第5話 王子の食事事情

 昼になった。


 塔の中がかなり明るくなってきたので、グレイフィールは机上の<魔石灯>の明かりを消そうとする。


 だが、ふとその手が止まった。



 ――『あの音』だ。 


 

 まるで地の底で大きな石臼が回っているかのような音。


 グレイフィールは眉間にしわを寄せつつ、ついに叫んだ。




「ジーン・カレルッ!」


「は、はいぃっ!」




 部屋の隅で、ずっと自分を観察していたメイド。


 その名を呼ぶと、少女はビクッと体を硬直させながら跳び上がった。




「はっ、え、グレイフィール様。な、なんでしょうかっ!?」


「なんでしょうか、ではない! さっきからなんなんだ、その音は。うるさくてかなわん」


「へっ?」




 ちょうどその時、またジーンの腹からぐうううぅ~という奇怪な音が鳴り響いた。


 それは、さきほどから何度も、グレイフィールの耳に届いていた音である。


 ジーンはあははと苦笑して言った。




「す、すみません! わたし、朝早くからここに来てたので……お腹が空いちゃって。グレイフィール様はお腹空いてませんか~?」




 照れ隠しに、自分よりグレイフィールの腹の空き具合などを聞いてくる。


 グレイフィールは照明器具の明かりを消すと、次の本を手に取りながら答えた。




「私は魔力で常に体力を温存しているからな、ほとんど腹は空かん。お前は勝手に、城の食堂でもなんでも行ってこい」


「ええ~~~っ、わたしだけ行くんですかぁ? なんか申し訳ないですよう……」


「気にするな。むしろ私は独りになりたい」


「うーん……」




 だが、吸血メイドのジーンは、腕組みをしてなにやら考え込みはじめた。




「なんだ? なにを迷うことがある?」


「いやあ、わたし吸血鬼なので……食事って言ってもだいたい何かの生き物の血液だけ、なんですよねえ」


「それは……そうだろう。だからなんだ」


「ですから、それだけで戻るっていうのは料理長に悪いかなーって。あっ、そうだ! 良かったらグレイフィール様の血を飲ませていただけませんか? そうしたらあっちに行かなくて済――」




 グレイフィールは瞬時に手元に黒い槍を出現させると、それをジーンへと投擲した。




「はぐっ!!!」




 ジーンは槍の直撃を受けて、またも部屋の壁を破壊して吹き飛んでいく。




「いやああああああ~~~!!!」




 少女の絶叫が遠ざかっていくのと同時に、グレイフィールはまた読書へと戻った。




「フン、約束通り叩きだしたぞ。あの、礼儀知らずめ」





 しかし――。


 ジーンはその後もしばらく戻ってこなかった。



 さすがに主に対して「血を飲ませてくれ」などと、不敬すぎるお願いをしてしまったと反省したのだろうか。


 そう思っていると、半刻ほどしてふらっと帰ってきた。




「たっだいま戻りましたー!」


「なっ……!」




 なにやらいつも以上に元気いっぱいである。




「いったい何があった? ジーン・カレル」


「ふっふっふー。グレイフィール様、わたしが今までどこに行っていたか、お知りになりたいですかあ? ふふっ、知りたいですよねえー?」


「……やっぱりいらん。黙っていろ」


「わかりましたー! ではご報告いたしましょう!」


「聞いているのか? 私は、黙っていろと――」


「なんと! わたしは吹き飛ばされたついでに食堂に寄って、お食事をしてきましたーっ! わー!」




 などと言いながらジーンはぱちぱちと自分で拍手をしている。


 グレイフィールは何の茶番だと思わず額に手を当てた。




「……」


「ねえグレイフィール様、聞いてください! なんと! 今日のお昼ご飯はですねー、ドラゴンさんの血だったんですよ! いやあ、やっぱりドラゴンさんの血は深みがあっていいですねー。人間には劣りますけど、あれはかなりの上物でしたよ!」


「だから……報告はいらんと言っている! また吹き飛ばされたいのか?」


「……はーい、すみませーん」




 そう言いながら、ジーンはおどけて「お口にチャック」の動きをしてみせる。


 グレイフィールはひくひくと口の端をひきつらせながら、また読書へと戻った。




「あのー」


「なんだっ!?」




 舌の根も乾かぬうちにジーンがまた話しかけてきたので、グレイフィールは今度は殺気を込めてにらみつける。


 だがジーンはそれをものともせず、話しかけてきた。




「あのう、グレイフィール様。グレイフィール様って普段、どんなお食事をなさっているんですか?」


「……は? 食事、だと?」


「はい。さっき魔力で体力を温存しているっておっしゃってましたよね? でも……最低限の栄養は摂らなければならないはず。だったらそれは、どんなものを口になさっているんですか?」




 グレイフィールは少し迷った末に答えた。




「倉庫にある保存食を……食べている。それとたまに魔草茶も……だな」


「え? ここ、倉庫あるんですか!?」


「そっちか! ……なんだ、知らなかったのか。この塔は三階建てで、ここは二階の書斎だ。一階が倉庫兼、調理場や浴室。そして、三階は私の寝室だ。いったい何を教わっている……?」


「へー。意外と広かったんですねえ、ここ。知らなかったー!」




 キョロキョロと上や下を眺めるジーンに、グレイフィールは眉間のしわを深くしながら尋ねる。




「それで? それを訊いてどうする」


「はい。少しはメイドらしいことしないとなあ、と思いまして。そういうことでしたらさっそく、下でそのお茶入れてきますねっ!」


「余計なことをするな!」


「それじゃあ、行ってきまーす」


「おいっ、話を聞け!!! ジーン・カレル!」




 グレイフィールの怒声を無視して、ジーンはすたすたと階段を下りていった。




「なっ……んなんだ、アイツは……」




 ジーンのあまりにも自由すぎる行動に、グレイフィールはめまいを覚えた。


 だが、あまり深くは考えないようにする。


 きっとそれが、一番いい方法だろうから――。

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