第49話 ヴァイオレットの決意

「あの宮廷魔術師ボルケーノと話す、だと?」



 グレイフィールはそう言って眉をひそめた。

 いったいどういう風の吹き回しだと鏡の精を見つめると、ヴァイオレットはあっけらかんと答える。



「アタシも過去とちゃんと向き合っとかなきゃ、って思ったのよ。なにもいまさら殺された恨みを晴らしたいわけじゃないの。ただ……あの人が昔、なんでアタシを暗殺したのか、そしてどうしてあの王国につくことになったのか、決戦前に知っておきたくなったのよ」


「ふむ……」


「行かせてくれるかしら? 冷血王子様」



 そう言って顔色を窺うヴァイオレットに、グレイフィールは不敵な笑みを向けた。



「ふっ。いいだろう。ヤツ自身の情報を手に入れられれば、今後の戦局も有利に動かせるかもしれんしな。わかった、お前に任せる」


「本当にいいの? アタシが人間側に寝返る、ってこともあるかもしれないわよ?」



 その発言に、その場にいた者たちは騒然とする。

 まさかという疑念と懸念の目が、一斉にヴァイオレットに向けられた。

 しかし、グレイフィールだけがそれを一笑に付す。



「ふはははっ! お前にそのようなことはできん。断言してもいいぞ。なぜならお前は、私の手で作られた魔道具だからだ。万が一裏切ったとして、私は一瞬にしてお前を破壊することができる。だが……そんなことをせずとも、裏切られたりなどしないと信じている」


「……!」



 グレイフィールは恥ずかしげもなく、そう告げた。

 ヴァイオレットは存外に嬉しいことを言われたので、気まずそうに顔をそむける。

 一連の様子を見ていたジーンは、頬をふくらませてヴァイオレットに詰め寄った。



「ちょっと、ヴァイオレットさん! いつの間にそんなにグレイフィール様からの信頼を得てんですか~っ! 最初の頃はす~っごく仲悪かったのに!」


「きゅ、吸血メイドちゃん……」


「わたしだって、わたしだって……! こうやってみんなの前に出れるようになったのはジーンのおかげだ、ってとっても感謝されたんですよっ! だから、ヴァイオレットさんには負けないですっ!」


「アンタ、いったい何を張り合って――」



 そう戸惑ったヴァイオレットだったが、すぐににんまりと笑みを浮かべる。



「うふふ~。そうよそうよ~っ! アタシと冷血王子様はと~っても長い付き合いなんだからぁ~。それこそ元人間とか関係ない『絆』でつながってるのよねぇ~」


「ええっ。きっ、絆……!」


「亡くなられた王妃様にも、王子様の事よろしくねって後を頼まれてたし~? ここは従者として一番の古株のアタシが、一肌脱いであげなきゃーねっ☆」


「なっ、お、王妃様にまで……!」


「うふふっ。吸血メイドちゃん? 今と~っても悔しいわよね? でも、こればっかりはアタシの頑張りどころだからぁ~。黙って見ていて頂戴!」


「で、でも……また、ヴァイオレットさんが傷つくのは……嫌ですよ」



 自信満々なヴァイオレットに、ジーンは燃やしていた対抗心をいつの間にかひっこめる。そして心配そうに見上げた。



「ふっ。心配いらないわ。今のアタシは以前とは違って、肉体を持たない最強の空間魔法使いになってるんだから。アイツにいまさら負けたりなんかしないわ。だから安心してて」


「ヴァイオレットさん……」


「まあ、すんなり話ができるとも思ってないけどー。交渉は……あまり粘らないでおくわ。ああ、でもひとつだけ。お願い、アタシの動向はグレイフィール様だけに見ていてほしいの」


「え?」


「鏡の精さん……?」


「鏡……?」



 しおらしく頼みごとをしてきたヴァイオレットに、ジーンとイエリー、グレイフィールはそれぞれ小首をかしげる。



「それはまあ、いいっスけど……でもなんで」


「どうしてですか?」


「アタシの命を……最後まで操作できるのは冷血王子様だけだからよ。もしもアタシになにかしら不利な状況が発生したら……そのときはお願いね、グレイフィール様」


「……ああ」



 不穏な発言だったが、なんらかの覚悟を決めているらしいヴァイオレットに、グレイフィールはうなづくしかできなかった。




 ※ ※ ※ ※ ※




 クラーベ峡谷の魔界側の崖にはいくつもの天幕テントが張られている。

 その天幕のうちのひとつに、魔法の鏡とグレイフィールだけがいた。



「じゃあ、これからボルケーノの元に行ってくるわね」


「ああ」


「と、その前に……」


「なんだ?」


「元王妃様のところに一度寄ってくるわ」


「なぜだ?」


「なにかあったら……もう二度とちゃんとしたお別れができないからよ」


「なにかなど、起こる前に私がどうにかする」


「ふふっ。頼もしいわね。でも、一応行かせて頂戴。伝えたいこともあるし……」


「――わかった」



 そうして、鏡の精ヴァイオレットは人間界のハザマの街にある、道具屋アリオリに移動した。

 道具屋の店の奥、以前グレイフィールたちが通された応接間のような部屋に、鏡の状態で顕現する。



「きゃあっ!」



 その瞬間をちょうど見ていた廊下を通過中のイブは、驚きのあまり持っていた小箱を落としてしまった。

 イエリーが不在なので、納品された道具などを代わりに仕分けていたのだ。小箱を拾う間もなく、イブはヴァイオレットの鏡に釘付けになる。



「な、なにこれ……。いきなり現れたわ。おじいちゃん? おじいちゃーん! どうしましょう。今接客中みたい……。グレイ様のところの魔道具かしら。大きいわね……でも一人じゃ動かせそうにないわ。どうしましょう」



 困っていると、その鏡の表面にヴァイオレットが浮かび上がった。



「ハァイ、こんにちは~」


「えっ!?」



 ヴァイオレットがそう言ってひらひらと手を振ると、イブはさらに驚いて、床に尻もちをついてしまう。



「ひゃああっ!?」


「あらあら大丈夫~?」


「あ、あなたは一体……」


「アタシはヴァイオレット。ええと……王妃、じゃなかった、ネスさんの友人よ。彼女に会いに来たんだけど、今いるかしら?」


「え、えっと……ちょ、ちょっと待ってください! ね、ネスー!」



 ネスも接客中だったと思ったが、あまりの異常事態にイブはそんなことも忘れて呼びに行った。

 しばらくしてネスが応接間にやってくる。



「ヴァ、ヴァイオレットちゃん!?」


「お……じゃなかった、ネスさん。この間ぶりね。その後調子はどう?」


「ええ、おかげさまで。あれからずっと何の異常もないですよ。全部あなたとあの子のおかげです。今日はいったい……? あの子は? ここにはあなたひとりで来たんですか?」


「……」



 ヴァイオレットは周囲を見回して、ネス以外の人間が近くにいないことを確認した。

 そして「実は――」と大戦争がまた起ころうとしていることを伝える。



「なんですって。それは……」


「あなたのせいじゃないわ。魔王様に呪いをかけた魔術師が、寿命を迎えるからよ。そしてアタシは、戦争を阻止するために、今からその魔術師と話をしてくるつもり……。できたら魔王様の呪いを解いてほしいってね」


「あの人が……魔王が呪いで死ぬ……? そ、それより、ヴァイオレットちゃん。その魔術師ってあなたを殺した魔術師なんでしょう? そんな人と会うなんて、大丈夫なんですか?」


「……」



 ヴァイオレットは寂しげに微笑むと、鏡越しに両の掌をネスに向けた。



「大丈夫じゃ……ないかもね。だから、もしものときのためにもう一度、あなたに会いに来たの」


「ヴァイオレットちゃん……」


「二度目の人生は楽しかったわ。あなたとたくさん話せて、あなたといろんなものを見れて、幸せだった。あなたの愛しい人を救うために、あなたの愛しい子の願いのために……アタシ、一肌脱いでくるわね」


「ちょ、ちょっと待って、ヴァイオレッ――」


「さよなら。アタシのもう一人の主。元気でね」



 ネスは鏡に己の掌を当てようとしたが、触れる直前でヴァイオレットもろとも消えてしまった。

 あとには何も残らず、焦燥感だけが沸き上がる。



「無茶、しないで。ヴァイオレットちゃん……」



 ネスは真っ青な瞳を不安げに揺らめかせると、さきほどまで鏡があった場所をじっと見つめた。

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