第15話 「好き」の意味(1)

「さて、戻るとするか」




 すべてのガラスケースをしまい終わったグレイフィールは、魔法のトランクの取っ手を掴むと重い腰をあげた。




「己の部屋に戻るだけ……のはずなんだがな」




 そう言って、深いため息をつく。


 ここへは鏡の<転移>で来たが、帰りは己の<転移>で帰るつもりだった。


 だが塔には先にジーンが帰っている。



 なんとなく、戻りづらかった。


 顔を合わせたくない。



 自分の部屋に「帰りにくい」というのもおかしなことだったが、ジーンが奇妙な行動を取りつづけてくる以上、また振り回される可能性があった。


 それはできるだけ回避したいことだった。



 いったいジーンの言う「好き」とはどういう意味なのだろうか。


 「魅力的」だとか「引き寄せられる」だとか言っていたが、それはいわゆる恋愛感情の範疇なのだろうか。




「そうだとしたら……困るな。ん? 困る?」




 グレイフィールは、今一度考えてみた。



 思い返してみるとジーンという女性はそれほど悪くはない。


 容姿も美しい方だし、基本的に素直で真面目なメイドである。


 言うことを聞かずに暴走することもままあるが、誰かのためになにかをしたいという強い欲求は褒めるべき点だと思っていた。



 けれど、それに加えて「自分に対する恋愛感情」があるとなると……厄介だった。




「いや、それはやはり困る。面倒だ」




 グレイフィールはもともと「他人からの干渉」をひどく嫌っている。


 それは己の本当の目的を悟られたくなかったためだが、幸い引きこもっていられる環境を手に入れ、他者からの影響もほぼなくすことができた。


 しかし、恋愛感情があのメイドにあるとなれば、きっと普通の者よりもこちらに関わってこようとするだろう。


 ああしろ、こうしろといろんな理想を押し付けて、断れば「どうしてなんだ」と責めてくるようになる。


 そうなるのはごめんだった。




「だがあいつは、私を否定しなかった……」




 ジーンは「別にいいんじゃないですか」などと、さらりと己を認めてくれた。


 魔法の鏡も。


 ワーウルフの商人も。


 思えば周りにはグレイフィールの秘密を知っても否定しない面々が少なからずいた。


 その者たちとなら、交流ができた。その者たちとだけは、交流ができた。


 その可能性に気付けたのもすべて……。




「やはり、あの吸血メイドのおかげ、か……」




 どうしてジーン・カレルはあんな行動を、そしてあんな思いを自分に向けてきたのだろうか。


 そしてなぜ、それを途中で隠そうとしたのか。



 自分がそういった思いを厭わしく思っている、と知ったからだろうか。


 だから、先ほどもそれ以上のことを口にする前に離れたのか。




「……」




 考えてもわからない。


 グレイフィールがジーンのことで思い悩んでいると、背後にいたドラゴン、コンバートが話しかけてきた。




【我が主、ジーン・カレルの主よ】


「またなんだドラゴン……」


【何をさっきからぶつぶつと言っている? 見たところ、もう用は済んだのであろう。我が主はいなくなったというのに、お前は何故帰らぬ】


「……うるさい、黙れ」




 グレイフィールはしぶしぶ<転移>しようとしたが、その前に転移先の様子を窺ってみることにした。


 虚空に向かって呼びかける。




「おい、鏡。見ているか。もし聞こえているなら返事をしろ」


「はいはーい。って今ちょっと取り込み中よぉ~~~!」


「何?」




 鏡は光のある場所に置かれていれば、世界中のあらゆる場所とつながれるようになっていた。


 そのため、使用者からのなんらかの呼びかけがあれば、すぐに応じられるようにもなっている。


 黒縁の大鏡がグレイフィールの目の前に出現すると、中ではうろたえる鏡の精ヴァイオレットと、書斎の床でへたりこんで泣いているジーンがいた。




「ご覧の有り様よ~! 勝手に帰ってきたと思ったら急に泣きだして……いったい何があったの~~~!?」




 ヴァイオレットは戸惑いながら、ジーンとグレイフィールを交互に見つめている。


 その間にもジーンはわんわんと奥で泣き叫んでいた。




「うわーん! つらいよぉ~~~! 目の前にあんなに美味しそうな<ご馳走>があるのにぃ~~~! 我慢しないといけないだなんてっ! ああっ、でもあの方は魔王様の大切なご子息様……しかも今は『お仕事』中だし……その方の血を吸うなんて、無理すぎる~~~! できない~~~!」


「……」


「……」


【……】




 グレイフィールも、ヴァイオレットも、コンバートも、ジーンの泣いている理由を聞いて無言になった。


 彼らの脳裏には共通の言葉がこだまする。



 ――ご馳走って、血のことか!



 グレイフィールは納得した。


 そう、ジーンは吸血鬼である。まぎれもない吸血鬼である。



 ジーンは「グレイフィール」を求めていたのではなく、たんに「血」を求めていたのだ。


 自分を好きと言ったのも恋愛感情からではなく、純粋に「血」が好きだと言っていた――。



 すべてが合点した。


 ジーンを寄せ付けないためにキスをして追い返したときも、それに過剰反応したジーンが「どうぞ」と身を差し出してきたのも……そうだと考えればすべて別の意図があったと考えられる。


 そうだ、はじめから……。


 ジーンは「吸血鬼の常識」でグレイフィールに接してきていたのだった。




「……」




 グレイフィールは魔法のトランクを開けると、『魔界の種族図鑑』という本を開き、吸血鬼の項目にさっと目を通す。




「吸血鬼にとって<キス>は……『あなたをこれから食べる』という予告、か」

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