数があったからだ。長引けば戦闘機、中攻、重爆、戦艦、空母、潜水艦、兵士の数も訓練日数も・・・どれも米国の生産力や技術力に勝てるわけが無い。これじゃ、日本は勝てる見込みがない」


「そうですな・・・我が国は自前の資源といえば石炭くらいのもの・・・結果的に言えば負けるのは当たり前でしたな」


「そうだろ?まあ、過ぎたことを言っても仕方が無いな。まあ、そんな堅い話は後にして、ケーキやターキーなんぞはないが久しぶりの戦争のないクリスマスを祝おう」


「はい!」


 この頃、南方からの引き揚げ船も続々本土や、当分は日本の施政下に置かれたままの朝鮮、台湾、樺太等の属地に到着しており、彼ら彼女らの家族達にとって最高のクリスマスプレゼントとなった。



 翌昭和二十年 正月



 米国での日系人強制収容所の閉鎖が始まり、逮捕者の罪も軽減され始めた。

 日本国民の反米感情も消えていないように決して、米国民の反日感情が完全に無くなったわけではないが、米側も何れ控える講和会議に於いての不安材料を無くしたいとの思いもあったようだ。

 そしてこの頃、米豪からの多大なる支援のおかげで、日本国民達は生活再建への目処がつき始め、日本での反米感情はだんだんと落ち着いてきていた。







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