第35話 ジーンの生まれたところ

 グレイフィールが『防犯機能付き宝飾品』の追加納品をしてから、数日後のこと。


 魔王城の離れの塔では、メイドのジーンがいつものように軽やかに鼻歌を歌いながら、本棚をハタキではたいていた。



「ふんふふーん♪」


「おい、ジーン。何もしなくてよいと言っただろう」



 グレイフィールも、いつものように執務机の奥からやや不機嫌気味にそう言う。


 ハッとして振り返るジーン。


 だが、ジーンが何かしようとする前に、グレイフィールはスッと本棚の方へ右の人差し指を向けた。


 すると見る間に、残りの埃が本棚の中へと吸い込まれていってしまう。ジーンは「ああっ!」と叫び、残念そうにハタキを握りしめた。



「部屋の汚れが気になった時には、私がこうして自ら処理をする。ゆえにお前は『これ』だけやっていればよい」



 そう言って、グレイフィールは手元の空になったティーカップを持ち上げてみせた。

 ジーンはふくれっ面になりながら、ティーセットを回収すべく執務机の方にやってくる。



「むううっ! でも、それだけじゃ他にやることなくなっちゃうんですもん! だからこうして他に掃除もしてるのに! グレイフィール様、そもそもその魔草茶だってそんなに飲まれないじゃないですか」



 指摘を受けて、グレイフィールは静かに片眉を吊り上げてみせた。



「そうだが。そもそも私は飲食をほぼ必要としない。それもお前は承知していると思っていたが?」


「そ、そーですけど! でも、ホントにやることなくなっちゃうんですよう! もう、ヒマ過ぎてヒマ過ぎて……あとはこの部屋の隅にでも立ってろ、ってことですか?」


「まあ、そうだとしても、わざわざこの部屋で立ってなくてもいいんだがな。どこか別の場所でやっててくれると、助かる」


「あっ、ひどい! ていうか、それじゃ『貴方様のお目付け役』というこの職務も放棄することになっちゃうじゃないですか! そ、それだけはできませんよ!」


「じゃあ……もう好きにしていろ」


「はーい」



 そうして、またいつものようにグレイフィールが折れて、ジーンが好きにふるまうのだった。

 魔草茶が淹れ直され、またしばらくすると、手持無沙汰になったジーンが動き回りはじめる。

 ハタキの音と、グレイフィールが読む本の頁がめくられる音だけがしばらく続いた。



「あのう、グレイフィール様?」


「なんだ」



 急に話しかけられて、グレイフィールは苛立たしげにまた顔を上げた。



「うるさくしたらいつでもお前を槍で吹っ飛ばすと言ったが、そうされたいのか?」


「あ、いえ……。というか、はい。それはいつでもやってくださって構わないんですが……その……」


「それは構わんのか」


「『転生』って……不思議、でしたよねえ。わたし初めて転生した人間を見ました」


「は? 何、転生?」



 どうやらジーンは、この間砂金のとれる川で起きたことを話しているらしかった。


 その川に棲んでいたウンディーネ。そしてそのウンディーネの想い人が、川のすぐ側の村で転生していたのだ。



「わたし、ビックリしました。記憶は無くなっても、転生前と同じような気持ちになったりするんですね、人間は」


「……そのようだな」



 グレイフィールもその件を思い出し、やや感慨深げに同意する。



「我ら魔族は長命故、そのようなことは通常起こりえないが……短命の人間はあのように、魂が一定の期間を経て流転するようになっているのだろうな。興味深い現象だ」


「あのう、グレイフィール様」


「なんだ」



 右肩の上あたりに魔槍を生み出しながら、グレイフィールはジーンに返事をした。


 まだしゃべるのか、という暗黙の牽制にも動じず、ジーンは続ける。



「わたしたちって……どうやって生まれてくるんでしょうか。わたし、生まれてきたときのことあんまり覚えてなくて。気が付いたら魔界の真ん中の荒れ野に立っていたんです」


「ほう」



 グレイフィールは投げつけようと思っていた魔槍を消し、ジーンの話に耳を傾けることとした。



「続けろ」


「はい。で、周りに誰もいないから、しばらく歩いて……でも誰もいなくて……それでも歩いて……だんだんお腹が空いてきたから食べたい食べたい、ってなって……で、食べ物がありそうなところを頭に思い浮かべたら、初めて転移できたんです。人間界に」


「それで?」


「はい。それで、人間を襲……」



 一瞬、ちらとジーンはグレイフィールの顔色をうかがった。


 それは人間を愛するグレイフィールをおもんぱかった行動だったが、すぐにそれは必要なかったと知る。グレイフィールの顔色はとくに変わりがなかったからだ。



「お……襲って。血を吸って。それで言葉とか、世界のいろいろを知って。あ、えっと、血を飲んだら飲んだ人間の記憶がとりこめるんですけど。で、それから気が向くままに人間を……襲いつづけて。で気が付いたらけっこうな年数が経ってました」


「そうか」



 ジーンは普通の吸血鬼とは違う。


 不死性が異常に高い吸血鬼だ。その原因はおそらく、生まれた土地によるところが大きい、とグレイフィールはふんでいた。



「やはり、魔素が濃い土地で生まれたようだな」


「魔素」


「ああ。我々魔族は魔素が溜まる場所に『発生』する。この魔界はもともと魔素の濃い土地だ。そしてそれがさらに多く溜まる場所がある。その一つがその魔界の中心の『荒れ野』だ。魔族は死ぬとその身に留めていた魔素が分散し、それぞれ溜まりやすい場所へと流されていく。お前は、吸血鬼としての魔素が異常に濃く溜まる地域で発生したようだな」


「えっ、そ、そうだったんですか! あ、あれ? でもグレイフィール様は……」



 グレイフィールは自分のことに急に話が移ると、ぱっと目をそらした。



「私は……魔族の王である父と、人間の母から生まれた。種族が違う者同士の場合は、魔族側の魔力で受胎させるらしい。母は私を身ごもり、私は母の腹から産まれてきた」


「そう、なんですよね。そのことは……執事長から聞きました」


「そうか……」


「ってことは、種族が違う魔族同士が愛し合った場合も、どちらかの魔力をもって受胎させるってことですか?」


「そうだな。たとえば私という半魔と、お前という吸血鬼の場合――」



 そこまで言ってしまって、はたとグレイフィールは我に返った。


 見るとジーンが顔を真っ赤にしている。



「あわ、わわ……わたしと……? ぐ、グレイフィール様が、ですか?」


「あっ、いや、その……も、物の例えだ、例え! 深い意味はない」



 あわてて否定するが、グレイフィールもまた顔を熱くさせ、紅潮している。



「そ、そんな……。その場合は……ど、どうなるんですか? グレイフィール様の魔力で、わたしのお腹に……その、赤ちゃんが?」


「あ、いや、だから……違う! そういうわけでは……!」


「アラアラアラ~?」



 どこからともなくねっとりとした声が聞こえ、部屋の隅に立てかけられていた鏡に紫色の髪をゆらめかせた男が現れる。


 鏡の精、ヴァイオレットだった。



「まあーっ、いやだ。セクハラよ、セクハラッ! 吸血メイドちゃんになんってはしたない妄想を聞かせるのかしら? このむっつり王子様は」


「だ、誰が……」


「むっつりじゃないなら、なんだっていうの~。いっつも吸血メイドちゃんが近づくたびにドキドキしてるくせに~」


「貴様……」



 たちどころに、グレイフィールの周囲に黒々とした魔槍が幾本も出現する。


 それらは紫電をほとばしらせながら、切っ先をヴァイオレットのいる大鏡へと向けていた。



「いやああっ! 乱暴はやめて、乱暴はっ! 吸血メイドちゃんもなんとか言ってえええ!」


「グレイフィール様。攻撃なさるなら、わたしだけにしてください。わたしだけに」


「まあっ、なんて良い子なの! アタシのために身を挺してかばってくれるなんて。良い子……あ、いえ、そうじゃないわ。この子……冷血王子様の攻撃を独り占めしたいだけだわ! やーん。ヤキモチ? 健気~~~!」


「ヤキモチ? 健気? よく、わからないんですが……」


 白髪の吸血鬼メイドは、そう言って困惑の表情を浮かべる。

 グレイフィールは大きなため息をつきながらもう一度空のカップを指し示した。


「そいつはもういいから、またお代わりを持ってきてくれないか。ジーン」


「あっ、はい!」



 満面の笑みを向け、ジーンはティーカップセットを受け取ろうと近寄ってくる。


 その表情に一瞬だけ見惚れてしまったグレイフィールだったが、ジーンが最後にこぼした一言に固まってしまった。



「でも、わたしとグレイフィール様の子どもって、いったいどんな子なのかちょっと見てみたい気がしますよね。えへへっ!」 

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