第6話 魔法の鏡

 しばらくすると、なぜか大きな鏡を肩に担いだメイドが階下から戻ってきた。


 思わずグレイフィールは吹き出しそうになる。




「おい、茶を淹れに行ったんじゃなかったのか!?」




 鏡は、人が横に三人ほど並んで映れるぐらいの大きさだった。


 真っ黒に塗られた木製の縁が、鏡の四方を取り囲んでいる。



 グレイフィールは顔をしかめながら、本を閉じた。


 その鏡には見覚えがあったからだ。


 だがなぜメイドがそれを持ってきたのかがわからない。



 吸血メイドのジーンはにこにことほほ笑みながら、部屋の中央にドンとその鏡を下ろした。




「よいしょっと。グレイフィール様、お待たせいたしました!」




 そう言ってぺこりとお辞儀をする。


 グレイフィールは努めて冷静に返した。




「……別に待っていない。それに余計なことはするなと言ったはずだが? 何から突っ込んでいいかわからんが……まず、それはどこから持ってきた」


「あー、これですか? 一階の倉庫からです!」


「だろうな……」




 グレイフィールはぼんやりと階下の倉庫を思い出した。


 あそこには引きこもる時に私物をいろいろと詰め込んでいた場所である。




「ねえ、見てください! すごいんですよ! これ……実は<魔法の鏡>なんです! 中にええと、ヴァイオレットさんという<鏡の精>さんがいらっしゃいまして。グレイフィール様、この鏡、憶えてらっしゃいますか?」


「……憶えているも何も、その鏡を作ったのは私だ!」


「ええっ!?」




 そう、その大鏡を作ったのはほかならぬグレイフィールであった。


 見覚えがあったはずである。




「ほ、本当ですか? これ作ったのグレイフィール様だったんですか?」


「ああ、だいぶ昔にな。いまは亡き母上のために、作ったものだ……」


「へぇ~、お妃様のために! ……どうりで。だからこんなにすごい物だったんですね!」




 ジーンは心底驚いた様子で、その大鏡を見つめている。




「それより、なんでそれをここに持ってきた? それは倉庫の奥深くにしまっていたはずだが」


「あ、それはそのう、倉庫を片づけていたら見つけちゃいまして」


「倉庫を……片づけた、だと!? お前、あの中のものを勝手にいじったのか!」


「い、いや……! いじったとしても、何も壊したりしてませんよ! 例のお茶を見つけるために、倉庫の中をちょこーっと整理していただけなんです。そしたらこの鏡さんと出会いまして。で、積もるお話をずっと聞いていましたら、ぜひもう一度陽の目を見たいとおっしゃって。それで……この上の階に持ってきたんです!」




 グレイフィールは眉間をぐいぐいと揉むと、深いため息をついた。




「はああ……。とにかくそれは、二度と目にしたくないと思ってしまいこんでいたものだ。できれば今すぐに元の場所に戻してきてほしいのだが……。というか戻せ!」


「で、でも……!」


「い・い・か・ら・戻・せ!」


「んもう、ひどい~~~ッ! 二度と目にしたくないだなんて~~~っ! ひどすぎるわ~~~っ!」


「!!」




 グレイフィールとジーンが言い合っていると、いきなりオネエな口調の雄たけびが鏡の中から発せられた。


 うねるように長い紫髪の男が、すうっと鏡の中に現れる。


 それは<鏡の精>ヴァイオレットだった。


 ヴァイオレットは真っ黒なローブをひらめかせながら叫ぶ。





「アタシへの第一声がそれだなんて~~~! 相変わらず王子様ったらイケズ、なんだからぁ~っ!」


「お、お前……!」


「ハァイ、アタシの愛しの冷血王子様。おっ久しぶり~~~ッ! 十数年ぶりかしら? あなたに作られた魔法の鏡の精、ヴァイオレットちゃんよ~~~! 忘れちゃ、イヤン」




 グレイフィールは、みるみるうちに顔を青くした。




「あー……ジーン・カレル。何度も言うが、それを今すぐあった場所に戻してこい」


「「えええ~~~っ、そんなあ~~~っ!」」




 ヴァイオレットとジーンが同時に不満げな声をあげる。


 だが、グレイフィールはそれを無視し、一語一語強調して言った。




「いいから、いますぐ、それを、元の場所に、戻して来いっ! それはただの騒音だ。この声を聞いていると……ああっ、頭がおかしくなるっ!」




 そう言ってわしゃわしゃと己の黒髪をかき乱す。


 その様子に、ヴァイオレットは厭味ったらしく言い返した。




「ねえ、聞いた~? 吸血メイドちゃん。頭がおかしくなる、ですって~~~。もうひど過ぎると思わなーい? アタシ、昔、毎日こんな風に言われ続けてきたのよ? ほんっと冷血王子様よね~!」


「へぇー、ほー、そうなんですかー、それは大変でしたねえ……」




 ジーンはうわの空で応えながら、ヴァイオレットの鏡を部屋の隅に立てかけている。


 そこはちょうど窓からの陽が差し込んでおり、あたたかな場所だった。鏡の黒い縁も陽に反射してキラキラと輝いている。


 ジーンは満足そうに腰に手を当てた。




「うん。良しっ! さあ、ヴァイオレットさん、ここでいいですかね?」


「あ。うん、そうね……。そうだったわ。この光、この温度。いいわあー! ああ、久しぶりの陽光……!」




 ヴァイオレットは希望通りの場所に置かれて、うっとりと目を細めた。


 長い間暗い倉庫にしまわれ続けてたので、この陽の明るさに憧れていたのである。




「あああ~~~! 最高よっ、この場所! 吸血メイドちゃん、ホントありがと~! アンタは命の恩人だわ~! アタシはこの<光>だけが栄養なのよ~~~」


「はあ、い、いえ……」




 お礼を言われ、ジーンは照れくさそうに笑う。


 ヴァイオレットの方はずっと感動しきりだったが、突然ハッとすると小声でメイドに話しかけた。




「あっ、そうだわ。忘れてた。さっき倉庫で話してたこと! さっそく冷血王子様に訊いてみましょうよ、メイドちゃん」


「え?」


「ホラ、例のあのこと!」


「……あ、ああ! そうでしたね。えーと、あのグレイフィール様――」




 グレイフィールは、そこまでくるともう限界となったようだった。




「もうお前ら……いい加減に、しろーーーっ!!!!!」




 そう叫ぶと、黒い槍を幾本もその右手の先に召喚させ、大きく振りかぶったのだった。

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