第5話 砂糖菓子

箱庭ノ傍観屋 ◆砂糖菓子


ここは、箱庭の傍観屋。神々がつくりだした箱庭を、監視するのがこの場所の役目。

ほとんど何もない空間に置かれた大きな水晶。そこには、様々な箱庭の世界の出来事が映像のように映し出され、靄のように浮かんでは消えてを繰り返している。

箱庭の世界にいても触れることができず、認識されない監視者、ネクサス。絹のように滑らかな金色の髪を靡かせ、6つの翼をもつその姿は、彼が上位の存在であることを周りに意識させた。

…とはいえ、彼の生活は穏やかで、良くいえば静かに時が流れていく平穏な空間、悪くいえば…暇である。


「ご主人様、お客様です」


ネクサスがその鈴のような声に振り返ると、この空間にたったひとつだけある大きな扉の横に、藍色の髪の少女が立っていた。白い小さな翼をもつ彼女は、ネクサスに仕える天使。彼女がメイド服を身に付けているのは、彼女の意思でもネクサスの意思でもない。

天使は、他の神からの贈り物だった。時の感覚が麻痺しているこの世界では、いつから彼女がいるのかを言い表すのは難しい…。


「ようこそ、お嬢さん?」

「どうぞ」


天使がそう言って進むことを促すと、彼女の後ろからひょこっと小さな女の子が顔をだし、緊張した面持ちで席につく。

レース状の白いテーブルとチェアは見慣れていないのだろうか、それとも目のやり場に困っているのか、じっとテーブルを凝視する彼女。

ネクサスはそんな彼女を静かに見つめ、彼女の過去を垣間見ていた。


(…この子も、天使と同じ…か)


相手が単なる迷い人ではないことは、きっと自分の避けたい運命の時というのも早まったのだろう。


(もう少し、ゆっくりしていたかったのだけれど)


(いや、もう十分すぎるほどの時間が僕には渡されていたのか。命の手綱を他人に握られているのは、変な感じがする)


しばらくして、天使がティーセットを持ってきて紅茶の用意を始める。女の子は、それを物珍しそうに見つめている。

…こうしてみると、二人の容姿はよく似ていた。姉妹だと言われても疑わないほどに。

女の子は、ネクサスの視線に気づくと、ばつが悪そうに下を向いた。


(あからさまだなぁ…)


しばらくして、紅茶のいい香りが立ち上る。

それをミルクと混ぜ合わせ、艶やかな金色の蜂蜜を…いや、今日はハート形のシュガーが入るらしい。


「かわいらしい形をしていますね、このお砂糖。ご主人様もご覧になってください」

「本当だ、4つをこうして並べると、幸運のクローバーみたいになるね」


天使が自分を手招きして、砂糖を見せる。ああ、あの女の子の手土産なのか。ネクサスには、天使がそんな風に自分と小さな感動を共有しようとする行動をとったことが、嬉しかった。

この世界に来た時にはそんなことをするなんて想像もできないほど、無機質な表情しか浮かべなかったからだ。


「お土産に?ありがとうね、お嬢さん。えーと…名前を聞いてもいいかな?」

「あっ…エシャルです…。あなた様が、甘いものがお好きだと…お聞きしたもので」


たどたどしく答えるエシャル。

その視線はじっと、ネクサスを捉えている。そのせいか、たどたどしい言葉遣いをしているにもかかわらず、入ってきたときのような弱々しさは感じられない。

その視線に気づかないふりをしながら、ネクサスは上っ面の笑みを張り付ける。


「それじゃあいただこうか。あ、椅子もうひとつ必要だよね」


ネクサスが白い椅子に両手で触れ、横にずらすように動かすと、椅子が二つになる。

造作もない。無機物なら、いくらでもつくりだせるし、複製もできる。

本当は必要がないのに天使にお茶を淹れてもらったり、料理をつくってもらったりするのは、それこそネクサスの趣味だからだ。それに、天使には他にこれといってすることもなかった。

その様子を見て、エシャルは息をのむ。先ほどの観察するような視線ではない。奇術師のショーを見る子供のような目で、ネクサスに釘付けになっている。


(あんまり主人がこういうことしないのかな…?さっきも珍しそうにテーブルを見つめていた)

「エシャルのところのご主人は、あまりこういうことに力を使わない方なのかな?あ、どうぞ座って」

「え、ええ、ありがとうございます。あの方は…箱庭づくりにお力を注がれていて、身の回りのことは私たちがすべて行っていました。調度品は、力の一端を分け与えられた天使が用意していました、私は、そんなことはしたこともない身分の者ですが…。飲食も…果実だけで」

「そうですよね、私もここに来た時には驚きました」


天使も賛同する。

確かに、箱庭の神は、人間世界のような食べ物を食べる習慣がない。天界にだけできる黄金のリンゴ…それだけで事足りるからだ。

天界のリンゴは、世の中のどんな食べ物よりも美味であり、神によっては自分だけで独占したがるほどのものだ。死後の魂へ慰労と転生する祝福として贈られるなんていう箱庭世界もある。

もっとも、箱庭を持たないネクサスには、黄金のリンゴを食べる機会すらない。そして、驚くという表現を天使が使ったことに驚いている始末だ。


「ここでは、黄金のリンゴは栽培できないからね。いろいろと管理が大変なんだろう?あのリンゴ」

「ええ。清い空気と、魂が必要ですから…」

「それに…別の世界に持ち出すと、蜜が毒に変わるんだってね」

「……」


にこりと微笑むが、対するエシャルの口角は歪む。

ゆっくりと、ティーカップに口づける。

エシャルは、ネクサスがミルクティーを飲み干すまで、震える手を押さえつけていた。



美しい花には棘がある。

あの美味な果実には、毒がある。



飲み干したティーカップをテーブルに置こうとした指先が痺れる。


それでも、飲む。

嚥下するごとに、体のあちこちに熱のような痺れが弾ける。


ガチャンと鋭い音を立ててティーカップは床にたたきつけられて割れた。

視界が、大きく揺らぐ。目の前の景色が、二重にも三重にもぼやけていく。



「ご主人様?」


異変に気付いた天使が椅子をはねのけて、倒れるネクサスに向かって手を伸ばしながら駆け寄る。しかし、その一歩手前で、ネクサスは力なく床に倒れ伏した。

床はクッションのようにネクサスの体を受け止める。つい反射的に床の状態をいじってしまった、痛い思いをしたくないという本能は、神であってももっているものなのか。


(なら、あの毒入りのティーカップの中身を飲み干した勇気は、誰かに称えられてもいいくらいだ)


こんなときにも、相変わらず自分の思考は呑気すぎる。そのことに、心のどこかでは安堵していた。

憎しみも怒りも、天使の前では見せたくなかった。見せないようにしてきた。

だって、見ている側は、どうしようもなく悲しい気持ちになるから…。箱庭の世界を見てきたネクサスは、そのことを身に染みて感じていた。

天使の声も、水底にいるようにくぐもって聞こえ、ネクサスはぼやけた真っ白な視界に自分の血の赤が滴り染み込んでいくのを、他人事のように眺める。


(ああ、あの時に見た世界と似ている)


ネクサスは、ある悲しい箱庭の世界の出来事を思い出しながら、ゆっくりと瞼を閉じた。

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