第57話 戦いの行方

 その日、長きにわたる戦争がようやく終結した。


 人間の兵、十万。

 対する魔族の兵、五万。

 一人の死者も出さずに事態が収拾したのは、ひとえにある人物が夜明けとともに戦場に現れたからだった。


 魔界と人間界の狭間にある深き谷、クラーベ峡谷の上空に一匹の青い竜が飛来する。その背には、頭に二本の角を生やした青年が乗っていた。



「私は魔王の息子、グレイフィール・アンダー! 戦を止めるべく、この地に参上した! 我が声を聞きし者はみな剣を収めよ!」



 開戦の狼煙をあげようとしていた人間側の軍はこれに驚き、制止の声を振り切って一斉攻撃を仕掛けようとした。


 しかし、竜の側に「大きな姿見」が現れると、誰しもその動きを止めた。

 そこからは、かの偉大な宮廷魔術師、火炎魔法使いのボルケーノの声が聞こえてきたからだ。



「皆さん、剣を収めてください! 僕は昨日死亡したボルケーノです。わけあって魂だけがこの鏡の中に入っています。僕は魔族と人間が戦を止め、和睦を実現させたいと望む、この方に賛同しました。皆さんもどうか魔族と争わず、共に生きる道を模索してください。お願いします!」



 ボルケーノの登場に、人間側はいっそう混乱した。

 ボルケーノの弟子たちはむせび泣き、あれは本当のお師匠様なのかと信じられずにいる。

 操られているのではないか、ボルケーノ様を解放しろと叫ばれると、グレイフィールはようやく反論した。



「信じられぬのも無理はない……。だが、ここにいる男は本物のボルケーノだ。彼は彼の意思でここにいる! 私はずっと父上のやり方に逆らい、戦場に出ることもずっと拒否し続けてきた。魔族も人間も、手を取り合えばいまよりさらに暮らしがよくなるのに、ただ争いが続くことがどれだけの不利益を生み出しているか! 魔族はもう人間を襲わない。だから、人間たちも魔族を迫害するのはもうやめていただきたい!」



 それでも、人間たちの戦意はなかなか収まらないようだった。

 フォックスの社長、ダイナーが納品した、百年前の勇者たちが装備していたという『伝説のサークレット』を身に着けた特攻隊が地面をけり、グレイフィールの元へと殺到する。


 グレイフィールは自身の魔力で、谷間の中間に浮島を作成した。

 そして、鏡の精となったボルケーノがその浮島に一人の女性を召喚した。



「あ、あれは……」


「聖女様!?」


「聖女様だ!」



 それは、白い修道服を着たネス……もとい現世ではセレーネ、前世ではセレスと名乗った聖女であった。

 兵の中に、女神教を信仰している者は決して少なくなく、ざわざわと人々の間に動揺が広がる。



「みなさん、待ってください! わたしも、この方に賛同しております。今こそ手をとり、ともに歩むべきときです。異質な者だからといって、もう魔族を迫害したり敵とみなすのはやめにしましょう!」



 聖女の切実な声に、さらに困惑の声があがるかと思ったその時、人間界側の崖に、とある一団が現れた。



「私たちも彼女の意見に同意だ!」


「あ、あなたたちは……!」


「私は魔道具量販店『フォックス』の社長、ダイナー・フォックス! あとはうちの社員たちだ! うちは人間もいるが、半魔やクオーターの社員たちもいるのでな。我々の境遇をもっとよくするためにも、人間と魔族が和睦と相成ってほしい!」



 その様子を、離れたところにいるネスは嬉しそうに見ていた。

 続いて別の集団が到着する。



「自分たちも賛同するっスよ!」


「あ、あんたたちは……?」


「同じく、半魔の個人道具屋やハンターっス。自分たちも両種族が仲良くしてくれたほうが色々と助かるんでね。あー、そうそう。魔界との物流が改善したら、家電や魔道具がもっと安く手に入ったり、いいことが沢山起きるっスよ~。さあさあ、どうするっスか?」



 お得意のセールストークで人間たちをその気にさせようとするイエリー。

 すぐそばにいたダイナーはその様子に思わず苦笑いを浮かべた。



「フッ、その商魂のたくましさ、見習いたいものだな。ワーウルフよ」


「お褒めいただき、光栄っス、フォックスの社長さん」


「とはいえ……このままではあと一歩足りないな。さてどうする、魔王の息子よ」



 いまだ周囲は混乱と困惑に包まれていたが、さらにそこにとある者たちが現れる。

 それは今までグレイフィールが、魔道具作りなどを介して関わってきた人間たちだった。


 壊れた魔道具を治してもらったハザマの街の人々。

 防犯アイテムで暴漢から救われた女性たち。

 ウンディーネと、洪水の悩みから解放された村の人々。

 聖女の街で眠り病から回復した市民たちと町医者。

 そして、クラーベ峡谷の付近に住み、立ち退きを命じられていた村の人々。


 グレイフィールは驚きを隠せなかった。

 自分の母親や仲間たちはわかるが、なぜこれらの人間たちがこの場に集まったのかと。


 なにより自分が「魔王の息子」であるとは誰にも明かしていなかったはずだ。変装して、グレイと偽名まで使っていたのになぜ、と見回すと、小さな手鏡が目の前に現れる。



「ハアイ、冷血王子様。ビックリしたかしらん?」


「ヴァイオレット! これは……お前の仕業か!」


「ええ、そうよ~。アタシが一軒一軒みんなのお宅にお邪魔して、王子様の正体を明かしてきたの~。そして今日のことを話したら、みんな快く助けに来てくれたわ。今こそお礼をしなくちゃ、ってね☆」



 グレイフィールの眼下には、それらの善良な市民たちが見える。彼らは等しくグレイフィールに向かって手を振っていた。



「ありがとう~グレイフィールさん!」


「これからも俺たちのためにいろいろ作ってくれ~!」


「あんたには世話になった、今度はこっちの番だ~」


「人間と魔族の間に和睦を!」


「そうだ、人間と魔族の間に和睦を!!」



 彼らはやがて、一斉にその言葉を繰り返しはじめる。

 人間側の兵たちは、まわりの声に徐々に戦う意思をそがれていっているようだった。


 このまま良い雰囲気で終わるかと思いきや、さらなる曲者が現れる。



「者ども静まれ! 魔族と、裏切者たちに騙されるなーーっ!」



 馬に騎乗し、群衆をかき分けて進み出てきたのは、豪華な服を身にまとった貴族たちだった。その数十数人。その奥にはミッドセントの国王らしき人物も控えていた。



「このような茶番に惑わされおって。やつら魔族は我々人間をいとも簡単に捕食し、なぶり殺しにできるような力の強い、凶悪な生き物ぞ!」


「それゆえ、数百年前に魔界へと追いやったのだ。今またこちら側に進出してきて、しかも和睦など結ぼうものなら、油断したころに寝首をかかれるぞ!」


「そうだ! 国王様も、そうお思いでございましょう?」



 貴族たちが周囲を牽制しつつ、国王へ水を向ける。


 王冠をかぶり、仰々しい鎧を身にまとった国王は、竜とともに空にいるグレイフィールに向けて、落ち着いた声で言った。



「その方、魔王の子息と見受ける! 魔王はどうした。魔王自身は人間をひどく忌み嫌っておったはずだ。その意思をお主はどう受け止めている」


「……」



 もっともな質問に、誰もが固唾を飲んで見守っていた。

 グレイフィールは国王に堂々と答える。



「父上は……いまだご存命だ。宮廷魔術師ボルケーノの呪いを、私とそこのヴァイオレットで解除したからな。父上はたしかに、いまだ人間に対し恨みを抱いたままだ。だが、私の代ではその禍根を引き継がん! お互い憎んだままでは世の中はいっこうに良くならないと考えるからだ。私は人間たちと、ぜひ和睦を結びたい!」


「……」



 国王はグレイフィールの言葉を胸の中で反芻していた。

 意味は分かる。分かるが……とある名前が心の中を大きく占める。



「今、ヴァイオレットと言ったか?」


「……」


「ヴァイオレット。私の心の友。空間魔法使いの、ヴァイオレット……。まさか、生きておるのか?」



 震える声でそうつぶやいた国王に、グレイフィールは軽くうなづいてみせた。



「ああ。生まれ変わった、というのが正確だがな。鏡よ、鏡……。お前の姿をこの空に映して見せよ。お前の今の力なら、できるはずだ」


「……ええ、わかったわ。冷血王子様」



 小さな手鏡の中の男は、そう言うと魔力を解放する。

 すると、クラーベ峡谷の上空に巨大な人の姿が映し出された。


 それは長い紫色の髪をなびかせた、とても美しい男の姿だった。



「ハアイ、アタシの大事な国王様。お久しぶりね」


「ああっ、ヴァイオレット……ヴァイオレット……! す、すまなかった……!」



 国王はその姿を見上げながら、しわの深く刻まれた頬に涙を伝わせる。

 そして、ひどく申し訳なさそうに頭を垂れた。

 肩を震わせながら、国王は言う。



「ワシに力がなかったばかりに……お主を……お主を亡き者に……」


「ああもう。ひさびさの再会なのにしめっぽいのは無しよ~。もういいの。遠い過去だし。悪いのは、その辺にいる貴族たちでしょ」


「だ、だが……」


「それより、まだあなたも生きてて嬉しいわ。また会えて良かった」



 おいおいと泣き崩れる国王を、貴族たちは複雑な顔で眺めている。

 きっと自分たちの指示で、ボルケーノにヴァイオレットを殺させたことをばつが悪く感じているのだろう。

 そして、誰も国王の側に近寄らない。


 そんな様子をヴァイオレットは冷めた目で見ていたが、そこに、一頭の白馬がやってきた。

 その背には精悍な中年の男性が乗っている。



「父上、父上! 大丈夫ですか!」


「ああ、お前か。面目無い。死んだと思っていた友に会えて、つい感傷的になってしまった」


「そうですか……」



 それは国王の息子だった。

 見た目はグレイフィールよりもはるかに上で、五十過ぎほどに見える。その意志の強そうな瞳はまっすぐにグレイフィールに向いていた。



「魔王の息子よ!」


「なんだ! そちらは国王の息子と、見受けるが」


「ああ、私はミッドセント王国の皇太子、リチャード・ガルツだ。その空中に現れている男は、たしかに父の友か? 騙したら承知せんぞ!」


「騙すなどと。そんな卑怯なことはしない。そこにいる貴族の者どもと違ってな」


「何?」



 目くばせをして、グレイフィールはヴァイオレットに過去のできごとを話させた。

 ついでにボルケーノにも、貴族の悪行を語らせる。

 ひととおり聞いたリチャードはわなわなと肩を震わせた。



「なんという……父上、それは本当ですか! なぜ私に話してくださらなかったのです。それが本当だとしたら、大変に許しがたいことだ」



 リチャードは腰の剣を抜くと、貴族たちにその切っ先を向けた。



「恥を知れ! 国を救ってくれていた宮廷魔術師を追いやり、あまつさえ暗殺させるとは。さらに暗殺させた者の弱みを握るとは……。人の上に立つには醜悪すぎる。お前たちには追って沙汰を出す。兵よ、彼らを拘束しろ」


「はっ」



 皇太子の指示に、近衛兵らしき者たちが貴族たちを連行していく。

 群衆は彼らを侮蔑の表情で見送った。



「恩に着る。ミッドセント王国の皇太子よ」


「それで、本当に和睦を願っているのか、そちらは」


「ああ。できたら対等に協定を結んだりしたいのだが……戦を止めることに同意できるか。それだけを尋ねたい」



 リチャードは父である国王と顔を見合わせると、いよいよ覚悟を決めたようだった。



「いいだろう。協定次第ではあるが……一時休戦とする!」


「了解した」



 わあああああっと魔族側、人間側から歓声があがる。


 その後――。

 谷の真ん中にある浮島で二種族間の協定が結ばれた。

 協定が結ばれるまでは一時停戦で、協定が結ばれてからは事実上の終戦が宣言された。


 グレイフィールとリチャードは協定書のサインをそれぞれ書き終え、固く握手をしあう。お互いに両種族の発展を願い、二度と差別や特別扱いをしないと誓った。


 グレイフィールは最後に浮島から二本の道を作り出す。


 一本は人間界側へと。

 もう一本は魔界側へと。


 それはそれぞれの崖の端まで行きつき、一つの大きな橋となった。



「これで転移無しでも、いつでも行き来できるわね!」


「そうだな」



 ヴァイオレットにそう応えたグレイフィールは、この景色をどこかで見ているであろうジーンのことをふと思った。

 片眼鏡モノクルに魔力を流し、魔界側の陣地を振り返る。

 すると、はるか後方の丘の上に白髪のメイドがいた。

 メイドは鋭い牙を見せながらも、満面の笑みを浮かべている。



「まったく、だから私は……魔王にはならないと言っているだろうに!」



 口の動きからだいたい何を言っているのかを察したグレイフィールは、そう言って笑った。

 しかしそれは――。

 誰も見たことのないような心からの優しい笑みだった。


 ちょうど近くにいたヴァイオレットとネスは、それを物珍しそうに見つめる。



「……冷血王子様? あれ、吸血メイドちゃんを見て笑ってる……のよね?」


「そう、みたいですね」


「あれは絶対何かあったわ……」


「何かって……? そうなんですか?」


「そうよ絶対。あとで何があったのか訊き出さなくっちゃ!」


「まあまあ。それはわたしも、ぜひ聴きたいですね」



 ふふふと楽しそうに会話している二人に、グレイフィールはひどく嫌そうな顔を向ける。



「鏡はわかるが、母上まで……。あまりからかうと、こうですよ?」



 グレイフィールはすぐさま魔力で黒い槍を召喚しようとする。だが、すんでのところで思いとどまった。

 ここには人間たちの目がある。

 また武力を行使する姿を見たら、せっかく友好的な空気になっているのに警戒されかねない。


 ならば、とグレイフィールは魔力でヴァイオレットの手鏡をクルクルと高速回転させはじめた。

 そしてネスには、自動で飛びながら動く機械の腕を差し向ける。腕はネスの脇腹をこれでもかとくすぐりはじめた。



「きゃあー! や、止めて! 止めてください! あははは!」


「ぎゃあああっ、ちょっとちょっと、誰か止めてー!」



 二人の悲鳴はクラ―ベ峡谷に響き渡り、あの戦争の最後には奇妙な悲鳴が聞こえたと後世まで語り継がれることとなった。

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