第36話 それぞれの転生
ジーンの先ほどの発言にしばし放心していたグレイフィールだったが、いつのまにか階下からジーンが戻ってくるとハッと我に返った。
ジーンはいつも通りの笑みを浮かべている。
「はい、お待たせしました~!」
鈴の鳴るような軽やかな声とともに、あたたかなお茶が机の上に置かれた。
ジーンの紅い瞳に見つめられ、グレイフィールは照れ隠しするように咳払いをする。
「ごほん。ご、ご苦労……」
さっそく魔力のこもった魔草茶をいただく。
琥珀色の液体を一口飲むと、すみやかに体に沁み渡っていった。小さなため息とともにカップを置くと、目の前の白髪の少女は満足そうな笑みを浮かべる。
「ふふっ。グレイフィール様。今日はよく飲まれますね~?」
「……何を。それは、こうでもしないとお前が余計なことをしはじめるからだろう。大人しくそこに立ち尽くしていろ。そうすれば、私もこれ以上無駄に飲まなくて済む」
「あ、それは申し訳ございませんでした。じゃあおっしゃる通りにしています」
すぐに二、三歩下がったかと思うと、ジーンは執務机のすぐそばで直立不動となった。
グレイフィールはジーンの動きをしばし警戒していたが、さして変化がないとみると安心して書物をまた開いた。
これでようやくゆっくりと読める……。
そう思ったのもつかの間、
「あ、そうだ! 転生と言えば、ヴァイオレットさんって元は人間だったんですよね~?」
「なっ!」
グレイフィールはしゃべりだしたジーンにすぐさま一喝した。
「おい! ジーン!」
「はい、なんでしょうか? グレイフィール様」
「なんでしょうか、ではない。うるさくするなと言ったはずだが」
「ああ……グレイフィール様ではなく、ヴァイオレットさんに話しかけるならアリだと思ったんです。だって、すっご~くヒマなんですもん!」
「……」
はあ、と大きくため息を吐きながら、グレイフィールは額を押さえた。
「いいか、話をするなら二人とも別の部屋でやっ――」
「そう。そうなのよ~! なあに吸血メイドちゃん、アタシの前世に興味があるの?」
よそでやってくれ、と言う前に、ヴァイオレットが嬉々として返事をしてしまった。
グレイフィールはいよいよ頭を痛める。
「おい、お前たち……」
制止しようとするも、二人はきゃあきゃあと盛り上がりはじめた。
「ええ。それはもう、ぜひお聞きしたいです! ヴァオレットさんが人間だったころのこと! ……亡くなられたのって、たしかかなり前ですよね? だいたいいつごろなんですか? グレイフィール様の鏡として転生されたのって……」
「そうねえ。前にも言ったけれど、この間行った川にまだ大粒の砂金がざっくざくあった頃よ~。王妃さまもまだご存命だった頃、だから……かれこれ七十年以上は前かしら」
「ええ~っ、そんなに前なんですか!?」
「そうよ。あの頃は冷血王子様もまだこぉんなに小っちゃくてね、それはそれは可愛らしい少年だったの!」
「ええ~っ、見たかったです~! そんな小っちゃくて可愛いグレイフィール様!」
親指と人差し指で当時の大きさを教えてみせるヴァイオレットだったが、グレイフィールはそのあまりの小ささに白い目を向けた。
「いや、さすがにそんな小豆ほどではないだろう……」
グレイフィールは瞑目し、本気でどうすべきか考えた。
このまま、また魔槍で強引に追いだすべきか。それとも自分が耳栓するだけですましておくべきか。いや、いま近くにそのようなものはない。では、どうするか……。
腕組みして考えていると、ジーンがぽんと手を打った。
「なるほど~。では、ヴァイオレットさんが鏡の精になる前……人間だったころはどんな方だったんですか? どの辺に住まわれていたとか、何をされていたとか。良かったらお聞かせ願えませんか」
「うーん、人間として生きてたころ、ねえ……」
大鏡の中の紫髪の男は、そう言いながら口元だけで笑う。
「人間界で一番大きな国に住んでいたわね。そして一応、そこの宮廷魔術師だったわ」
「えっ、宮廷魔術師!?」
「……」
ヴァイオレットが過去に何をしていたのか。
実はグレイフィールも、その件についてはよくは把握していなかった。
自分の母親とはお互いに昔の話をしていたようだが、その詳細はグレイフィールにまでは届いていない。
宮廷魔術師と言えば、国にとって、軍事力の要といってもいい貴重な存在だ。
まさか鏡の精にそんな過去があったとは。
「なるほど……それは流石というべきだな」
「え? グレイフィール様?」
「……!」
ぽつりとこぼした一言に、吸血メイドのジーンと鏡の精ヴァイオレットが振り返る。
グレイフィールはうっすらと笑みを浮かべていた。
「たしかに、お前の魔法レベルは当時から常軌を逸していた。人という肉体を捨て、魔法の鏡に転生したことでさらにその腕は上がったようだがな。だが、そもそも宮廷魔術師レベルだったとは。ふははっ! 私は本当にいい拾い物をしたようだ」
「あらやだ。そのお宝を長年倉庫に眠らせていたのは誰? ……まあ、いいけれど。それより珍しいこともあるもんねぇ。冷血王子様なのに、珍しくアタシを褒めてるわ~!」
「私は事実を言ったまでだ」
そう言ってふんとそっぽを向くグレイフィールに、メイドのジーンは優しい微笑みを向けた。
そしてまたヴァイオレットに話の続きを求める。
「それでそれで? そこではどういう生活をしていたんですか、ヴァイオレットさん!」
「ええ。まあ、そんなわけで……宮廷魔術師としてのアタシは悠々自適な生活を送っていたわ~、王様からの信頼も厚くてね。戦にもバリバリ出てたし、お城中の人たちの健康面も支えていたのよ。でも……」
そこまで言って、急にヴァイオレットの声と表情が暗くなる。
「当時もこんなナリをしていたからかしらね、良く思わない連中もたくさんいたの。そういう人たちに……アタシは国から排除されることになったわ……そして、さらに暗殺まで企てられてしまったの」
「え? あ、暗殺?」
「そう。暗殺」
「……」
ジーンは言葉をうまく発せずに黙り込んでしまった。
ジーンはいつも人間を殺す側だった。だから、その人間に殺されるという状況はよく理解できない。
しかもヴァイオレットは自分から見てもものすごい魔法の使い手だ。己だけでなく、他者や無機物まで転移させられるのは自分には無い能力だった。そんなすごい魔法使いが暗殺されてしまうなんて、いったいどんな状況だったのか……。
ジーンはごくりとつばを飲みこみ、ヴァイオレットを見つめた。
「簡単な話よ。アタシよりも強い魔法使いがいたってだけ。でも、その実行犯にもなにか事情があったみたいでね。だから別に恨んじゃいないわ。ただ、悲しいって思うだけ」
「ヴァイオレットさん……」
「王子様の母君である王妃様も、たぶんアタシと同じ思いだったわ……。人間たちにひどい扱いを受けたけれど、ある意味仕方なかったって思おうとしてたの。でも、彼女の場合は……それでも人間を憎もうとしていたけれどね。愛する魔王様のために……」
「母上が……父上のために……」
ヴァイオレットの視線が、そうつぶやいたグレイフィールへと向けられる。
姿かたちは魔王の若い頃にそっくりだったが、どことなく王妃の印象も引き継いでいた。
その見た目に、ヴァイオレットは亡き王妃セレスを重ねる。
「ああ、そうだわ。転生と言えば……王妃様は人間だったから、もしかしたらもう次の人生を謳歌してるかもね!」
「は?」
「え? だって、だいたい半世紀も経てば人間は次の人間に転生するでしょ? なんか怖くてアタシから探したことはなかったけど……」
「ええええっ!?」
「……」
ジーンは話の意外な転がり方に思わず奇声をあげた。
衝撃を受けたのはジーンだけではない。グレイフィールもまた同様だった。完全に失念していた。たしかにもう母親が死んでから半世紀以上が経過している。ヴァイオレットの言う通り、すでに転生をしている可能性は十分に高かった。
「グレイフィール様。じゃあ王妃様は、すでに……?」
「かも、しれんな。だが、鏡の言う通り、たしかにこちらから探すというのはなかなかに恐ろしい気はする。まず前世の記憶などは残っていないだろう。魂は同じでも、すでに別の人格が形成されているはずだからな。見つけたとて、なんら利点はないだろう」
「そ、そうですか……」
でも、ちょっとは気になりますよね、と小さな声でジーンは続けた。
それは先ほど、グレイフィールとのあいだにもし子どもができたら、という妄想を口にしたときと似ていて。グレイフィールは思わずドキリとした。
「……っ。とにかく、この話はもう終いだ。お前たち、もういい加減口を開くな」
「はい」
「は~い!」
二人の返事がした瞬間、魔法の鏡の向こうから、大きな呼び声が聞こえてきた。
「グレイフィール様、グレイフィール様! ちょっといいっスか? 新しい商売の話があるんスけど~!」
グレイフィールたちはそろって顔を見合わせた。
それはワーウルフの商人、イエリーの聞き慣れた声だった。グレイフィールが目で合図すると、鏡の精ヴァイオレットはすぐにイエリーをこちら側へと転移させる。
「よっと。どうも、お招きいただきありがとうございますっス! この商人、イエリー・エリエ、今日はとびきりの企画をもってきたっスよ!」
そう言って魔法の鏡を抜け出てくると、茶色の髪のワーウルフはかぶっていた帽子を胸に抱き、深々と腰を折った。
「企画、だと?」
グレイフィールの片眉がぴくりと動く。
ようやく顔を上げたイエリーは、細い目をさらに細くしてにこりと笑ってみせた。
「そうっス。実はいま、人間界のとある街で奇妙な病気が流行ってるんスよ」
「病気?」
「眠り病って呼ばれてるらしいんスけど……でも原因はいまだ不明なんス」
「それがどうした」
「実は、グレイフィール様にその病気に効く薬を作ってもらえないかと思いましてね。グレイフィール様ならきっと、その病気の原因をパパパーッと突き止められると思うんスよ。そうしたら、その病気の治療薬を……ぐふふふ」
「ふむ。なるほどな」
グレイフィールは顎に手をやると、しばらく考えるフリをしてみせた。
まだ話に乗ると決めたわけではない。イエリーにはまだ「隠している情報」がありそうだ。
「お前というやつは、本当にそういう頭だけは良く回るな。だが、悪くない話だ。儲けられるかはさておき、その街の人間たちの人望を集めることぐらいはできるだろう」
「な、なら!」
「で? その街は、いったい『なんという名前の』街なんだ」
「それは……。ホーリーメイデン、聖女が生まれると言われてる街、っス」
その名を聞いて、グレイフィールは亡き母のことをまた思いだした。
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