第16話 「好き」の意味(2)

 グレイフィールは結局、己の<転移>を使って物見の塔へと帰還した。


 二階の書斎では、先に戻っていた吸血メイド、ジーン・カレルが依然として床にへたりこんでいる。




「……戻ったぞ」




 気まずいながらも声をかけると、ジーンはビクッとして立ち上がった。


 顔をごしごしとこすりながら、無理に笑顔を作ってみせる。




「あ。お、おかえりなさい! グレイフィール様」


「……」




 グレイフィールはなんとも言えぬままトランクを床に下ろす。


 ジーンに確認しなければならない。


 けれど、問いただしたら、今度は自分が無様に勘違いしたと認めることになってしまう。



 ジーンに恋愛感情を抱かれた、などと――。


 わずかでもそう思った自分が憎かった。


 そんなこと、あるわけがないのに。



 悔しさにグレイフィールは顔を険しくする。


 だが、意を決してようやく口を開いた。




「お前は、私の血を飲みたいのか? ジーン・カレル」


「へっ!?」




 ジーンはきょとんとしてグレイフィールを見上げる。


 その紅の瞳はいまだ涙で濡れていた。


 だが急に頬を赤く染め、うろたえる。




「え? えと、なんでそれを……」


「先ほどそう言って鏡の前で泣きわめいていたではないか。もう忘れたのか?」


「え? ええっ! あの、もしかしてさっきの……見られてっ? ヴァイオレットさん、グレイフィール様のとこにつなげてたんですかっ?」




 ジーンがそう言って振り向くと、鏡の中のヴァイオレットは申し訳なさそうに答えた。




「ああん、そうなのよぉ~。ごめんなさいね~。だって、急に冷血王子様から呼び出しがあったんだもの~。アンタが泣いてようがどうしようが、使用者、特に生みの親からの呼びかけがあったら応じなきゃいけない。アタシはそういう仕様になってんのよ~~~」


「そ、そんな……」




 顔を赤く染めながら、ジーンはうつむく。


 グレイフィールはそこにさらに追い打ちをかけた。




「それともうひとつ確認しておく。以前私は……お前を遠ざけようと、わざと口づけをしたことがあったな? あれをお前は――」


「や、ヤダ~ッ! アンタたちもうそんな仲になってたの~~~!?」


「ち、ちがっ……」


「鏡、誤解するな。わざとだと言っただろう。気持ちが入っていたわけではない。そうして脅せば私の秘密を他言しないと思ってな――」




 ヴァイオレットの茶々にジーンはすぐ動揺し、反対にグレイフィールは冷静に対応した。


 その二人を交互に見つめながら、ニヤニヤと笑い続けるヴァイオレット。


 グレイフィールは軽く咳払いをすると話を戻した。




「とにかく。あれをお前は別の意味でとらえた。そうだな? 私がお前を捕食対象として見、『その血を飲みたい、もしくは食べたい』と宣言したのだと、そうとらえたのだろう。先ほど私はようやくそれに理解が至った。それが吸血鬼の<常識>だったのだと。お前はその常識にならい、行動していただけだったのだと」




 ジーンはじっと聞いていたが、また瞳を潤ませた。




「そ……その通りです。だって、普通あんなことされたら吸血鬼なら誰だってそう思っちゃいますよ。グレイフィール様に求められたんだ、って……。でも、グレイフィール様はわたしがお仕えしている方だし、魔王様の御子息だし、そんな方にお手付きになってもいいのかなってすっごく悩んだんです。でも……わたしは不死だし肉を食べられても別にいいかぁって。でもさらに、今度はそうじゃなかったって後で言われて。ほ、ほんとにあの時は怒ったんですよ、わたし!」


「……」




 ジーンはひとり頬を紅潮させて叫ぶ。




「でも、でもッ……! そんなことされて、逆に火がついてしまったというか。自分が食べられなくなったら、今度はわたしがグレイフィール様の血を……飲みたくなっちゃったんです。お側で見守っていたら、さらにどんどんどんどん魅力的に思えてきちゃって……<変装の首輪>を付けたら、わたしの大好きな人間に見えてきちゃったりするし……さっきなんてすっごく美味しそうで、我慢できなくなって……って、本当にごめんなさいっ!」


「……」




 そう言ってひれ伏すジーン。


 グレイフィールは無言でジーンを見下ろすばかりだった。


 牛鬼の魔族であるグレイフィールには、ジーンのような<血>の欲求は無い。

 人間の<肉>の方を好む習性はあるが。


 しかし、グレイフィールは「人間と友好的な付き合いをしたい」という思いを抱いてからは、その欲を断つようにしていた。


 意図的に魔力で体力消費を抑え、それでも限界を迎えたら、人間以外の<肉>を摂取するようにしていた。



 ジーンは見たところ、そういった努力を一切していないように見えた。

 だからつい本能にまかせた行動をとってしまったのだろう。




「……」




 そしてもう一つ。


 なぜジーンは、そこまでグレイフィールを魅力的に思ってしまうのか。


 その答えは、グレイフィールには解りつつあった。


 これも伝えるべきか迷ったが、今後のジーンとの関係をさらに微妙なままにさせないためにも、はっきりと告げることにした。




「ジーン、お前が私の血を求める理由だが……おそらくそれは、私が母上の血を半分引いているからだろう」


「えっ……?」




 意外な言葉を聞いて、ジーンがハッとする。



「母上……お妃様?」


「ああ。私は牛鬼である父と、元聖女であった人間の母との間にできた<半魔>だ。その人間の部分に、お前は……惹かれているのだろう」


「……!」




 驚くジーン。


 しかし、そのことはすでに魔界中に知れ渡っている事実だった。



 およそ百年前―-。


 魔界にとんでもなく強い勇者一行が現れ、今の魔王がそれと対峙した。


 その時に寝返った勇者の仲間の一人が、のちの魔王の妻となった聖女だった。



 聖女は魔王と結ばれた瞬間、聖女ではなくなった。


 そして、二人の間から生まれたのがグレイフィールだったのだ。




「……」




 グレイフィールは自分でその事実を語りながら、複雑な気持ちになっていた。


 ジーンが惹かれているのは自分ではなく、その<血>。


 しかも人間の血の部分だった……そのことは何か心の底を物悲しくさせる。



 自分自身を認められた、と思った。


 自分がずっと胸に秘めていたことを肯定され、勝手に応援されたと思っていた。



 そして「側で見守っていきたい」「好きになってしまった」などと言われて、無意識に喜んでしまった。戸惑いはしたが徐々に心を許すようにまで……。



 しかし、それらの本当の意味は全部、違っていた――。



 グレイフィールは首を振り、気を取り直す。


 そして、最後の質問をした。




「ジーン・カレル、いま一度問う。お前は私の血を飲みたいという欲求を……抑えられるか? 以前、私に直接『血を飲ませてくれ』などと頼んできたことがあったが、あの時点で気付くべきだった。魔王になれという要求の上、私の血を飲ませろとまで言い寄られたら……本当に迷惑だ。その欲を抑えられないのであれば」




 グレイフィールは静かに殺意を湧き上がらせると、その右手に黒い槍を生み出した。




「やはり、出て行ってもらう」

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