第19話 薬草の乾燥

 翌朝。


 グレイフィールはイエリーに頼まれていた薬草を乾燥させるべく、日が昇る前から起きていた。




「ここをこうして……こうだったか」




 書斎の床に複雑な術式の魔法陣を書き終えると、その中央に<流星の花>が大量に入ったガラスケースを置く。そして蓋も外し、その上に右手をかざした。


 グレイフィールは静かに起動の呪文を唱える。




「我が名において発動せよ。流星の花の身に宿す水分を、すべてこの空気中に放出せよ。グレイフィール・アンダー!」




 すると手の内から魔力が放出され、床の魔法陣が紫色に光りはじめた。


 流星の花から湯気がほわっと立ちのぼり、あっという間にそれが周囲に霧散していく。




「ふむ。これくらいでいいか」




 光が収まってからガラスケースの中の一つを取って、薬草の乾燥具合を見る。


 完全に水分が抜けきらないとカビて、品質が劣るのだ。


 これはかつて商人のイエリーに何度も口をすっぱくして言われたことだった。




「……!」




 ふと気配を感じ、グレイフィールは部屋の隅を見る。


 するとそこには――いつのまにかあの、ジーンが立っていた。




「朝の挨拶も無しか?」




 ぶっきらぼうにそう声をかけると、ジーンは消え入りそうな声で「おは、おはようございます」と返してくる。

 しかし、いっこうに近づいて来ないばかりか、部屋の隅で縮こまりつづけているばかりだった。



 グレイフィールは、しぶしぶまた声をかける。




「これは昨日お前に収穫してもらった薬草だ。今、乾燥させていた。あとはこれを、またあの商人に売りつけるだけなのだが……おい、そのクマはどうした?」


「えっ?」




 ジーンは言われて、すぐに魔法の鏡の前に行った。


 鏡の中には目の下に濃いクマを作った吸血鬼が映っている。




「え? うわっ、ひどい……。あっ、ええと、昨日あんまり眠れてなくてですね……てか、グレイフィール様? グレイフィール様のクマもすっごいですよ!?」


「……何? いや、気のせいだ」




 言われて否定するものの、グレイフィールの目の下にもしっかりとクマができていた。


 それは、ジーンへの対応をどうしようかと考えすぎて、一晩中寝付かなかったためにできてしまったものである。


 あとで魔法で隠すつもりだったが、納品の準備をしていたらつい忘れてしまっていたようだ。


 グレイフィールはバツの悪い思いをする。


 だが、ふと横から鏡の精ヴァイオレットの声がかかった。




「おっはよーう、吸血メイドちゃ~ん! もう来なくなるかと思ったわよ~」




 鏡のすぐそばにいたジーンは、紫髪の男の元気な挨拶を聞いて笑顔になった。




「おはようございます、ヴァイオレットさん。大丈夫です! いろいろ考えて、またやっぱり来つづけることにしました!」


「そーでなくっちゃあ! あ~、とりあえず良かったわぁ~」




 ヴァイオレットはくねくねと身をよじりながら、にこやかにしゃべりつづけている。


 だが急に、口元に手を当てた。


 そしてわざとらしく小声で話しはじめる。




「あ、そうだそうだ聞いて~。なんと昨日の夜! 上の階から冷血王子様の寝言が聞こえてきたのよー」


「えっ、寝言?」


「そう。ジーン行くな、行かないでくれーって……苦しそうにね。ねえ、これどう思うー?」


「う……嘘をつくな!」




 グレイフィールはすかさず、黒い槍を鏡へと投擲した。だが、鏡はそれをまた海へと転送させ、何事も無かったかのように話を続ける。




「でね、これがまた切ない声だったのよ~。昨日あんなに冷たい態度をとっていて、よ? やっぱあれねえ、寂しくなっちゃったのかしらね~。なんだかんだ言って今もアンタの来訪を受け入れているし~? んもう! アンタも隅に置けないわねっ!」


「えっと、そ……そうだったんですか……」




 いろいろ言われて、ジーンはうっすら顔を赤くしている。


 一方グレイフィールは、ガッと魔法の鏡の左右の端を掴んでいた。




「おい、鏡……それ以上戯言を吐き続けてみろ。また倉庫に放り込むぞ?」


「あ……あらら~~~っ! ご、ごめんなさい! それだけは勘弁してぇ~~~! でも、でもアンタたちのことを放っておけなくて~~~!」


「どういう意味だ。もういい。しまう。永久に暗い倉庫の中ですすり泣いていろ」


「いっ、いやよ! いやぁああああ~~~!!」




 持ち上げるとそのまま出口の方へと向かう。




「ひどい! 冷血! いえ、冷酷王子様~~~~! アタシは、アタシはアンタたちのためにぃいいいい~!」


「うるさい。いらぬ世話だ!」




 そのまま階下へ行こうとするグレイフィールに、ジーンは「待って」とその袖を引き寄せる。


 グレイフィールは思わず立ち止まった。




「……な、なんだ、メイド」


「……」




 なぜか顔が熱くなってくるのを自覚しながら、グレイフィールは鏡を床に下ろす。


 ジーンはグレイフィールを見上げながら、ぽつりとつぶやいた。




「あ、あの……。ヴァイオレットさんをしまってしまったら、あの薬草、納品できなくなっちゃうんじゃないですか?」


「……はっ!」




 グレイフィールは言われてすぐ、目の前のヴァイオレットを見た。



 ヴァイオレットはいまにも泣きそうな顔をしながら無理に笑顔を作っている。


 そして目が「そうよ、だからしまうのはもうちょっと待った方がいいんじゃないかしら?」と訴えかけていた。




「そもそもイエリーさんと……連絡がとれなくなっちゃいますよ? どうせしまうんでしたら……せめて納品が終わってからの方が」


「それは……たしかにそうだな」




 一理あると、グレイフィールは大きく頷いた。


 ジーンはそれに満足そうに微笑むと、あわててグレイフィールの袖を離す。


 その様子を鏡越しに見ていたグレイフィールだったが……ふと、小さな声で訊ねた。




「ジーン。それで……答えは出たのか?」


「あ……」


「まだ私の血を飲みたいのか、ジーン」




 ジーンは少しだけ口ごもって、答えた。




「正直……まだ、飲みたいです。今も……。でも」


「でも?」


「それはグレイフィール様が半魔だから、じゃないですよ。グレイフィール様がグレイフィール様だから、です」




 その言葉に、グレイフィールは思わず振り向きそうになった。


 だがぐっと我慢する。



 それは、グレイフィールが無意識に求めていた言葉だった。

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