第23話 変装して行こう

「ええっ? に、人間界に行くんですか? これから!?」



 イエリーからの依頼があったことをグレイフィールから説明されたジーンは、目を丸くした。

 そして同時によだれをだらだらとこぼしはじめる。



「に、人間……」


「話を……聞いていたか? 食事に行くわけではないぞ」


「わ、わかってます。でも……じゅるり……」


「ジーン」


「す、すいません。も、もう大丈夫です!」



 グレイフィールの真剣な瞳に、ジーンは両手で口を押さえた。

 どうにか吸血衝動を抑え、冷静になったことを態度で示す。


 するとグレイフィールは肩をすくめて言った。



「まあ、少しだけ我慢をしていろ。それが出来たら――」


「出来たら、またご褒美にグレイフィール様の血をいただけますか!?」


「ああ。検討しておく」


「やったー! てか……え? そういえばわたしも連れていってくださる……んですか? いいんですか?」


「私を側で見守ると言ったのは誰だ。別についてきたくないならここに残っていてもいいが」


「え、いやっ、行きます! 行かせてください!」


「そうか。というわけで、こいつも連れて行くことになる。いいな、イエリー」



 グレイフィールがそう言って振り返ると、イエリーは複雑な表情を浮かべていた。 



「えー。なんか……すっごい不安なんスけど。てか、そこのメイドさん、ほんとに大丈夫なんスか? 見たとこ吸血鬼……みたいっスけど。突然人間に襲いかかったりとか、ないっスよね? イブはその……自分の、大事な人なんで。そういう危険があるかもしれないって思ったら……うーん」


「うわ~~~! 大事な人? ですって~~~! やっぱその子は恋人なのね~、そっかそっか~」



 イエリーの「大事な人」発言に、鏡の精ヴァイオレットは興奮して身を乗り出す。



「え、恋人!? あ、や、その……まあ……そうっス、ね……」


「いや~~~! もうアンタも隅におけないわ~! 半獣人と人間のラブなんて……はあ、もう、尊い!!」


「あ、は……アハハ……」



 急にテンションが上がったヴァイオレットに、イエリーは苦笑いをする。



「イエリー、たしかにジーンは吸血鬼だが……むやみやたらと周囲に危害を加えることのないよう、私が釘を刺してある。人間界に行ったら、さらに私が注意深く監視しておこう。お前にはそれを信用してもらう他ないが……」


「はあ、グレイフィール様がそこまでおっしゃるなら……まあ、いいっスけど……」



 グレイフィールの言葉にイエリーはしぶしぶ納得する。


 その様子を見守っていたジーンは、思い出したように言った。



「あ! で、どうやって行くんですか? グレイフィール様」


「何?」


「だから、どうやって人間界に行くつもりですか? ヴァイオレットさんにお願いするとしても……問題はその後です。わたしたちは魔族ですけど、この姿のまま行くんですか? というか……そのイブさんとやらはわたしたちが魔族ってご存知なんでしょうか。それがわからないと、下手したら驚かせてしまいませんか?」


「たしかにそうだな。そこのところはどうなんだ、イエリー」



 イエリーは、しばらく考えてから答える。



「そうっスね……イブにはまだグレイフィール様たちが魔族だってことは伏せてるっス。そういえばどうやって会えばいいっスかね? グレイフィール様たちのご希望があれば、よかったら聞かせてほしいっス」


「そうだな……できたらこのままの姿で面会したいが……お前のようなほぼ人間に近い半獣人ならともかく、私は見た目がかなり魔族寄りだからな。そうなると……よし、変装していくか」


「変装、ですか? グレイフィール様」


「ああ」


「というと、このあいだの……」


「そうだ。この<変装の首輪>を使う。そうすれば我々が魔族だということには気づかれないはずだ」



 そう言うと、グレイフィールは書斎机の上に置いていた金の首輪を手に取ってみせた。


 イエリーは目を丸くしてそれを見る。



「へ、変装の首輪? そ、それは……どういうものなんスか!?」


「このように……はめると、持ち主の望む姿に変装できるものだ」



 グレイフィールは実際に首につけて実演してみせた。


 みるみるうちに頭の巻角が消え、顔つきが少し老けていく。



「はーっ! す、すごいっスね! あの、ちなみにそれを売る気とかって……?」


「ない。これは他者の手に渡らせるには少々危険すぎる代物だ。大量生産する予定もない」


「はあ……そ、そっスか……」



 あからさまに肩を落とすイエリーに、グレイフィールは真顔で謝った。



「すまんな、イエリー」


「い、いえ、いいんス。とりあえず……すぐに来てもらえる感じっスかね?」


「ああ」


「じゃあ、準備がよろしければ、そろそろ行きましょう」



 イエリーとグレイフィールが顔を見合わせていると、そこに心底嬉しそうなジーンが近付いてきた。



「グレイフィール様! 二回目の『お出かけ』ですね! しかも今度は人間界へ。ふふ、これでまた一歩――」


「ジーン。何度も言うが、これも別に魔王になるための一歩、などではないぞ?」



 きっぱりとグレイフィールは否定してみせる。


 ぎくっとするジーン。だがすぐに蠱惑的に笑った。



「んふふ、別にグレイフィール様がどう思われていたっていいです。でもわたしは……あなた様が魔王になるまで、ずーっと見守り続けていくだけですから! えへへ!」


「フン……」



 相変わらずな方針のジーンに、グレイフィールはやれやれという表情を浮かべる。

 そして、もう一つの首輪をジーンに手渡した。


 すぐにそれを装着し、子どもらしい見た目から大人の女性の姿へと変身するジーン。


 それを見届けると、グレイフィールは<魔法のトランク>を持ってすっと鏡の前に立った。



「では、ヴァイオレット――」


「はいはい、了解~~~! えっと行き先は……イエリー、アンタを拾った街でいいのかしら?」


「その通りっス。あそこは人間界でも魔界に一番近いハザマの街。とりあえず、そこに戻してくださいっス」


「わかったわ。ええと……えっと、ここね! じゃあ、みんな行ってらっしゃ~~~い!」



 鏡の表面がゆらぎ、徐々にどこかの路地裏が映りはじめる。


 グレイフィール、イエリー、ジーンの三名は鏡をくぐって、人間界へと向かったのだった。




 ※ ※ ※ ※ ※




「はー、着いた、人間界……。久しぶりに来たけど、ヤバい! どっからも美味しい匂いがするぅ~~~!」



 到着して一番最初に口を開いたのは、よだれをだらだらと垂らしたジーンだった。



「おい、ジーン。以前にも……人間界に来たことがあるのか?」



 初めてやってきたグレイフィールとは対照的である。


 ジーンは懐かしむような目で周囲を見回すと言った。



「はい。昔は何度か食事をしに……来てました。でも、ここ最近は来れてなかったですね。ああ! ほんと……やっぱりいい、この香り……じゅるり!」


「おい、いい加減よだれをしまえ」



 人通りの少ない道だとはいえ、いい年をした女性がみさかいもなくよだれを垂らしているという状況は異常だ。


 現にそばで見ているイエリーはドン引きしていた。



「おい、ジーン。我慢すると言っただろう?」


「で、でも……この匂い! ああ、グレイフィール様。はやく、はやくご褒美を……! じゃないとおかしくなっちゃう……」


「それは、我慢し終えてからの話だと――」



 そう言いかけたとき、するりとジーンがグレイフィールに抱き付いてきた。


 やわらかな肢体と、暖かな体温が服越しに伝わってくる。



「じ、ジーン!?」


「グレイフィール様ぁ……わたし、わたしやっぱり無理です! 魔界に戻ります! こんなんじゃ……こんなんじゃ、グレイフィール様さえ襲ってしまいそうです!」



 そう言って頬を赤く染め、涙目で牙を向けてくるジーンに、グレイフィールはなぜか胸をドクンと高鳴らせた。


 本能に忠実な姿。


 それをグレイフィールは一瞬でも扇情的だと思ってしまった。



「あ、あのー、グレイフィール様? メイドさん?」



 そこに冷静なイエリーからの声がかけられた。


 ハッとしたグレイフィールはすぐに手持ちのトランクからなにかしらの軟膏を取り出し、それをベッとジーンの鼻の下に塗り付る。



「むがっ!? な、何するんですか!? なんでふか、これ!」


「それは……一時的に嗅覚を麻痺させる軟膏だ。どうだ、落ち着いたか?」


「そ、そう言われれば、そうですね……。だ、大丈夫に……なってきた、かな?」


「なら良い。しかし、これほど取り乱すとはな……」


「本当すみません。あ!」



 冷静になったジーンは今の自分の状況にハッとなった。



「や、やだ! ごめんなさい、グレイフィール様! わたし……」



 しがみついていたジーンはあわててグレイフィールを突き飛ばす。


 ジーンの怪力を、強く踏みとどまることで相殺させたものの、グレイフィールは危うくうしろの民家に激突しそうになった。



「ぐっ! お、おい、いきなり何を――」



 見るとジーンはうつむいたまま顔を真っ赤にしている。


 それを見て、なぜかグレイフィールも顔が熱くなってきてしまった。


 固まる二人。



「……」



 一方イエリーは、この状況に強い既視感を覚えていた。


 これは、この状況には覚えがある。それはまだイエリーがイブと付き合う前の話……。


 だいたいいつもこんな状況に陥っていた、ような気がする。



(第三者から見るとこんな風に見えるんスね……)



 何かを悟ったイエリーは、こほんと小さく咳払いをした。



「えっと……お二人さん? そろそろいいっスか?」



 二人の視線が集まる。


 だがイエリーは何事も無かったかのように微笑むと、淡々と二人を目的地へと案内したのだった。

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