第22話 ワーウルフの商人からのお願い
「実は……とある人間に会って欲しいんス」
商人のイエリーは本当に申し訳ないといった表情で頭を下げた。
「グレイフィール様が、他人と関わりあいたくないお方なのは知ってるっス。でも……あいつは、薬の材料を集めてくれた人にどうしてもお礼が言いたいって言ってるんスよ」
「お礼?」
「そうっス。ずっと病に臥せっていた知り合いなんスけど……この間グレイフィール様が<流星の花>を納品してくれて、それで万能薬ができたから、回復したんス」
「ああ、そういう知り合いの人間がいたと言っていたな。そういえば」
「はい。イブ、って言うんスけど……お願いします。どうか会ってやってください!」
「……」
グレイフィールはなかなか即答できずにいた。
そう言われても、グレイフィールにはなんのメリットもなかったからだ。
それどころか魔族だと知られてはいろいろと不都合が生まれるのではないか、とも思った。どこまでこのイエリーが説明したかは知らないが、あまりに不確定要素が多すぎる。
不安しかない。
そう思っていると、ちょうどそこにメイドのジーンが戻ってきた。
「ただいま戻りましたー……って、うわあっ! ワーウルフのイエリーさん!?」
「どうもっス。ちょっと用事があって来たっスよ~」
「え、そ……きゃあっ!」
ジーンは驚いた拍子に、うっかりお茶セットを載せていたトレイごと落としてしまった。
がしゃーんという音と共に、陶器のポットやカップが割れる。
床の緋色の絨毯の上には、あっという間にお茶のしみが広がった。
「あちゃー」
イエリーはそう言って頭の帽子の上に手を当てる。
「す……すいませんっ、グレイフィール様!」
慌てて拾おうとするジーンだったが、今度は陶器の破片で手を切ってしまう。
「痛っ……」
不死の吸血鬼とはいえ、痛みは感じる。
すぐに傷口はふさがったが、見かねたグレイフィールが「もういい」と声をかけた。
「え?」
「あとは私がやる」
「ぐ、グレイフィール様……」
グレイフィールが右手を床に向けると、ぐわっと茶器が落ちた当たりの床が凹み、一瞬の後にすべてが床の下に飲み込まれていった。
そしてすぐに元通りの緋色の絨毯が置かれた状態になる。
その光景にジーンは目を丸くした。
「うわあ……」
「この塔は、わたしの魔力で作り変えてあるからな、修復および現状維持は常に保たれるようにしている。そしてさっきのような予想外の出来事も、こうして少し魔力を足すだけで直る」
「はー……そ、そうなんですか。だからいつも……。あ、ありがとう、ございました」
「礼は良い。それより……お前はいつも掃除やらいろいろな家事をしようとしているが、いい加減『何もするな』と私が言っている意味を理解しろ」
「はあ……」
グレイフィールから冷たくお説教をされ、しょぼんとするジーン。
その光景にあたりが一瞬だけ静かになった。
だがすぐにイエリーが思いがけない一言を発する。
「グレイフィール様って、本当お優しいっスよね~」
「は?」
「ええっ?」
「……?」
グレイフィールと鏡の精ヴァイオレットが同時に疑問の声をあげる中、ジーンだけはきょとんと首をかしげていた。
イエリーはにこにこと笑ったまま続ける。
「だって、なんだかんだ言ってもそこのちっちゃなメイドちゃんが苦労しないようにしてやってるじゃないっスか。だから、めっちゃ優しいっスよ!」
「そ、そういえば……そうねえ……」
ニヤリと笑いながら、魔法の鏡ヴァイオレットも言う。
「たしかに自分に関わるなー、何もするなーっていつも言ってるのは、吸血メイドちゃんにこれ以上自分のことで迷惑かけたくないからかも、ねぇ……?」
「え。そ、そうなんですか?」
ヴァイオレットの解説に、ジーンも目を見開いてグレイフィールの方を見た。
イエリーはその横で大きく同意するように頷いている。
グレイフィールは真っ赤になって反論した。
「ち、違う! 私は……だな、私はただ事実を言っているだけだ! そもそも配慮など……しておらん!」
「またまたー、素直じゃないわねえ。王子様も~」
「グレイフィール様、わたしは嬉しいですよ!」
「だ、だから違うと……!」
「あのー」
ヴァイオレットとジーンがわちゃわちゃと言いたてている横で、さらにイエリーがつぶやく。
「なんだ?」
「もしかして……自分にも突然連絡をくれなくなったのも……そういう理由だったんスか?」
「何?」
意外な発言に、グレイフィールが怪訝な顔を向ける。
「ほら、突然グレイフィール様から連絡をくれなくなった時期があったじゃないっスか。で、それっきり……になっちまって、ついこの間からまた連絡くれるようになりましたけど……あのころって、自分がワーウルフとして人間たちから嫌なこと言われ始めた時期だったっスよね? だから、それも……」
「……」
イエリーの言葉に途端に口をつぐむグレイフィール。
「な、なに? どういうことですか? イエリーさん」
ジーンが思わず問いかけると、イエリーの代わりに鏡の精ヴァイオレットが答えた。
「あー、たしかにねえ……。あの頃、王子様すっごく悩んでた気がするわ~。自分が人間界に魔界産の魔道具を流通させたせいで、あいつの立場が悪くなったんじゃないかーって。悩んで悩んで、悩んだ末に、連絡を絶つことを決めたのよね? ね、冷血王子様?」
「そ、そうだったんスか? グレイフィール様……」
ヴァイオレットの話に驚愕するイエリー。
グレイフィールはぐっと歯噛みをすると嫌そうに言った。
「鏡よ、また倉庫にしまわれたいらしいな?」
「うっそ。この流れでそれ!?」
「あの時もお前が余計なことをやりそうだったから、倉庫に放り込んだというのに……まったくお前が口を開くとろくなことにならんな」
「ええー……。嘘ぉ~~~。言いにくいことわざわざアタシが言ってあげたのよ~? 感謝こそすれ、恨まれる覚えなんてないわ! ひどい! あのときだって――」
「うるさい!」
大声を出して、顔を背けたままのグレイフィールに、ジーンもイエリーも、そして怒っていたヴァイオレットも同時に顔を見合わせ、にんまりと笑った。
「えへっ」
「ふっ……ふふふっ」
「ウフフフ」
「な、なんだ……お前ら」
奇妙な笑い声を発する三人を、ジト目で見返すグレイフィール。
そんなグレイフィールを三人は笑顔で取り囲んだ。
「グレイフィール様! わたしには大事な大事な使命があるんで、グレイフィール様がなんと言おうと、これからも自分がやりたいように行動します! だからその気持ち嬉しいですけど……そんな遠慮、もうしないでください! みなさんだって、たぶん同じ思いですよ!」
そうジーンが力説する。
「そうっス。自分なんて、もうずっと前からグレイフィール様のやりたいことわかってるんスよ! だから遠慮は金輪際無しっス。てかもう二度とこの商機を逃すつもり、ないっスからね」
ニヤッと笑ってイエリーが語る。
「そうよ~。アタシだって、もう二度と倉庫にしまわれてたまるもんですか。それを回避するためだったら、どんなお願いだって聞くつもりよ。これからもずーっと王子様の事を見守らせてもらうからね! 覚悟しなさい!」
ビシッと指を差して、釘を刺すヴァイオレット。
グレイフィールはその三人を見ながら、密かにこそばゆい思いをしていた。
「まったく。どいつもこいつも、自分勝手なものだな……」
ここにいるのはたしかに、自分のやりたいことを貫き通そうとしている者たちだけだ。
しかし、その者たちはそれぞれ、自分を助けようとしてくれている。
それはどんな理由であっても。
それが自分の利益を追求するためであっても。
自分の味方になってくれている。
それは、遠慮のいらない<仲間>だ。
グレイフィールはようやくそのことに思い至ったのだった。
かつて書物の中にだけ記載されていた言葉。
それが今、実体を伴って目の前に現れている。
実感はまだわかなかったが、それでも、グレイフィールはそれを「たしかなこと」だと認識していた。
なんだか照れくさくなって、またそっぽを向く。
しかし、一番近くにいたジーンがまた「グレイフィール様」と呼びかけてくる。
グレイフィールは仕方なくまた前を見た。
「わかった。そこまで遠慮をするなと言うのなら……これからは全力でお前たちの協力を乞う。そして私は、さらに前へと進もう。とりあえずはイエリー、お前の知り合いに会うために人間界へ行く。そういった返事でいいか?」
「おおっ! グレイフィール様、ありがとうございますっス!」
「ふふっ。ようやくねえ……ま~ったく腰が重いんだから~」
グレイフィールの言葉に喜びを表すイエリーとヴァイオレット。
しかし、ジーンだけは頭の上に疑問符を浮かべていた。
「え? それ……なんの話ですか?」
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