第46話 魔王との再会
魔王に――自分の父親に直接会うのは、およそ七十年ぶりとなる。
グレイフィールは、そんな相手にいまさら何を話すべきか、と思いながら彼の寝室へと向かっていた。
隣には心から嬉しそうにしているジーンがいる。
ちらと見ると、こちらを向く熱い視線とぶつかった。
「な、なんだ?」
「えへへへ……グレイフィール様~。わたしさっき、すーっごく感動しましたよ~!」
「感動……? 何をだ」
「グレイフィール様が外に出てこられるようになったのはわたしのおかげだって、おっしゃってくださったことです~!」
「ああ……」
そのことか、とグレイフィールは前髪を軽くかき上げながら思う。
ジーンは笑顔のまま続けた。
「それから、皆さんの前に本当に出てきてくださったことです! まさかあの広間に直接来ていただけるなんて思ってもみませんでしたから、驚きました~」
「話が嘘ではないとわかったからな。だとすれば、本当の緊急事態だろう。出ていかざるを得ないと判断した」
「それでも!」
ぐいっと、ジーンは一歩近づいてきて言う。
「魔王様の代役として、名乗りを上げてくださったのが本当に嬉しかったです! ああ、これでますます次の魔王様として申し分なくなってきました~! くぅ~っ!」
ジーンは、うきうきという擬音が聞こえてきそうなほど喜んでいた。
その様子にグレイフィールは深いため息をつく。
「はあ……別に、いまでも魔王を継ぐ気にはなっていないぞ。とりあえず、代役をひきうけただけだ。まったく……お前も少し褒められただけで調子に乗るな」
「ふふふ。はーい! でも本当に、グレイフィール様ってお優しいですよね~」
「は? 優しい?」
自分への聞き慣れない言葉に、耳を疑う。
鏡の精ヴァイオレットには、常に「冷血王子様」と称されている。ジーンにさえ、最初のころは「冷血漢」とののしられていた。グレイフィール自身だって、己の性格についてはよく理解しているつもりだ。
それなのに、ジーンは迷うことなくもう一度言った。
「ええ。グレイフィール様は仲間思いの、お優し~い、素晴らし~い方ですよ。本当は嫌なのに、皆さんが困ってらっしゃるのを見て、出てきてくださったんですから。まさに上に立たれるべきお方!」
「それは……だから……お前が……」
ジーンが最初に、自分の本当の望みに気づかせてくれたから。
ジーンが鏡の精に、もう一度会わせてくれたから。
ジーンがもう一度、ワーウルフの商人を呼び寄せようと提案してくれたから。
今があるのだ。
ジーンがいなければ、あの物見の塔から出ることも、また誰かのために何かをしようと思うこともずっとなかっただろう。
冷血なままだった自分が、優しいと言われるほど変われたのは、全部、このメイドのおかげだった。
「ふふっ。わたし冷酷なグレイフィール様もかっこよくて好きですけど、こういう思いやりのあるグレイフィール様も大好きですよ! 両方、いい面ありますよね~!」
「……」
満面の笑みでそう言われ、グレイフィールは思わず顔が熱くなる。
両方の面、というのはやはり自分が「魔族」と「人間」の間に産まれた「半魔」だからだろうか。
だから両極端な性格が出てしまっているのだろうか……。
そのとき、ごほんと咳払いの音が廊下に響いた。
見ると、それは二人の少し前を歩いていた執事長モールドのものだった。
「ジーン・カレル。グレイフィール様に対して、なんという態度ですか。少々無礼が過ぎるのではありませんか?」
「も、モールドさん!」
ジーンはあわてて居住まいを正す。
「あなたは一介のメイド。グレイフィール様は魔王様のご子息です。身分の違いをわきまえなさい。なんですか。人前で『大好き』などと言ってのけるとは」
「す、すみません……。だって、本当に、好きなんですもん……」
「だとしても、そういったことを公言するものではありません。グレイフィール様も困ってらっしゃるではないですか」
「……」
事実、グレイフィールは困り果てていた。
今のジーンの「大好き」は破壊力が強かった。内心嬉しくないわけではなかったが、でもやはり吸血鬼の食料としての「好き」だったんじゃないかとも思いはじめて、複雑な思いを抱えてしまう。
グレイフィールは何も言えずに黙り込むしかなかった。
「とにかく、あなたはただのメイドです。分を超えた言動は慎むように。あと、隣を歩かない!」
「……はぁい」
みるみる肩を落とし、ジーンはグレイフィールの一歩後ろに下がる。
グレイフィールはなにか声をかけてやりたいと思ったが、モールドの前では結局面倒くさいことになる気がして、何もしないでいることにした。
やがて、魔王の寝室にやってきた。
自分の代わりに、執事のモールドが戸を叩く。
「魔王様、魔王様。お休みのところ恐縮です。ご子息様が面会に参られました」
「……入れ」
小さく、しかし低く威厳のある声が、聞こえてきた。
グレイフィールはモールドが開けた扉から中に入る。
「父上……」
「来たか、我が息子よ」
部屋の中央には大きく黒い寝台が置かれており、その上に横たわる魔王は漆黒の寝具にくるまれていた。
こちらを見る朱色の二つの瞳は、衰弱しているさなかでも鋭い輝きを放っている。
「知らせは……行ったようだな」
そう言いながら起き上がろうとする魔王を、モールドがすかさず支え、枕を背もたれとして置き直す。
あまりの悪化ぶりにグレイフィールは息をのんだ。
これが、かつて莫大な力を手にし、自分を圧倒しきっていたあの父親だったろうかと。
グレイフィールが内心動揺していると、魔王ゼロサム・アンダーは重々しく口を開いた。
「それで? 七十年ぶりに……ワシに会いに来て言うことはなんだ?」
その視線は、グレイフィールの真意を知りたいという思いであふれていた。
グレイフィールは寝台に近寄り、魔王の横顔を見つめる。
「父上。私は……あの塔にひきこもりつづけていたことを、申し訳ないとは思っておりますが……後悔はしていません。あのとき自分の唯一できる抵抗が、それだったからです。しかし、今の私はこうして、違う道を歩もうとしています」
「そのようだな。して、ようやくワシの後を継ぐ気になったか」
「いえ。七十年前にも申し上げましたが……人類を滅ぼすため、魔王の座を私が引き継ぐことはいたしません」
「ではなぜ、ここへきた」
「私の思いをもう一度、直にお伝えするためです」
「なに……?」
不可解だという表情を浮かべる魔王に、グレイフィールははっきりと口にする。
「私は……魔王である父上と、聖女という人間である母上の子。つまりは半魔です。ゆえに私は……昔から両種族の和睦を望んでいました。それは父上と母上が仲睦まじくしているのを素晴らしいと思っていたからです」
「……」
魔王は、かつて愛した一人の女性を思い出しているようだった。
グレイフィールは続ける。
「両種族の仲が良ければ、またあのときの光景を見ることができる。でも、そうでなくなったら……もう二度とあのような光景には出会えないのです。魔族も人間も、ああなる未来があったのに……それを復讐心だけで破壊するのは……私には耐えられなかった」
「グレイフィール……お前は、我々魔族がどれほど虐げられていたか知らぬから、そのようなことが言えるのだ」
「いえ。私はひきこもっている間、魔族の歴史、およびこの世界の成り立ちが書かれている古書をすべて読みました。それによれば――」
大昔、この世界はかつてひとつのまっさらな大陸だった。
そこには様々な生物が繁殖したが、知能の優れた生物は「人間」という一種類しか存在していなかった。
だが、あるとき大陸を両断する深い亀裂が出現した。
その亀裂からは瘴気があふれ出し、大陸の全土は濃い「魔素」で覆われてしまった。すべての生物は「魔素」で生きる「魔物」と「魔族」に変わり果て、作物もまともに育たなくなってしまった。
それを悲しんだ女神は、世界に「聖女」をもたらした。
聖女は周りの魔素を吸収し、大地を、人を、浄化した。しかし、聖女が出現する地域はなぜか大陸の東側だけだった。
浄化しきれない者は「不浄」と称され、浄化しきれない西の土地に追いやられることとなった。
以来、亀裂の西側は魔界、亀裂の東側は人間界となった――。
「不浄と称されたのは……寿命の差や、魔素を含んだ食物しか摂取できなかったからでしょう。ですが、そんな価値観で差別されていたのは大昔のことです。今は、それぞれの種族の特性を有効活用しあえる道があります。私は……父上に隠れて、その道を見つけだしてきました」
「そうか……それがなんだかはわからぬが……しかし、もうすぐ全面戦争が起ころうとしているのだぞ。お前は、それでも両種族の和睦を実現しようというのか?」
「はい。それでも良いかと将校たちに尋ねましたら、了承してもらえました」
「フッ、フハハハハ! それは真か。モールドよ」
「はい」
そばに控えていたモールドが答える。
「この戦を終わらせ、人間との真の和睦を実現させると。魔界に平和をもたらすと。そうお誓いになられて、軍を率いられることになりました」
「フッ。いままでひきこもっていた小僧がか」
「はい。ご自分でも未熟な面はご理解されているご様子でしたが……それでも、将校たちはそれを受け入れました」
「ほう?」
そこが、グレイフィールも意外に思ったことだった。
魔王の息子であるとはいえ、なぜこんな頼りない者に全権をゆだねようと思ったのか。
「私が思いますに……グレイフィール様がいらっしゃる前、謁見室では緊急で将校会議が開かれておりました。そこでは若い将校を中心として『早く戦を終わらせたい』という意見が多く出ていました。その気運に合ったことが大きかったのでは、と」
「ふむ。なるほど」
「また、グレイフィール様は魔術的に転移が封じられている魔王城内であるにもかかわらず、転移で現れました。その能力にひれ伏したのもあったのではないかと」
「転移だと?」
「はい。謁見室に鏡のようなものが現れ、そこからグレイフィール様が現れました」
「それは、どういうことだ……グレイフィール」
魔王にうながされ、グレイフィールは虚空に向かって呼びかける。
「鏡、父上の前に姿を見せろ」
「ええっ! そ、そんなっ! 恐れ多くてムリムリ、ムリよ~~~~ッ!」
「いいから出てこい。その『別の道』や『転移』の具体例として示さねばならん」
虚空から聞こえてくる声は、鏡の精ヴァイオレットのものだった。
妙な声と話し方に、魔王もモールドも眉根を寄せる。
ジーンはしびれを切らして大声をあげた。
「ヴァイオレットさん! 今はそんなこと言ってる場合じゃないんです! いいから早く、出てきてくださーーい!!」
「ああっ、もうっ! アタシどうなっても知らないからねーっ!」
そうして、魔王の寝室に大きな黒い木枠の鏡が出現した。
鏡の中には、紫の長髪をたなびかせた男が映る。
「は、ハァイ……お初にお目にかかります、魔王様。あとモールドさん? アタシは王妃様の元話し相手であり、魔法の鏡の精、ヴァイオレット・メイザー……ですわ。い、以後お見知りおきを……」
緊張しすぎてひきつった表情を浮かべるヴァイオレットに、しばしその場は無音となったのだった。
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