第48話 戦地視察

 魔王の見舞いを終え、グレイフィールたちはもう一度、将校たちの待つ「魔王の謁見室」へと戻ってきた。

 鎧を身にまとった兵たちが一斉に出迎える。

 彼らが再び跪こうとするのを、グレイフィールは手で制した。



「よい、そのままで聞け。今、父上に、私が陣頭指揮を執ることになったとご報告してきた。さっそくだが、現在の戦場の様子を把握したい。誰か説明できるものはいるか」


「はっ」



 トカゲの魔族らしい若い将校が一人、前に出てきて進言する。



「恐れながら。まずは直接、クラ―ベ峡谷までいらしていただけませんでしょうか。ご説明するにしても、現地でのほうがわかりやすいかと……」


「わかった。たしかに実際に見た方が早いだろう。こやつらも連れていく。おい、ジーン、イエリー、お前たちも行くぞ」


「「えっ、あ、はいっ!」」



 すぐ近くで待機していた二人は、戸惑いながらも慌てて返事をする。



「鏡とともにクラーベ峡谷に転移する。よいな?」


「は、はい!」


「グレイフィール様……じ、自分もっスか?」


「そうだ、イエリー。お前には後で頼みたいことがあるからな。一応来てくれ」


「は、はい……っス」



 イエリーはしぶしぶうなづく。

 どうも、自分がそこまでついていくのは場違いとでも思っているらしかった。


 たしかに戦場で商売をする、というのはあまり現実的なことではない。やるとしても戦の前か後だ。危険極まりない場所で商人ができることなどほとんどない。

 それでも、グレイフィールは仲間の一人として連れて行こうと思っていた。



 やがて、将校を含め全員がクラーベ峡谷へと到着する。



「ここが……戦場か……」



 グレイフィールを始め、ジーンもイエリーもヴァイオレットもここへ来るのは初めてだった。


 グレイフィールは目の前の谷を見つめる。

 底なしの谷が、左右にどこまでも続いていた。そして濃い魔素がそこから湧き出してきている。



「ん? こっちの領地よりも、向こうの人間界側の領地の方が……少し高い位置にあるのか」



 谷の向こうには、こちらより高い崖がそびえ立っていた。

 そのせいで、谷から発生した魔素は土地が低い魔界側に流れ込んでいる。


 人間界側を見上げると、崖の縁に人間たちがずらりと並んでいた。

 さきほど発言したトカゲの魔族が、側にきて説明する。



「グレイフィール様。ご覧ください。ここはクラ―ベ峡谷の中でも一番幅の狭い場所です。よってお互いの攻撃が届きやすいと判断され、戦場に選ばれました」


「ふむ。具体的にはどのように攻撃し合っているのだ?」


「普段は主に監視し合うだけですが……何かのきっかけで交戦となると、敵側の魔術師がまず火炎魔法で防御壁を展開します。こちらはそれを避けたり、運よく突破したりして、相手側に魔法攻撃や物理攻撃を与えています」


「火炎魔法の防御壁、ですって……?」



 その言葉に鏡の精ヴァイオレットが強く反応した。



「そんなすごい火炎魔法を使うのは……あの宮廷魔術師ボルケーノしかいないわ」


「そうなのか」


「ええ、ボルケーノはアタシの空間転移魔法を上回る火炎魔法の使い手。アタシはあの火炎の壁に包まれて死んだのよ。何者も通さない、通るものはすべて灰に帰す恐ろしい技に……」


「いえ、それが……」



 ヴァイオレットの話を聞いていたトカゲの魔族が口をはさむ。



「ボルケーノが作り出す魔法の防御壁はたしかに強力なのですが……常にヤツが戦場にいるわけではありません。時おり弟子たちにその役目を任せて、一時離脱したりしております。弟子たちの魔法は未熟なため、我々はこの時とばかりに攻撃を強めたりするのですが……」


「最近はその弟子の頻度が多くなっている、と?」



 グレイフィールがすかさずそう指摘する。



「はい。魔王様の体調も同時期に悪くなってまいりましたので、これはいよいよヤツの寿命かと、そうわかったのです」


「なるほどな……。しかし、ボルケーノが死ねばこちらの軍ががぜん有利になる……。魔王である父上も同時期に亡くなるとはいえ、抑止力が無くなれば人間たちが我々に勝つのは困難だろう。こちらは人間界の土地になんなく入れるが、ほとんどの人間は魔界の土地を踏めぬのだからな」


「ええ、ですから人間側はボルケーノが死ぬ前に奇襲を仕掛けてくると予想されます」


「ああ、それについてもすでに調査済みだ」


「なっ……!」



 トカゲの魔族も、他の将校たちも、また魔王の側近であるモールドも、一斉に目を丸くした。

 グレイフィールは魔法の鏡を振り返って言う。



「先も言った通り、私はこの鏡で、人間界やボルケーノの動向をある程度把握することができた。ヤツの様子からして……もうあまり長くないようだった。明日にでも大決戦がはじまると思っていていいだろう。しかし、ヤツの元には……かつての勇者たちが身に着けていたという、伝説の装備品が百も持ち込まれていた。それらは魔素を取り込んで魔界の地でもなんなく過ごせることのできる魔道具だそうだ。つまり、百名もの精鋭がこちらの領土まで進出してくることになる」


「それでは……かならずしもこちらが有利であると油断してはいられませんな」


「そうだ」



 トカゲの魔族の言にうなづいたグレイフィールは、谷の向こうの崖を見上げる。



「だが、私は……たとえそのような奇襲があったとしても、まずは交渉をしたいと思っている」


「えっ?」



 誰もが口を閉ざしている中、ジーンだけが素っ頓狂な声をあげた。

 じろりとグレイフィールが視線をよこすが、ジーンは慌てて口を押さえる。



「戦争の『抑止力』がなくなる、これはある意味では好機だ。もう一度、魔族と人間が向き合うためのな……。魔族も人間も、本音ではこれ以上死者を出したくないはずだ。人間の国同士のような、どちらにも利益が生まれる交易関係を結ぶことが望ましいと思っている。まずは私がそのための説得を行う。どうか皆にはその間、防戦に徹していてもらいたい」


「ですが……」



 ざわざわとさすがに将校たちが動揺しはじめる。

 グレイフィールは努めて冷静に言った。



「――開戦までに、打てる手は私がすべて打っておく。それでも、もし当日人間側が一切聞く耳を持たなかったら、私と数人の魔族で人間の王都を制圧しに行こうと思う。武力はなるべく行使したくないのだが……被害が最小限になるよう、終戦へと持ち込むためにはその方法しかない。それは最後の手段だがな……」



 そう言って、将校たちを見回すと、皆それぞれ複雑そうな顔をしていた。

 トカゲの魔族がまた代表して一歩前に出る。



「グレイフィール様。わかりました……。たしかに我々の本音もそうです。しかし、人間たちと交易関係を結ぼうとなさっていたとは……驚きました。そうできるかどうか、いまだ信じられないところではありますが……もしそうできたら、良いことですね」


「ああ。そのために私は最大限の働きをしよう」


「はい。我々もできるだけグレイフィール様のお力になります。ですが……」



 そこまで言って、トカゲの魔族は口ごもる。

 グレイフィールは彼らの心情に思いを馳せ、薄く笑った。



「わかっている。私はあくまで、急ごしらえの総指揮官だ。皆に即、全幅の信頼を寄せられているとは、思っていない。よって……最後には皆、己の信じる道を行け。私の方法が駄目だと判断したら、己の思う、平和に至る道を……自分なりに模索してほしい。ただ、ひとつだけ言っておきたい。ここにいる者はみな、私を含め、同胞の幸福を願っているはずだ」



 グレイフィールはさらに声を大きくして言った。



「私は、半魔だ。私以外にも世界にはたくさんの半魔がいる。そして……人間の存在なくしては生きられない魔族もいる。そうした同胞をすべてひっくるめて幸せにしようとすると、純粋な魔族だけが幸せになっても意味がないのだ。私は……魔族も、人間も、半魔も、この世界にいるすべての者たちが幸福であってほしいと願っている。私がそう思っていることを、どうか、少しでも心に留めておいてほしい……」


「グレイフィール様……」



 その場にいる者たちはみな、グレイフィールの言葉に胸を打たれているようだった。

 自分たちの幸せは自分たちだけが幸せになることではない。そんなことなど思ってもみなかった、という者が大半だったようである。


 そして、ここにもう一人、今の言葉でさらに覚悟を固めた者がいた。



「冷血王子様。アタシ、みんなのために一つだけやってみたいことがあるんだけど、ちょっといいかしら~」


「鏡……?」


「ヴァイオレットさん?」


「鏡の精さん……」



 グレイフィール、ジーン、イエリーはその声に振り返って息を飲む。

 それは珍しく神妙な顔をした鏡の精、ヴァイオレットだった。



「アタシ、あのボルケーノって魔術師と一対一サシで話をしてみようかと思うの……」

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