第55話 半魔たちの夜(3)

「――そうか。お前が、例のワーウルフか」


「例の……? なんのことかわからないっスけど、自分はイエリー・エリエ、この店のスタッフのひとりっスよ。あと今日みたいな満月の夜にだけ、こうして魔物に変身して……魔界にアイテムを採取しに行くんス」



 家電量販店フォックスの社長、ダイナー・フォックスは、目の前に現れたイエリーを怪訝な表情で見つめていた。

 その顔は、もうほとんど狐と化している。


 一方、イエリーもすっかり魔物化がすすみ、顔はおろか腕や足にまで大量の毛が生えてきていた。

 自慢の狼の耳をピンと立てて、自嘲的な笑みを浮かべる。



「もっとも、今夜だけはそんないつも通りのことはしてらんないんスけどねえ~」


「どういう意味だ?」


「今、人間界側も魔界側も『非常事態』じゃないっスか」


「非常事態……そろそろ大戦争が起こるかもしれない、というやつか? それなら――」


「いやあ、違うっス。そっちじゃないっスよ。知らないんスか? まあ、だったらあんたがここにいたのは本当にちょうど良かったっスね」


「ちょうど良かった……? 何がだ」


「それを、今からみんなに説明するとこっス。自分は優しいんで、ついでにあんたにも話してあげるっスよ」



 そう言うとイエリーは店の奥を振り返った。



「つーわけで、お二人さん! そろそろ出てきてもいいっスよ~!」



 すると大きな鏡と小さな鏡が、ふよふよと一同の元に飛んできた。



「なっ……あれは、ヴァイオレットちゃん?」



 ネスが大きな鏡の方を見て声をあげる。

 しかし、その鏡面に映った人物が自分の見知った人物ではないとわかると、激しく動揺した。



「えっ……えっ、誰? ヴァイオレットちゃんじゃない……って、そっち!?」



 ネスがうろたえながらも小さな鏡の方へ視線をやると、そこには既知の友人ヴァイオレットが首から上だけの姿で映っていた。

 そしてひらひらと顔の横で手を振っている。



「ぼ、ボルケーノ様!?」



 今度は、ダイナーが驚きの声をあげた。

 大きな鏡の方に映っていたのは、元ミッドセント王国の宮廷魔術師、ボルケーノだったのだ。



「ど、どうしてこんなところに……? そしてなぜ、そのようなお姿に……」


「ああダイナーさん、驚かせてすみません。こうなった理由は……今からお話しいたします。あ、僕の方からお話させていただいてもよろしいでしょうか、イエリーさん?」


「いいっスよ。というかむしろそうしてくれた方が早い、みたいっスね」



 そういうわけで、一同はボルケーノからいままでのことを一通り説明された。


 十数分後――。



「ボルケーノ様が、死んだ……!?」



 ダイナー以外、話を聞いていた者はみな押し黙った。

 戦争の拡大を止めていた要が失われた。そうなると、もう取り返しのつかないところまで来ていることになる。


 そんな重い空気をぶち壊すかのように、ヴァイオレットがいきなり高笑いをしはじめた。



「あはっ、あはははは~☆ てーわけで、アタシの三度目の人生は手鏡! ずいぶんコンパクトになったもんよね~! あっはははは~!」


「ヴァイオレットちゃん……。あなた本当、なんてことを! 無事だったから良かったものの……わたし、わたしっ、とっても心配してたんですからね!」


「ご、ごめんなさ~い、ネスさん……。この通りアタシは元気だから。ゆ、許して……」



 涙目になっているネスに、ヴァイオレットは申し訳なさそうに謝罪する。

 しかし、ネスは代わりにその瞳に強い意志を宿したのだった。



「わかりました。あなたの覚悟は……。では次は、わたしの番ですね」


「え?」


「わたしも身の振り方を、考え直さなくては」


「えっ、ちょ、ちょっと? ネスさーん?」


「明日の夜明けにはきっと、色々なことに決着がつくのでしょう。ならばわたしもその時、わたしらしく行動できるようにしておかなくてはなりません。そのためには……ぜひ、わたしからもお話をさせてください」


「話……?」



 イブとアリオリは不思議そうに顔を見合わせる。

 そんな彼らを前に、ネスは身に着けていた変装用の首輪をかちゃりと外した。

 すると、みるみる少女の姿から二十歳前後の女性の姿へと変貌する。一同は思わず目を見張った。



「あ、あなたは……!」


「ダイナーさん」


「は、はい?」


「先ほどの口ぶりから察するに、あなたは女神教を信仰してらっしゃる方なのですよね? でしたらわたしのことはよくご存じのはず……」


「ま、まさか……」



 ダイナーはわなわなと口を震わせながらつぶやいた。



「あなたは……まさか本物の……聖女様!? ああ、やはり、私の目にやはり狂いは……!」


「ええ、そうです。変装していたのに、あなたには、見破られてしまいましたね……」



 なんということだとダイナーはその場で頭をかかえる。

 しかし、アリオリやイヴはまだわけがわからない様子だった。



「ど、どういうこと……じゃ?」


「ね、ネスさんが……聖女?」


「アリオリさん、イブさん。あなたたちにもずっと隠し事をしていてすみません。わたしは……現聖女のセレーネ・ガーデンと申します。そしてもう一つ、かつて魔王の妻にもなった聖女、セレス・アンダーの生まれ変わりでもあるのです」


「……なっ!」



 もうひとつの秘密に、ダイナーは今度こそ驚愕した。

 アリオリやイブも困惑した様子でネスに尋ねる。



「生まれ変わり……じゃと?」


「ちょっと待って。セレスって……たしか伝説の勇者パーティーにいた?」


「そうです、イブさん。わたしは百年前の、あの伝説の勇者パーティーにいた聖女……なのです。でも人間を裏切り、魔王の妻となり、そして半魔のあの子……グレイフィールを産みました。その記憶が先日ふいに蘇り、そしてあのような事件が――」



 ネスは、聖女の街ホーリーメイデンでの一件を話して聞かせた。



「わたしの力が暴走してしまった結果、あのようなことになってしまいました。わたしはこれ以上被害を出さないために、あの街を去ることにしたのです。そして今はあの子が作ってくれたこの魔道具のネックレスによって、ドレインの力を抑えられています」



 そう言って、胸元にぶらさがっている紫の魔石に触れる。

 それを見たダイナーは、はっとして言った。



「ちょっと待て。その魔道具、それはあなたの……その、息子が作ったものなのか? まさか、その見た目を変える首輪も……?」


「ええ、そうです。あの子は、半魔でありながら魔道具を生み出せる力を持つ、魔道具技師なのです。アリオリさん、イブさん、この店にもあの子は来ていたはずです。ご存じでしたか?」


「この店に……?」


「あっ。まさか、イエリーが連れてきてくれた人?」



 ちらりとイブが振り返ると、そこにはばつの悪そうな顔をしたイエリーがいた。

 イエリーは困ったっスねえと言いながら頭をかく。



「これは、イブたちを怖がらせたくなかったから黙ってたんスけど……。まあ潮時っスかね。自分も今日、そのことを話そうと思ってたんスよ。すまなかったっス」


「イエリー……そんなにわたしたちをみくびらないで。いったいこのハザマの街に何年住んでると思ってるの? あなたともず~っと長い間一緒に暮らしてきたじゃない。いまさらそんな半魔の人のことくらいで……」


「そうじゃよ。魔王の息子だろうがなんだろうが、わしらに益をもたらす者を恐れるなど……」


「害を成す者が一緒にいたとしても、っスか?」


「え?」


「害……じゃと?」



 イエリーはグレイフィールとともにいた娘の話をした。



「あの子は生粋の魔族、吸血鬼だったんスよ? あれは明確に人間に害しか成さない種族っス。血を吸い、操り、最悪死に到らしめる。グレイフィール様が一緒だったから安全だったっスけど、もし単独で人間界に来てたら彼女の吸血衝動は抑えきれなかったはずっス」


「そんな……あのジーンさんが?」


「吸血鬼じゃったとは……」


「半魔はまあ、人間でいる期間の方が長いっスからね、人間たちに受け入れられやすいっス。けど……本物の魔族は、人間の理解が及ばないことも多いんスよ。だから、自分もこの店に連れてくるのを躊躇してたっス。けど、グレイフィール様は、そんな魔族と人間が仲良く暮らせる世界を作ろうとなさってる。店長、イブ。そして……フォックスの社長さん。ここまで聞いて、そのことをどう思うっスか?」



 アリオリも、イブも黙っている。

 イエリーは背後の二枚の鏡を見つめて言った。



「そこの、鏡の精さんたちはふたりとも同調してくれたっスよ。今は人外の身となっているけれど……元は人間だったんス。でも、自分と同じで、グレイフィール様の掲げる戦争のない世界になってほしいと思ってるっス」


「くだらん」



 しかし、ダイナーだけはそれをばっさりと切り捨てた。



「所詮は理解し合えない……。人間と魔族とは、そういうものだ」


「ダイナーさん」



 ネスが寂しそうにダイナーを見つめる。



「魔王の息子が、いくらそのような崇高な理念を掲げたとしても、実現できるとは到底思えん。今や二種族間の均衡は大きく崩れた。相手を排除しきれないとわかれば、人間側は一気に魔族を滅ぼそうとするだろう。そして、たとえ魔族側が歩み寄ってきたとしても、人間側がそれでは……同じことだ。人間たちに受け入れられないとわかれば、魔物もまた人間を滅ぼそうとするだろう」


「わっかんないやつっスねえ……だから、少しでもその二種族間の手を取り持つ人材を必要としてるんスよ!」



 諦観しか抱いていないダイナーに、イエリーは熱く詰め寄る。



「あんたが! さっきネスさんにこぼしてた悩み事も……種族間の争いがなくなれば、もっとちゃんと打ち込めるはずなんスよ。今、半魔は人間からの目も魔族からの目もすり抜けるようにして中途半端に活動してるっス。だから、自分たちはこうなんスよ! あんたは魔族の技術力をあてにしたくないんスよね? 人間だけの技術を磨きたいんスよね? でも、半魔がこんな中途半端な状態でい続けたら、ずっと永久に実現できないっスよ? 俺たち半魔が! やりたいこともっと堂々とするためには、戦争なんかなくさなきゃダメなんス!」



 牙をむき出し、鼻先をダイナーの目の前まで突き付けながら、イエリーが叫ぶ。

 ダイナーはぎゅっと強く目を閉じるとイエリーの言葉を心の中で反芻した。



「半魔の立場を全体的に良くせねば、私の夢は叶わない……と? そう言うのか」


「そうっス。じゃあ、聞くっスけど。もし、魔族が滅ぼされたらどうなるっスか? あんたはクォーターらしいっスけど、魔族の血が少しでも入ってる者が、人間の技術力だけを磨いたとして、それが人間の技術だって言い張れるんスか? 認められると思ってるんスか?」


「……」


「じゃあ、反対に……もし、人間が滅ぼされたらどうなるっスか? クォーターのあんたは、一体なんのために、誰のために道具を作るっスか? 人間がひとりもいない世界で、人間の技術力を磨いてどうなるんスか? それをもしやり遂げたとしても、その結果を魔族はどう受け取るっスかね?」


「……」


「二つの種族が争い続けていたら、最終的にはどっちかの未来になっちゃうっス。でも……仲良くできたら……あんたの夢は、『あんたの技術』を磨いたってことになるんスよ!」



 イエリーの言葉に、ダイナーはゆっくりと顔をあげた。



「俺の……技術、だと?」


「そうっス。人間の技術とか魔族の技術とか、どっちだって好きなだけ使って、組み合わせて、どっちでもないあんただけの技術を磨いていけばいいんスよ。そして、それを人間のためだとか魔族のためだとか限定せずに、『誰にでも』使ってもらえたらいいんじゃないっスか?」


「……」



 イエリーは戸惑うダイナーに向けて、もう一度力強く言った。



「あのお方は……グレイフィール様は、すでにそれをやってるっス」


「何?」


「元は魔界の技術しかお持ちじゃなかったっスけど、ここ七十年の間に人間界の技術も学んで、デザインなどの流行も取り入れて、自分だけのオリジナルの魔道具を作ってきたんス。そして、それは魔族にも、人間にも、自分たち半魔にも、支給されてきたんスよ。種族とか関係ない、垣根のない技術や、施し。それを自分は、この世界のすべての者たちにもやってもらいたいんス。もちろん、あんたにも!」


「そんなことが……」


「できるっス! あのお方の望む世界なら! 自分はあのお方を信じてるっス」



 ダイナーは何かに助けを求めるように周りを見渡す。

 大きな鏡の中にいるボルケーノは、うんうんとしきりにうなづいていた。小さな鏡の中にいるヴァイオレットも得意そうに微笑んでいる。

 アリオリとイブはいまだ戸惑っているようだったが、お互いに顔を見合わせて何かを納得しているようだった。


 そして――。

 かつての魔王の妻であったネスは、慈愛のこもった目でダイナーを見つめている。



「聖女様……」


「あなたは……どうかあなたらしく生きてください、ダイナーさん。わたしは前の人生では、なかなかうまくそれができませんでしたが、途中からは自分らしく生きられて……幸せでした。魔族のことがどうしても気に食わないのならしかたありません。でも、どうぞ、後悔のないように。あなたの人生は、あなただけのものなのですから……」



 ダイナーはその言葉を聞くと、今やすっかり毛皮に覆われた顔をほころばせた。



「まったく。……女神教の他の信徒たちが聞いたら、ひっくり返るような内容だな。あなたが人間を裏切ったときには、この世の終わりかと誰もが思ったものだ。しかし……その後魔族との戦争が休戦になったことなどを思うと、あながちその行動は悪くなかったと言える。此度もきっと、女神様のご加護があるのだろう」


「ダイナーさん……」


「ま、それとこれとは話が別だがな。とりあえずことの決着がつくまでは、『黙って』おいてやる」


「えっ?」



 ダイナーはこほんと咳ばらいをすると上着を羽織りなおした。



「本来このような話を聞いてしまったら、お前たちを国家反逆罪として通報するところなんだがな……。私も少し、夢を見てみたくなったようだ」


「それって……」


「では、ここらで失礼する」



 ネスが呼び止めようとするが、ダイナーはすぐに店を出ていってしまった。

 振り返りもしないその背中を、道具屋アリオリの面々は玄関のガラス越しにいつまでも見送る。


 半魔と人間たちの長い夜が始まろうとしていた。

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