第54話 半魔たちの夜(2)
元聖女のネスは、迷っていた。
今は身分を偽って一般人のふりをしているが、また「聖女のまねごと」などしても良いのかと――。
目の前のダイナーは、跪きながら必死に懇願している。
「頼む、懺悔をさせてくれ! この通りだ!」
ネスは不憫に思ったが、正体を知られてしまうかもしれないと思うとどうしていいかわからなかった。
一方、その様子を、イエリーたちは物陰から不審げに見つめている。
「懺悔って……あいつ、いったい何を言うつもりっスかね?」
ぼそりとつぶやくと、隣にいたイブはうーんと首をひねる。
「さあ……。てか、わたしたち、ここでずっと聞き耳立ててていいのかしら。内緒のお話なら席を外してるべきじゃない?」
「まあそう固いこと言うなっスよ、イブ。フォックスの社長さんの悩みごとが聞けるなんて、こんな機会めったにないんスから! 聞いておかなきゃ損っスよ」
そう言ってにやりと笑うイエリーに、イブは呆れた顔を向けた。
もう一人、彼らの後ろにいた道具屋の店長・アリオリは、孫娘イブの肩にポンと手を置く。
「まあまあ、もう少し様子を見てみようではないか。のう? イブ」
「おじいちゃんまで!」
「ネスさんを客とはいえ男とふたりっきりにさせておくのも心配じゃしの。それに……」
「それに? なに?」
「あやつも……おそらく、魔族と関わりが深い者じゃ。どういう意図でうちの店に来たのか……その真意は確かめておかねばな」
「……」
イブはそれを聞いて、ようやく納得がいったようだった。
「なるほど。たしかにね、あの人、イエリーと同じ半魔っぽいもの」
「イブ? それに店長も……。あいつが純粋な人間じゃないって気づいてたんスか?」
「ええ、何年このハザマの街に住んでると思ってるの? 半魔が多く住んでるんだから、一目でだいたいわかるじゃない。それより、イエリー。なんかあのお客さんについて詳しいみたいだけど、どういうことなの?」
「あー、いや、今日はちょっといろいろあって……あいつの素性をたまたま知る機会があったんスよ。それで……」
「ふうん? たまたま、ねえ……」
じとっとした目つきで見られて、イエリーはこころなしか冷や汗をかく。
「ななな、どうしたんスか? イブ。なにか怒ってるっスか?」
「んー。別にー。ね、おじいちゃん?」
「ああ、そうじゃのう。いつかお主にも、ちゃあんと訳を話してほしいもんじゃのう。あの、以前連れてきてくれた方々のこととかの……」
「以前連れてきてくれた方々? なな、なんスか……? いったい何のことを言ってるんスか?」
店長のアリオリにもじとっと見られ、イエリーは急におろおろしはじめた。
しかし、いっこうに何をほのめかされているのかわからないらしく、イブとアリオリはふうとため息をつく。
「まあいいわ。ひとまずあなたの話は置いておきましょ」
「そうじゃな。のちにじっくり、時間のある時にでも聞かせてもらうわい」
「ええ? だからー、なんなんスかー! 気になるから教えてほしいっスよ……」
「はいはい。あとでね、イエリー」
「そうじゃよ。今はちょっと静かにしておれ」
「う、うう……」
そうして三人は、またネスたちの声に耳をすませたのだった。
「何度も申し上げますが、わたしは聖女様、なんて言われるような者ではありませんよ……。ただの道具屋の店員です。なのに、なんでそんな懺悔なんて、急に……」
祈りの姿勢をあいかわらず解かないダイナーに、ネスは困ったように言う。
「急、ではない。以前、この店にやってきたときに思ったのだ。聖女様のような人がいると。あの時は店先で少し会っただけだったが……」
ダイナーはその時のことを詳しく話しはじめた。
ネスは数日前に起こったことを、徐々に思い出していく。
「あっ、あの時の? 御者なしで動く馬車に乗ってこられた方、ですか?」
「そうだ。ようやく思い出してもらえたか」
「今日はその馬車は……」
「この店からは少し離れたところに停めてある。あれはとても目立つからな」
「そうでしたか。その時から……わたしのことを」
「ああ。私はこれでも女神教の熱心な信者でな。聖女様が行方不明になられてからは、心の休まることがなかったのだ。しかし……聖女様ではないが、それに近しい人を偶然見つけられて私は神に感謝している! 勝手なお願いではあるが、どうか頼む、ただ聞いてくれるだけでいいんだ!」
「はあ……うーん、そうですか……。では……わ、わかりました」
「なにっ? 聞いてくれるのか!」
「はい……」
ネスはついに根負けして、ダイナーの懺悔を聞いてやることにした。
ただ聞くだけというのならどうにか助言などせずに済みそうである。それに、これだけ助けを求めている人を無下にすることはできなかった。
ダイナーは天を仰いで感激している。
「ああ、神よ! 感謝いたします!」
「あー、その……。それで懺悔というのは?」
「ああ、よくぞ聞いてくれた。実は私はとある魔道具量販店を経営していてな。これでも魔族と人間のクォーターなのだ」
「そ、そうだったんですか?」
「ああ。だからか、我が社の社員も積極的に半魔やクォーターを採用してきた。しかし……最近、私と社員たちとの間で意見の相違というか、目指すものが食い違ってきてしまっていてな。そのことを悩んでいるのだ……」
「意見の相違……?」
聞きながら、ネスは跪いたままのダイナーを立ち上がらせ、今まで寝かせていた台に座らせる。
「ああ。つまり私は、社員の気持ちを無視して経営を続けていた……ということになる。それが、だんだん心苦しく……このままでいいのかと迷うようになってな」
「具体的には、どう食い違ってきているんですか」
「ああ、それは……」
いわく、ダイナーは人間たちによる人間たちのための技術革新を望んでおり、それには魔界産の素材や技術を当てにしていてはいけないという方針だった。
一方、半魔の社員たちは、己が魔界の恩恵を受けられるうちは、全力で享受するべきという方針をとっていた。
「私はクォーターだ。さらに代が続けば、徐々に魔族の血は薄れていく。そうなったとき、子孫は魔界に入ることすらできなくなる。そうなったときでは遅いのだ。魔界産の素材や技術が手に入れられなくなったとき、自分たちの手でよりよい未来をつかみ取れなければ……人間の文明は廃れていくだけだ」
「……」
ネスはただ黙ってそれを聞き続ける。
「そう思うのに……社員は私の方針をなかなか理解してはくれない。今も安易に魔界の素材を使ったり、魔道具を作ろうとしたりするのだ。できるだけ、それは止めてきたが……。いつしか私は、人間界産の商品をなかなか開発できない焦燥感からか、魔族のことを憎く思うようになっていった」
「憎く……?」
「ああ。自分が、魔族の血を引いていることさえ……うとましく思うようになったのだ。そして、ふたたび大規模な魔族の侵攻が起き……そのときこれは商機でもあり、勝機でもあると思った。この戦争が加速すれば憎い魔族たちを一掃できる、そうなれば晴れて人間だけの世界になる、と。だが……戦争は一度沈静化し、長引いた。会社はその間、潤っていったが、それに反比例するように徐々に社員たちのやる気は低下していった。私はずっと、自分の野望のために生きてきた。社員はそんな私に嫌々ついてきてくれたが……私は、私は……この会社を続けていく自信がない」
「お客さん……」
「私の懺悔は、それだ。社員たちを率いる長であったにもかかわらず、彼らの気持ちを無視して、ずっとその真逆の経営を続けてきた。それを今、ここで悔いたい。ああ今日も、人間たちだけの世界を作るために、戦争の道具を王城に納品してきてしまった。ああ、私はただ、人間を幸せにしたいだけだったのに」
「……」
ネスは、ダイナーの頭の上にそっと手を伸ばす。
そしてその髪を優しくなでた。驚くダイナー。
「悔いているのなら……今から変わればいいのではないですか?」
「え……?」
「どうにかしたかったから、その気持ちを私にこぼしたくなったのでしょう」
「あ、ああ」
「なら、今からでも遅くはありません。あなたにできることを今からやってみてください」
「そ、そうは言うが、いったいどうしたら……」
困惑しているダイナーに、ネスは告げる。
「わたしも、人間のために一所懸命に働いてきたのに、結局は人間のためにならなかったと……そう悟り、それまでしていた仕事をほっぽり出したことがあります。こんな仕事をしていても人類が真に救われることはない、と……」
「え?」
「悩んだら、一度立ち止まってみるのも手です。そして何かに囚われているなら、一回そこから抜け出してもいいんです。本当にしたいことをできないのは、もったいないですよ? 人生は一度きりしかないんですから……」
「聖女、様……」
「え?」
ぼそりとつぶやかれた言葉に、またネスは慌てた。
しかし、ダイナーの陶酔する目は変わらない。
「やはり、あなたは聖女様だ! いや、普通の女性なのだろうが、まるで聖女様のように慈愛にあふれている! ああ、やはり私の目に狂いはなかった! 懺悔を聞いてくださって、本当にありがとうございます!」
「え、えええっ!?」
ひしっと右手をダイナーにつかまれて、動揺するネス。
感激しきりのダイナーに、もう黙ってはいられないとイエリーたちが飛び出した。
「そこまでっス。魔道具量販店フォックスの社長さん!」
「人の好いネスに甘えるのはそこまでにしてください」
「そうじゃぞ。少々調子に乗りすぎじゃわい。一見さんにしてはの」
ぐいっと左手が引かれ、ネスはイエリーたちの後ろに追いやられる。
急に聖女様を盗られたダイナーは、眉根を寄せた。
「ん? なんだ君は。なぜ私の素性を知っている。まだそちらの聖女様にも、自己紹介はしてないはずなんだがね」
「ふっ、今日の午前中、あんたをミッドセント城で見たって言ったら理解できるっスか?」
「なに?」
ダイナーは今日のことをさっと脳内で振り返った。
そのことを知っているのは一部の人間しかいないはずだ。
「どうしてそれを……。まさか、お前」
「ご想像の通りっスよ。あの『商談』をちょ~っと覗き見させてもらってたっス。なんせ、自分も魔族と人間が仲良くなるために……活動してる半魔なんでね」
そう言いながら、イエリーは被っていた帽子を脱いだ。
帽子の下からは大きな茶色い耳がのぞく。
そしてその顔もすでに茶色い体毛に覆われかけていた。
「ワーウルフ!? はっ、今日は満月の夜か!」
「そうっスよ。あんたも当然、変化がはじまってるっスよね?」
ちらりと窓の外を見ると、もうとっくに陽が落ちている。
ダイナーは店の中にあった鏡を見た。
そこには……やや獣寄りになった自分の狐顔があった。
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