第56話 冷血王子と吸血メイド

「グレイフィール様~。イエリーさん、ちゃんとネスさんに説明してくれましたかね?」



 吸血鬼のメイド、ジーンはそう言って主の方を見やる。

 物見の塔に戻ってきていた二人は、丸テーブルを囲んでささやかな夕食を摂っていた。

 グレイフィールは魔草茶と魔物の肉の缶詰、ジーンはグレイフィールの血を固めた血珠にかぶりついている。



「ああ、あいつにすべて任せてある。心配するな」


「はい。でも……ちょっと不安です」


「不安?」


「はい……。はぐ……んっ……」



 ジーンは、またグレイフィールの血にありつけたのがよほど嬉しかったらしい。

 しゃべりながらも、手元の血珠に夢中だった。



「んぐっ……ふう。ネスさん、いえ王妃様が……グレイフィール様の味方になるとお決めになったら、人間たちにどう思われるのかなって。あと、魔王様にも」


「さあな。母上が結局どうされるのかは私にもわからん。ただ、少しでも私の意思に賛同する者が増えれば……戦争は止めやすくなる」


「止まったら、どうするんですか? その後は」


「何?」



 グレイフィールが顔を上げると、そこには口まわりをぺろりと舐めながら、真剣な瞳でこちらを見るジーンがいた。



「もし、戦争が終わって人間との和睦が成立したら……グレイフィール様はその後どうされるんですか?」


「ジーン……」



 グレイフィールは肉片を刺したままのフォークを置くと、伏し目がちに言った。



「私は、今後も同じような活動を続けていくつもりだ。魔族と人間が共存できるよう、魔道具技師として両種族に手を貸し続けていく」


「てことは……」


「ああ。お前の望みは、これからも叶えてやれない。私は魔王にはならない」



 ジーンはその言葉に悲しそうな表情を浮かべる。



「そう、ですか。であれば……今の魔王様はまた戦争を起こそうとするかもしれませんね。グレイフィール様と違って、人間への恨みをまだお忘れになってはいないようですし。それでも、ですか? グレイフィール様」


「ああ。父上も世の中が変われば……そのお考えもいずれ変えてくれるであろう。私のようにな」


「え……グレイフィール様のように?」


「そうだ。私はお前のせいで変わった。だから父上もきっと……。父上の説得も、私のこれからの仕事のひとつとなるだろう」


「グレイフィール様……」



 ジーンは血珠を全部口の中に放り込むと、立ち上がった。



「では、わたしはやはり……魔王様やモールドさんから言いつけられたお役目を、やり遂げることができないってことですね」


「ああ、済まない」


「じゃあ……。じゃあ、もう一つ成し遂げたかったことを、やらせてもらえませんか?」


「もう一つ成し遂げたかったこと?」


「はい。わたしを……食べてもらいたいんです」



 そう言って、ジーンはグレイフィールの方に一歩、歩み寄る。

 グレイフィールはごくりと生つばを飲み込んだ。



「そ、れは……」


「あ、あと! グレイフィール様の血も! 直接、飲ませていただきたいんです。そっちも……いいですか。お願いします!」


「それは、待て、ジーン……!」


「お互いに、食べ合いたいんです! それだけ、それだけですから! どうか、ぜひ!」



 この塔の中には、いまや自分とジーンの二人しかいない。

 そのことに気が付くと、妙に心拍数があがってきたグレイフィールだった。



「くっ……」



 今までのジーンの働きを思うと、その願いくらいは叶えてやりたいとも思う。

 グレイフィールはようやく覚悟を決めた。



「よ、よし……わかった、お前の功労に免じて、頼みを聞いてやろう」


「えっ!? ほ、本当ですか? でも、わたしがグレイフィール様の血を飲んだら……グレイフィール様は……」


「案ずるな。いつかこういうときが来るだろうと、対策はしておいた。私がお前の肉を食べても、お前が私の血を飲んでも、どちらとも何の影響も出ないはずだ」


「えっ……」



 ジーンはその言葉に一瞬固まったかと思うと、一気に顔を赤くした。



「えっ、ちょっ……ちょっと待ってください……?」


「なんだ、どうした」


「あ、あらかじめ対策……してたんですか?」


「ああ。そう、言ったはずだが?」


「えっ、ええっ……?」



 ジーンはふるふるといきなり首を横に振りはじめた。

 グレイフィールは、何がジーンにいま起きているのか全くわからない。



「どうした? さっきから何を動揺している」



 尋ねると、ジーンは目に涙を浮かべながら答えた。



「え、だって……。あの……ずっと、グレイフィール様も……こうしたいって思っててくれた、ってことですよね?」


「は?」


「わたしは……そう。思ってました。ずっと、いつも……」


「あ」



 グレイフィールは不用意な言葉をしゃべってしまったと気付き、あわてて顔を片手で覆う。



「い、いや、これは! お前がいつも私の血を飲みたいとか、言っていたから……その……」


「だとしても! まさかわたしの望みを本当に叶えてくださるなんて思わ、なくて……。う、嬉しいです! とっても!」


「……そうか」



 グレイフィールはようやく気持ちを落ち着けると、ジーンに近づき、その頬に手を添えた。



「ぐ、グレイフィール様!?」


「お前はまだ、私を食料としてしか見てないのか?」


「え……?」


「まあいい、とりあえず私の褒美を受け取れ。いいな?」


「は、はい……」



 グレイフィールがジーンの紅い瞳をのぞきこむ。

 けれどもう、吸血鬼による<魅了>の術はかからなかった。すでに対策として、魅了避けの魔法を発動させていたからである。


 かわりにグレイフィールの紫の瞳を見つめていたジーンは、まるで逆に<魅了>の術にかかったように動けなくなった。

 グレイフィールは特になにもしていない。

 吸い込まれるようなその切れ長の瞳に、ジーンが釘付けになっているだけだった。


 やがて、ジーンのその小さく可憐な唇に、グレイフィールの唇が重ねられる。



「ん……」



 小さな吐息がこぼれ、ジーンの深紅の瞳が閉じられる。

 次いでグレイフィールは、徐々にその首筋に唇を移動させていった。そしてやおら大きく口が開けられると――、



「あっ? がああっ……!?」



 そのまま一口分の首の肉がかじりとられた。

 ジーンの口からは一瞬、苦痛の悲鳴があがる。

 しかし、瞬時にその傷は再生した。



「うう……」



 頬を染めながら、ジーンが一歩後ずさる。

 不死の吸血鬼は肉体的なダメージよりも、精神的なダメージの方を多く負ったようだった。


 グレイフィールはというと、生まれて初めて生の魔族の肉を食し、その味に酔いしれていた。

 なんと甘美なことであろう。体中に魔力がみなぎってくる。

 これが人間であれば、さらに大きな力を得ていたと思うと、身震いさえした。


 しかし、グレイフィールはすぐにその危険な考えを頭から打ち消す。

 人間と和睦を結ぼうとしている者が抱いていい思想ではない。



「ふっ、存外美味だったぞ。礼を言おう、ジーン」


「……も、もったいないお言葉です。グレイフィール様」


「では、次はお前の番だな」


「はい……」


「ここから、吸うのだろう?」



 グレイフィールは己の長い黒髪をばさっと払いのけると、露わになった右の首筋をトントンと指の先で叩いた。

 するとジーンの目つきが一瞬で変わる。

 口からは大量のよだれをあふれさせ、一点をずっと注視するようになった。



「いつでもいい。吸いやすいように……そうだな、こうして腰かけてやろうか」


「あ、ありがとう、ございます……」



 ジーンはよろよろと近づくと、椅子に座ったグレイフィールの両肩に手を置いた。

 そして、はあはあと荒い息を繰り返しながら、切なげに言う。



「グレイ、フィール様……す、すみません。もう……我慢が……。ほ、本当に、いいんですか? 大丈夫ってさっきおっしゃってましたけど、でも、やっぱり……」


「いいから、早くやれ」


「……は、はい。では……。いただきます!」



 ジーンはそう言うと、グレイフィールのたくましい首筋にがぶりと食らいついた。

 四つの牙がぶつりと肌に突き刺さる。

 そして、次々にあふれ出す熱い血液を一滴も無駄にせぬようにすすりはじめた。



「じゅる……じゅるじゅるじゅる……」



 グレイフィールは己の魔力が吸われていく感覚と、なまめかしい舌が血をなめとっていく感覚に静かに耐えていた。

 と、ジーンの魔力もわずかに体内に流れ込んでくるのが感じられる。


 これが使役の術、か――。


 流星の花を収穫しに行ったとき、ジーンが墓守のドラゴンの血を飲み、使役したことを思い出す。

 あのときの様子は、すべてグレイフィールの片眼鏡モノクルに録画されていた。

 それをあとで解析してみたら、ジーンは血液を吸うときに同時に自分の魔力を注入していたのだ。


 それはまるで、蚊のように。


 吸われる対象が暴れないようにする鎮静剤や精神安定剤の役目があったらしい。

 さらには吸った後に操りやすくするような魔法も仕込まれているようだった。


 グレイフィールはそうした作用が自身に働かなくなるよう、あらかじめ今日という日が来た時のために、ジーン専用の<ワクチン>を作成していた。

 彼女の魔力が込められた唾液が自分の体の中に入ってきても、それを無効化するような液体をあらかじめ自分の体の中に入れておいたのだ。


 そのため、どれだけ血を吸われても、グレイフィールはジーンに心を奪われることはなかった。



「んくっ、んくっ……じゅるじゅる……」


「ジーン……そろそろ、もういいか?」


「へ?」


「お前の肉をもう一口くらい食わないと、貧血で倒れてしまいそうだ」


「あ、あっ、そうなんですか? すみません。じゃあ、わたしの首の肉、もう一度どうぞ!」


「いや、いい。缶詰の肉がまだ途中だったからな……」



 ジーンは、名残惜しそうにグレイフィールの首筋から口を放す。



「ああ、もう終わりなんですね……。というか、わたしとグレイフィール様がこうやってお互いに食べさせあえばこれ、永久機関じゃないですか? すごいこと発見しましたよ、わたし!」


「いや、こればっかりは、お前の吸収量の方が多いからな。私にとっては割に合わん。現にかなりの魔力が吸われている」


「そ、そうなんですか?」


「ああ。できたらこれっきりにしてほしい」


「えええ~~~っ! そんなあっ」


「戦場で、戦を止めるための良い働きをしたら、また考えてやってもいいがな」


「……」



 すぐにやります~と乗り気でくるかと思われたが、逆に黙り込んでしまったジーンに、グレイフィールは首をかしげた。



「どうした? まさか手伝わないとでも言うつもりか?」


「え。あ、そう……です。一緒について行きたいのはやまやまなんですが……わたしは……」


「は? それはどういうことだ、ジーン!」



 グレイフィールはまさかの返答に怒りを示した。



「ずっと私を見守っていくと言っていたのは、お前だろう。あれは嘘だったのか?」



 ジーンはその様子におずおずと弁解する。



「あ、いえ……たしかにわたし、そう言いましたけども……。あのですね、グレイフィール様。わたしがいると……人間との交渉がうまくいかないんじゃないかと思うんです」


「何?」


「だってわたしは、人間をたくさん殺してきましたから。だから、遠くから見守っておいた方がいいと思うんです」


「……。ふざけるな! お前がいたから、お前がいたから私は……ここまでやってこれたんだぞ!」


「グレイフィール様。そうおっしゃいますが、逆です。ここまで来たからこそ、なんですよ」


「なんだと?」


「わたしがいては、きっとまとまるものもまとまらないと思うんです。ですから……ですからどうかわたしは後方に」



 ジーンは申し訳なさそうにそう言うと、ゆっくりとグレイフィールに近づいてきた。そして、今度は自分からその小さな唇をグレイフィールの唇に重ねる。



「ジーン……」


「どうか、人間たちからは見えない、離れたところにいさせてください。きっと、グレイフィール様が和睦を実現されると信じております。ですから――」


「今のは、なんだ?」


「え? なにって……さ、さっきグレイフィール様がわたしにやったことと同じです……けど」



 パッと口元を手で覆って視線をそらすジーンに、グレイフィールはなおも食い下がった。



「それは、そうだが……いったいどういう意図で今それをしたんだと訊いている」


「え、っと……前にも言ったと思いますが」



 グレイフィール様のことが、好きになっちゃったからですよ……。

 そう恥ずかし気に告げると、白髪の吸血鬼はグレイフィールをじっと見つめてきた。 



「そうか……。お前の今の口づけは、そういう意味か」


「はい。って、あれ? いままで全然伝わってなかったですか? もしかして」


「ああ」


「そ、そうですか……。今のキスも、すっごく気持ち込めたんですけどね……。って、えっ? ってことは、さっきのグレイフィール様も……?」


「今気づいたのか?」


「へっ、嘘。え? さっきの、またわたしをからかってたんじゃ……」


「今度は違う。それに、頬じゃなかっただろう?」


「え、えっ? えええええっ!?」



 グレイフィールは目の前であたふたするジーンに思わず苦笑した。

 だが、また元の真顔に戻ると、穏やかな声で告げる。



「明日は、お前の期待に応えられるよう、努力をする」


「グレイフィール様……」


「でも、魔王にだけはならんからな」


「ふふっ。はい、応援しています」



 グレイフィールはジーンの手をとると、またそっと自分の身に引き寄せた。

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