第53話 半魔たちの夜(1)

「イブ、イブ~~~! ただいまっス~~~!」


「あ、イエリー! おかえりなさい!」


「は~~、ようやく帰ってきたっスよ~~~!」



 イエリーは道具屋アリオリの裏手から、半泣きで店内にやってきた。

 外はもうだいぶ陽が暮れている。

 閉店作業中のイブは笑顔でイエリーを出迎えた。



「どうしたの? ひどくお疲れのようだけど……」


「そう、なんスよ~。魔界に行ったらホントもういろいろ、いろいろありすぎて……は~~~。とにかくちょっと充電させてくださいっス~~~!」


「もう、おじいちゃんが見てるわ! イエリー!」



 思わずイブに抱き着くと、別の場所にいた店長アリオリにごほん、と軽く咳ばらいをされてしまう。

 イエリーはしぶしぶ愛しの恋人から離れ、店内をぐるっと見回した。



「あれ? そういや、ええと……ネスさんは?」


「まだ接客中よ」


「え? 接客中って……もう閉店の時間じゃないっスか。なになに、厄介な客っスか~?」


「いいえ。違うのよ。なんか、マッサージだけしてほしいってお客さんが来てて」


「へ?」


「ネスさん良い人だから、つい引き受けちゃってね。あ、ほら、あそこ」


「ふーん。どれどれ、変な客だったら自分が一言言って……」



 店の一角には、背もたれのない大きめのベンチが置かれており、その上に身なりの良さそうなスーツの男性がうつぶせで寝ころんでいた。

 ネスはその横に立ちながら、丁寧にその背中や肩やらをマッサージしている。

 ふいに男性の顔がくるりとイエリーたちの方に向いた。

 それを見て、イエリーはびっくりする。



「なっ! なななっ! アイツは、フォックスの社長さんじゃないっスか!」


「フォックス?」


「この街にもある家電量販店の名前っスよ。イブも一回買い物行ったじゃないっスか」


「ああ、そういえば……たしかそんな名前だったわね。えっ? でもどうして、その店の社長さんがこの店に? まさか……敵情視察?」


「どうっスかね。いやでも、午前中には王都にいたのに、なんで今……ここに?」



 フォックスの社長がこの街に来た理由がわからない。

 もっといえばこの店に。いったい何の用だろう。

 イエリーは気味の悪い思いを抱きながらも、しばらく様子をみてみることにした。


 イブやアリオリもなるべく気配を殺して、ネスたちを見守る。



「さ、おしまいです。どうですか? 肩や背中、楽になりましたか?」



 ネスのマッサージが終わった。

 起き上がったフォックスの社長、ダイナーは晴れやかな顔をみせる。



「ああ、すばらしい。とても楽になった……。マッサージだけしてほしいなんて、突然やって来て、ずいぶんと厚かましいお願いをする客だと思われただろう。まさか、嫌な顔ひとつぜず聞き入れられるとは思っていなかった。なんと礼を言っていいか」


「いえいえ。そんな、大したことはしてませんよ。ですので、どうかお気になさらず」


「大したことしてないだなんて……そんなわけがないだろう。自分は本当に救われた。これは、少ないかもしれないが、とっておいてほしい」



 そう言ってダイナーはふところから財布を取り出し、幾枚かの金貨を差し出した。

 ネスはあわてて首を横に振る。



「こ、こんなお金! 受け取れません。これはわたしが、善意でしていることですので」


「いや、時間もだいぶとらせてしまったし、遠慮するな」


「いえ、でも……」


「遠慮するなと言っている」


「あの……本当に。これは商品を買っていただいた方に無料でしているだけなんです。ですのでやはり、受け取れません。その代わり、次回またいらしたときに何かひとつ商品を購入してくださいませんか。それで、いかがでしょう」


「……ふう、わかった。そんなに言うのならそうしよう」



 かたくなに代金を受け取ろうとしないネスに、ダイナーはついに根負けしたようだった。

 残念そうに手を引っ込めるが、ふと独り言をつぶやく。



「また、か。そうだな。もう一度ここに来られたらいいのだが……」


「え?」


「ああ、いや、こちらの話だ。今日は本当に助かった。初めて来た客だというのに、こんなによくしてもらって。あなたはまるで聖女様のようだな」


「……えっ」



 ネスはぎくりとした。

 まさか自分の正体がバレてしまったのか、と焦る。

 イエリーも同様だった。彼女が今ここで元聖女であるとバレてはまずい。


 ダイナーはただ単に比喩のつもりで言ったようだが、それはとても心臓に悪い一言だった。

 ネスはあははと笑ってごまかす。



「そ、そんな……聖女様だなんて~! わたしはただ、困ってる人を見過ごせなかっただけですよ。それに、お客様は何かご事情がありそうだと、そう感じたものですから……」


「そんなに、わかってしまうものか。私は顔に出ないタイプだと思っていたんだがな……。たしかに、少しは緊張しているかもしれん」


「緊張?」


「ああ、これから、大変なことが起こりそうなんだ。そう、きっともう明日にでも……はじまる」


「はじまる……? どういうことかわかりませんが、もし差し支えなければ、何を不安に思われているのかお話ししていかれませんか。その、誰かに話すことで……少しは楽になるかもしれませんし」


「ああ、そうだな……。では先ほどの礼に、少しだけ」



 そうしてダイナーが語ったのは、明日にでも人間と魔族との大決戦が行われるかもしれない、ということだった。

 そしてその余波は、魔界に近い村や町、すべてに及ぶだろうということも。

 つまり、このハザマの街もその例外ではなくなるということだ。


 ハザマの街は、すぐそばにクラーベ峡谷の深い谷がある。そこは戦場とされている一番幅の狭いところからは少し離れたところにあった。

 しかし、戦争が始まれば、どこからであろうと広大な谷を越えて魔族たちが人間界にやってくる。

 ダイナーはそれを懸念していたのだった。


 ネスはその話はすでに鏡の精ヴァイオレットから聞いていたが、それでもダイナーの忠告をありがたく受け取る。



「そうですか……そのような危機が迫っていたのですね。教えてくださってありがとうございます。わたしどもも気を付けておこうと思います」


「そうだな、できればいますぐにでも避難をしていた方がいいかもしれない。私の経営する店の支店もこの街にあるのだが……従業員たちにもそう指示をしようと思っている」



 ダイナーはそう言うと、よりいっそう顔をくもらせた。

 ネスはまたそれが気にかかる。



「あの、本当にどうかされました? さっきからお顔の色が優れないようですが……」


「ああ、いや、その……」


「……?」



 困ったようにうつむき、ダイナーはしばらく口ごもっていた。

 ネスも、陰から様子をうかがっているイエリーたちも頭に疑問符が浮かぶ。

 やがて、意を決したようにダイナーが顔を上げた。



「あ、あなたを聖女様に見立てて、懺悔してもいいだろうか!」


「は!?」



 必死に訴えるダイナーに、ネスたちは今度こそ言葉を失ったのだった。

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