第52話 新しい仲間
「大丈夫ですか、イエリーさん」
クラーベ峡谷の魔界側。
ジーンは、地面に座り込んでいるワーウルフの商人・イエリーを心配そうに見守っていた。
「やっぱり、魔界のこの魔素の濃さは辛いですか?」
「ああ……心配してくれてありがとうっス、メイドさん。でも、さっきよりは楽にはなってきたっスよ」
「そうですか。本来は、満月の夜にしか魔界に来られないんですよね?」
「そうっス。完全な魔族の体になれる満月の夜以外は、やっぱ半魔の身にはキツイっスね。ああでも、今日がたまたま満月の夜だったんスよ」
「え? 今日が? たまたま?」
「はいっス。だからっスかね、徐々に体が変化してて、この時間でもこの魔素の濃さに耐えられてるっス。いやー、さっきグレイフィール様に無理やり連れてこられたときはどうなるかと思ったっスけど、なんとか間に合ったっスね。じゃなきゃ今ごろ……」
ぶるるっと身震いしたイエリーは、ようやく日が暮れてきた空を見上げる。
もう少しすれば東の方角に満月が浮かんでくるはずだった。
「そんな……グレイフィール様はこのこと、ご存じだったんですかね?」
「え? どのことっスか?」
「だから、今夜が満月の夜だったってことにですよ」
「さあ、どうだったんスかねー? もしご存じでなかったら、ちょっと冷酷すぎっスよ、鏡の精さんにはいつも冷血王子様って呼ばれてるみたいっスけど……自分にはそこまでの嫌がらせをするとは思えないっス。だってビジネスパートナーっスからね。でも……なんとなく、自分はたぶん知ってたんじゃないかと思ってるっス」
「え、どうしてですか?」
「だって、グレイフィール様だって半魔じゃないっスか」
「いや、たしかにグレイフィール様もそうですけど――」
ジーンはふと、グレイフィールと二人で流星の花を採りにいったことを思い出した。
あの時はグレイフィールは何の体調不良も起こしていなかった。
現在いるのも薄布一枚の天幕の中だが、体調を崩しているというような騒ぎにはなっていない。
それは、よくよく考えてみれば変なことだった。
「グレイフィール様はイエリーさんと同じ半魔なのに、魔界の屋外で体調不良を起こしているところなんて見たことないですね。んー、どうしてなんでしょうか?」
「さあ……魔王の息子、だからっスかね? すごい魔力を秘めてるから問題ないとか? それとも、なにかしらの魔道具で魔素を周囲に寄せ付けないようにしているんスかね?」
「そんなものを身につけているご様子もありませんでしたよ」
「うーん。じゃあ、なんでなんスかね?」
ジーンも、イエリーと一緒になって考え込む。
「塔の中は、わかるんですよ。昔引きこもられたときにご自分に都合のいいように造り替えられたそうですから。あ、でも……そういえば塔以外の城の中も大丈夫でしたね……」
「あ、それ、自分も思ったっス。さっきいた魔王城では、自分も辛くなかったっスから。そういえばそれもなんでだったんスかね……?」
「それは王妃様のために、魔王様も城を作り替えられたからですよ」
「えっ?」
「も、モールドさん!?」
イエリーとジーンは背後を振り返った。
そこには魔王城の執事長モールド・オットマンがいた。
老執事は真顔で二人を見つめている。
「人間である王妃様が少しでも楽に暮らせるよう、ご結婚中は城内の魔素を常に排出する構造をお作りになられていました。よって、あなたも楽に過ごせたのでしょう。ワーウルフの青年よ」
「な、なるほど……王妃様が住んでたからっスか」
「はい。しかし、王妃様が亡くなられたあともその機能は継続されつづけました。それはおそらく、グレイフィール様のためだったのではないかと。そう我々家臣は理解しております」
「グレイフィール様のために……? そうだったんですか。だから、グレイフィール様も城の中では平気だったんですね」
「いえ、そのことですが……グレイフィール様に限っては、それ以外の理由もあるのです」
「それ以外の理由、ですか?」
「はい」
モールドは興味深々の二人に、さらに説明をしてやった。
「グレイフィール様の母君は……元聖女でした。それは、ご存じですね?」
「はい」
「聖女はもともと、魔素を常に自分の聖なる力に変換するという力を持っているのです。グレイフィール様はその王妃様の血を半分、引いてらっしゃいます。ということは……」
「ぐ、グレイフィール様は聖女と同じ能力を引き継いでいた? だから外でも、半魔でも、大丈夫だってことだったんスか!?」
「そういうことです」
「はあ~~~~。なるほど~~! やっぱ自分とは違うっスね! あの不思議な雰囲気の臭いは、魔王様という高貴な魔族の血を引いてるからだけだと思ってたっス。でも、聖女という『普通ではない人間』の血も引いてたから、だったんスね。は~~~~!」
「ちょ、ちょっと待ってください、イエリーさん。不思議な雰囲気の臭いって……?」
「ああ、言ってなかったっスか。自分は狼の魔族の血を引いてるんで、臭いで相手の魔力の特徴というか、量や性質がある程度わかるんスよ。こいつは強い魔族だとか、半魔だとかね。だからグレイフィール様はこの魔界でもひときわ変わった臭いだったんスね……」
二人が納得したところで、天幕の内からグレイフィールの呼ぶ声が聞こえてくる。
「おい。ジーン、イエリー! ちょっとこちらに来てくれ。ああ、モールドもいるか。ちょうどいい、お前も来い」
三人は言われるままグレイフィールの元に行った。
天幕の中に入ると、見慣れたヴァイオレットの鏡が置いてあった。しかし、そこにはなぜか何も映っていない。代わりにグレイフィールの手中に、見慣れぬ黒い手鏡があった。
「グレイフィール様、それは? あと……ヴァイオレットさんはどうしたんですか?」
「まさか。あの魔術師に敗れたんスか?」
「まあ、それを今から説明する」
「は、はい……」
真剣な表情のグレイフィールに、ジーンとイエリー、モールドがごくりと唾をのみこむ。
「ヴァイオレットだが……」
「……」
「いろいろあってこの手鏡に転生した」
「は? はいいいいぃ~~?」
グレイフィールはくるりと手元の手鏡をひるがえして、皆にその鏡面を見せる。
そこには、やや小さくなったヴァイオレットの姿が映っていた。
「ハァイ。ちょっと小っちゃくなっちゃったけど、正真正銘みんなのヴァイオレットちゃんよ~! なーんとか戻ってこれたわ~~~」
「ヴァ、ヴァイオレットさん!」
「鏡の精さん!」
「……!」
一同は驚き、手鏡に詰め寄る。
グレイフィールは皆をなだめるようにゆっくりと話した。
「まあ、落ち着け。そういうわけで、ヴァイオレットはこの鏡に転生している。そして、そちらの大鏡にはボルケーノが転生した」
「は?」
「え?」
「なっ……!?」
「実際に見てもらった方が早いな。ボルケーノ、もう姿を現していいぞ」
「は、はい、それでは……」
聞きなれない声がしたかと思うと、黒縁の大鏡に、赤い服を身にまとった老人が浮かび上がる。
真っ白なひげのその人物を見て、ジーンたちは悲鳴を上げた。
「ど、どど、どうしてこの方が……っ!」
「グレイフィール様! これはどういうことっスか!」
「も、申し訳ありません。少し席を外してもよろしいでしょうか、グレイフィール様。すぐ戻りますので……」
そうおずおずと告げるモールドに、グレイフィールはうなづく。
「いいだろう。父上の安否を、確認しにいくのだろう? ただし、このことは父上にも他言無用だ。わかったな?」
「……承知いたしました」
モールドは深くお辞儀をすると、すぐに転移していった。
驚き冷めやらぬ他のメンバーにグレイフィールが詳細を語る。
「こやつと父上の間にかかっていた呪いを、ヴァイオレットが解いたのだ。しかしその際、命を落としてしまってな。それを救うにはこうするしかなかった」
「そんな。だからって……呪いをかけた魔術師さんも救うなんて……」
「そうっス。無茶なことするっスよ……」
複雑そうな顔をしている二人に、なんと声をかけていいか迷っていると、そこにモールドが帰ってきた。
「ただいま戻りました」
「ああ。どうだった、モールド。父上の容体は?」
「完全に回復されておりました。しかし、これは一時的なものかもしれないと、念のためまだ休まれております」
「ああ、それでいい。……さて、父上の呪いはちゃんと解除されたようだな。ボルケーノよ。それで? お前はこれからどうするのだ。私の目指す夢の実現に協力してくれるのか。それとも――」
そう言ってグレイフィールはボルケーノに水を向ける。
鏡の中のボルケーノはしばらく考えていたようだが、やがて覚悟を決めて口を開いた。
「僕が、死んだことは……すぐに王国内に広まるでしょう。そうなれば、遅くとも夜明けまでには開戦となります。僕の弟子たちは……このような事態になっていると、きっと誰一人知りません。僕の村の者たちもです。僕は……もともと彼らを救うために魔術師になりました。王国の宮廷魔術師にもなったのも、そのためです。ですから……ですからあなたの夢が、魔族と人間たちが仲良く暮らす世界の実現であるならば! 僕はそれに喜んで協力いたします」
「そうか。それは助かる」
「しかし……」
「ん?」
「僕のことを良く思わない者は、魔族の方の中にもいらっしゃるでしょう。もし、僕という存在がその夢に不利にはたらくようでしたら……いつでもこの命、消滅させてください。それまでは、僕の……僕なりの手助けをいたします」
「ああ。わかった。もとよりそのつもりだ」
ボルケーノの申し出に応えたグレイフィール言葉は、ひどく冷たいものだった。
しかしその冷酷さは、よりよい世界の実現には不可欠なものだっただろう。
その場にいる誰もがそのことを深く理解していた。
「そういうわけで、ボルケーノが仲間となった。以後そのつもりで皆も接しろ」
「……はい」
「わかったっス」
「わかったわ」
「かしこまりました……」
四人がなんとか納得したのを見届けると、グレイフィールは次にイエリーに向き直った。
「では、イエリー」
「は、はいっス」
「お前にはひとつ頼みたいことがあると言っていたな」
「ん? ああ……そういえばそうだったっスね。いったいなんスか?」
「決戦が始まるまでの間、一度あの道具屋に戻っていてほしい。そして、魔法の鏡たちとそこで待機していてもらいたいのだ」
「店で待機……? しかし、それはなんでまた……」
「できれば母上にも、協力を願おうと思っている。開戦後、私が交渉をするとき、最高のタイミングで登場してもらいたいのだ。そうすれば……」
「なるほど。わかったっス。なら自分は、その橋渡し役をするってことっスね。ネスさんは今、指名手配されていて人前にはあまり出られない立場っス。でも、かのお人をその気にさせれば……百人力。戦局の行方は自分次第ってことっスか」
「まあ、そういうことだ。大役だが、頼めるか? イエリー」
「了解っす」
珍しく素直に言うことをきいたイエリーに、グレイフィールは怪訝な顔をする。
「……イエリー。金の催促はせんのか?」
「へっ?」
イエリーはきょとんとする。
そして、すぐに声をたてて笑った。
「あははっ、何を言ってるんスか。魔界と人間界の和睦が成立すれば、今以上に商売がしやすくなるっス。こんなチャンス、むしろこっちが金を払ってでもやる仕事っスよ。グレイフィール様は余計な心配しないで自分を頼っててくれればいいんス」
こうして、イエリーは元聖女を戦に参加させるための橋渡し役を仰せつかったのだった。
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