第17話 魔王の謁見室
「ホントにあれで良かったの? 冷血王子様」
「フン……」
魔法の鏡の精、ヴァイオレットが部屋の主に問いかける。
問われたグレイフィールは書斎机にかけたまま、苛立たしげに指先でこめかみを叩きつづけていた。
「戻ってこないわね、吸血メイドちゃん……」
いつもならすぐにまた姿を現すのだが、今回だけはいつまで経っても戻ってこない。
グレイフィールに言われたことがよほど図星だったようである。
ジーンは、グレイフィールから槍を投げつけられる前に姿を消していた。
「少し、考えさせてください」とだけ言い残して。
グレイフィールはため息をつくと、重々しい口調でつぶやく。
「私の血を飲みたい……という欲求をこれからも抑えられぬのであれば、あやつには人間とのまともな交流は無理だろう。私は人間たちともう一度関わろうと決めた。その気持ちをもう一度思い出させてくれたのは他でもないあいつだが……やつに邪魔されるわけにはいかない。常に側で見守るとか言っていたからな」
「ふーん? でもどーしてあの子は、さっきの商人にも同じような衝動を起こさなかったのかしらねー?」
「何?」
ヴァイオレットの思いがけない言葉に、グレイフィールはたしかにと首をひねる。
「だって~、考えてもみなさいよ。あのイエリーとかいう商人も、ワーウルフ……半魔だったわけじゃな~い? 半分人間の血が流れてて。でも、あの子はあの商人の血には反応しなかった。必死に我慢していたっていう風にも見えなかったし……アナタに対する態度とは違いすぎていたわね。それって、なんでだったのかしら~?」
「……それは、そうだな」
グレイフィールはそう言いながら、今まで読んできた文献を脳内でひっくりかえしてみた。だが、目当ての情報は見つからない。
個体別の嗜好差までは、どこにも記述がなかったのだ。
なぜイエリーには反応せず、グレイフィールにだけ反応したのか……。
グレイフィールは頭を悩ませた。
「わからん。なぜ、私にだけ……」
「ホ~ントどうしてなのかしらねえ? どうして冷血王子様だけあんな態度になったのかしら~。普段からあの子って、あんな感じ?」
「……さあな。人間の血が一番好きらしいが、ドラゴンの血も美味いと言っていた。吸血鬼によって血の好みはあるのだろうが、そういった統計はない」
「フン。まだ気付かないの……? この朴念仁」
「ん? 今何か言ったか?」
「いいえーなんでもなーい。じゃあちょっとだけ、あの子のいまの様子見てみましょうか~」
「……?」
ヴァイオレットはいきなり鏡の表面をゆらゆらさせると、ジーンを探しはじめた。
命じていないのにそのような行動を勝手にとりはじめたヴァイオレットに、グレイフィールは動揺する。
「おい、何を勝手に――」
「普段はアタシもここまでしないんだけどねー、吸血メイドちゃんはアタシをこの階まで運んでくれた恩人だし~? 冷血王子様に誤解されたまんまっていうのも可哀想だと思ったのよ。これはアタシが一肌脱いであげなくっちゃあね!」
「誤解……? 可哀想……? いったい何を――」
「まあまあ、それは見てからのお楽しみ。さあ、ここはどこかしら~?」
そう誰にともなく歌い上げながら、ヴァイオレットはとある場所を映し出す。
そこは薄暗く、とても広い空間だった。
グレイフィールは何十年かぶりに見たその光景に驚愕する。
「ここは……父上の……<魔王の謁見室>……!?」
「どうやらそのようねぇ。アタシは光が届く所ならどこでも映せるけど~、流石に魔王様は敏感だからこのまま見続けていたらすぐに気付かれちゃうかもぉ。だからそんなに長くは映せないわよ~」
「……」
鏡の方へ近寄りながら、グレイフィールは唾を飲みこむ。
魔王の謁見室。
それは文字通り、魔王が下々の報告を聞いたり、幹部などと会議を開いたりする場所だった。
広間の最奥には大きな玉座が据えられており、そこにグレイフィールの父親、ゼロサム・アンダーが泰然と座っている。
「父上……まるで変わっておらんな……」
魔王の容姿は、グレイフィールが最後に会った時からほとんど変わっていなかった。
魔族は人間の五倍の寿命なので、老化もひどくゆっくりなのである。
それを差し置いても、その見た目はグレイフィールに瓜二つだった。
口髭があるのと、目元がより鋭さを増しているところ、そして瞳の色が濃い朱色であるという点だけは違っている。
魔王は黒い軍服に、裏地が緋色の黒い外套を羽織っていた。
魔王の横にはもう一人、白い短髪に同色の口髭をたくわえた老紳士が立っている。
彼は、魔王城の生活空間全般を取り仕切っている執事長、モールド・オットマンだった。
そして――。
彼らの前で跪く吸血鬼のメイド、ジーン。
「ジーン……」
グレイフィールはその姿に目を見張った。
「それで? 今日のグレイフィール様は如何様であられたのですか、ジーン・カレル」
「……はい」
執事長のモールドが問いただし、ジーンがおずおずと顔を上げる。
「今日も……魔王になりたいとは、おっしゃっていただけませんでした」
「それだけですか?」
「はい……」
「ふむ」
モールドは玉座の魔王と目くばせし合うと、ゆっくりとジーンの周りを歩き出す。
「ジーン・カレル。今一度確認します。貴女はここ三日ほど休暇を得ていましたね。そして今日、復帰をした」
「……はい」
「理由は、グレイフィール様からひどい暴言を受け精神を病んだから、とのことでしたが……。この城にいる宮廷魔術師の手にかかれば、すぐにその精神異常も回復できたはずです。それを拒否したのは、いったいどういうわけですか? 派遣して数日のうちにいったい何があったのです」
「それは、その……。あまりにも、グレイフィール様と顔を合わせづらくなってしまったことが、あって……それはうまく説明できないんですが……とにかく、個人的にちょっと時間を置きたかったんです。治されてしまったら、すぐに復帰させられるんじゃないかと、そう思って……本当に申し訳ありません」
ジーンは途中幾度かつっかえながらも、すまなさそうに頭を下げた。
モールドは深いため息をつく。
「まあ、それはその時に詳しい理由を聞かなかった私の落ち度でもあります。なので、これは不問といたしましょう。しかし……今日のことはきちんと説明していただきますよ」
「え……」
ぐるぐると回っていた足がぴたりと止まる。
「魔王様はすべて、お見通しです」
「えっ……。な、何を……ですか?」
「貴女が今日、どうしていたか。そしてあの塔で何が起きていたのか、魔王様はすでに知っておいでです」
「え……あ……」
ジーンの顔からふつふつと玉の汗が吹きだしてくる。
「魔王様はこの城をお作りになったお方。それゆえ、城の隅々まで、何が起きているかを知ることができるのです。あの塔が何度壊されてもすぐに再生するのは、それをいちいち魔王様が魔力で修復なさっているからですよ。ジーン・カレル。……私はここで今、正直に話すことをオススメします」
「あ……あ……」
グレイフィールはうろたえるジーンの様子を見て、とっさに魔法の鏡の前で叫んだ。
「ジーン・カレル! それは、嘘だ! この塔だけは私の魔力で出来ている。塔を修復しているのは、私だ!」
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