第20話 迷惑じゃないメイド

「私が、私だから……それは、どういう意味だ?」




 やや緊張しながら、グレイフィールはジーンに訊ねる。


 ジーンはグレイフィールの背中を見つめながら答えた。




「よく……考えたんですけど。グレイフィール様にしか、食べられてもいいって思ったことがなかったなあって。あと、半魔でも……魔族の血を吸いたいと思ったのがグレイフィール様だけ、でした」


「……」


「人間だったら誰でもいいんです! 誰でも、っていうか……できたら童貞と処女が一番いいんですけど。でもそうでない人間でも、魔族なんかよりも断然美味しいから、全体としてそこまでの違いはないんです。人間はみんな美味しい。でも、この方のじゃないとダメって思えたのは……思えてるのは……その、なぜかグレイフィール様だけで……」


「……」




 鏡にちらっと映るジーンの頬は、さきほどよりもさらに赤くなっていた。


 その恥じらう姿は可憐である。


 しかし、言っている内容はあくまで特異な<食の嗜好>についてだった。




「なんでなのか、よくわかりません。でも……今後は気を付けます! 今言ったこと、これからは絶対わたし言わないしやらないって誓います。あと、グレイフィール様が嫌がるなら人間も襲ったりしません! だから、だから出て行けなんて――」


「迷惑じゃない」


「え……?」


「そのままで良い」


「グレイフィール、様……?」




 驚きで顔をこわばらせているジーンが、鏡に映っている。


 グレイフィールは今度こそ振り向いて、ジーンと向き合った。


 魅了をかけられるかもしれない危険を冒して、その紅の瞳を見つめる。




「別に、今後も好きなように言ったりやったりしたらいい。その代わり、私も好きなようにする。嫌な物は嫌と言い、やりたいことは気の向くままにする。だがそうだな……人間を襲うのだけは感心せん。やたらに襲わず、できたら悪い人間を選んでやってくれ。お前の理論で行くと、良い人間も悪い人間も味はそう変わらぬようだからな」


「ええと、はい。そう……ですね。年を取りすぎていたり、病気の人間とかはさすがに美味しくないですが……あとはその通りです」


「ならばその法則を適用しろ。あとは何も言わん」


「え……? グレイ……フィール様……?」




 ジーンは言葉を失ったようにぼうっとグレイフィールを見つめつづける。


 グレイフィールの紫の瞳にはジーンの顔が、ジーンの紅い瞳にはグレイフィールの顔が映りこんでいた。


 二人はしばらく、お互いの瞳の奥を見つめつづけ――。




「それと……お前にはこれをやる」


「えっ?」




 ふいにジーンの手を取って、グレイフィールはそこに真っ赤な球状のものを載せる。


 それは親指一本分ほどの直径の、珠だった。




「これは……?」


「それは私の血液を結晶化させたものだ」


「え? これ……っ! グレイフィール様の血、なんですかっ!?」




 思わぬ贈り物に、急に目をきらきらと輝かせるジーン。




「まあ待て。それは、私がいいと思ったときにだけやるものだ。何かひとつ、私のために助力したとき、その礼として授ける。食べるのは好きなときでいいが――」


「え、じゃあ……これっ!」


「ああ。お前は私の秘密を、父上たちに語らなかった。もし語られていたら……今ごろはもっと大変なことになっていただろう……。というわけで、これはその礼だ。ありがたく受け取れ」


「あ……ありがとうございますっ!」




 そう言うや、さっそくジーンはそれを口に放り込んだ。




「あ……むぐっ……んんっ」




 しかし大きすぎるのかうまく飲み込めない。


 しかも固いのでどうやって口の中で細かく砕けばいいか分からない様子だった。




「ぐ、グレイフィール様ぁ……の、飲み込めないです……」




 ぷはっと吐き出して、また掌の上に戻すジーン。


 グレイフィールはしかたなさそうに答えた。




「それは、自分の魔力を注がねば元の液体には戻らぬ。魔力を流せば固さを調節できるから、やってみろ」


「は、はい!」




 ジーンが掌に魔力を集めると、それは途端にスライム状になった。


 すかさずそれを口に入れ、ずずっと吸い込むジーン。




「んんっ……な、なんか……んっ、ゼリー状ですね、美味しいです! あっ……触感もいいけど……味がっ……! そ、想像以上ですぅ~~~! ありがとうございますっ! んんっ!」




 もちゃもちゃと咀嚼しつつ、最後にごくりと飲み干したジーンは、満足げな表情を浮かべた。


 グレイフィールはそれにホッとしたが、すぐに微妙な気持ちになる。




「なんというか……自分の血を目の前で飲まれる、というのはさすがに妙な光景だな」


「そうですかぁ? まあ、普通は直接飲むものですからね。あー、いつかは直接飲みたいですねえ。でも……さすがにそれは無理、ですよねー?」


「直接」


「はい、こう……首筋からがぶっと」




 がぶっと。


 その光景を想像した二人は、瞬時に顔を赤くした。




「なっ! そ、そんなことはさせん! 無茶なことを言うな!」


「で、ですよねー! あはははっ。ちょっと、言ってみただけです!」




 そう言って、お互いなんとなくあさっての方向を見る。


 その二人を見ていた鏡の精ヴァイオレットは、たまらなくなってつぶやいた。




「あの~? ちょっと、お二人サン~? いつになったらあの商人を呼ぶのかしら~?」




 その声に、グレイフィールとジーンはは同時に振り返る。




「もう、呼んでいい!」「もう、呼んでください!」




 ヴァイオレットはそんな二人を見ながら、ニヤニヤして言う。




「あーもう何よそれ。息がぴったりじゃな~い! アンタたち、良い相棒になりそうねえ」




 どこがだ、とか、本当ですか? などという二人の反応を見ながら、ヴァイオレットはワーウルフの商人、イエリーの姿を探しはじめた。



 グレイフィールの書斎には、もう朝の明るい日差しが差しこみはじめている。


 この光をまた浴びられるようになって本当に良かったと、鏡の精ヴァイオレットは思った。

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